既婚者の方には色んな思い出があることだろう。
未婚者にとってはあこがれの手続き。
うんうん、わかるよ。
私もね、だいたいは想像してたんだ。
二人で市役所に提出にいき、
係の人に祝福され、
晴れて夫婦となった二人はスキップで市役所を後にして、
こじゃれた店でランチでも食べるんだろなってね。
でもね、ちょっと想像と違っていた。
まずカッパさんが婚姻届をもらってきた。
私が家に帰って必要事項を記入し、
カッパさんの実家に持って行った。
証人の欄が1名抜けていたので
カッパさんの母ちゃんにお願いした。
「私、字が下手やからフクちゃん書いて」と頼まれ
私が記入して押印までした。
さて提出は7月7日にした。
私は会社を半休にして、
9時ちょうどに市役所に行った。
同じように朝一番で出すカップルもいて、
負けてはならじと二人でダッシュした。
鼻息荒く担当者の前に座り、内容をチェックしてもらった。
まずカッパさんの現住所が間違っていた。
(区画整理後で新住所を知らなかったらしい)
そしてカッパさんの本籍地も間違っていた。
(架空の場所になっていた)
カッパさんの本籍地が間違っていたので、
私の新しい本籍地の住所も間違い。
当然、証人であるカッパさんの母ちゃんの住所と本籍地も間違い。
えっとね、赤ペンで修正したの5ヶ所。
かわいく1文字ずつの5ヶ所じゃない。
ドバーっと1行まるごとが5ヶ所。
赤ペンだらけ。
黒ペンと赤ペンの比率がほぼ同じ。
「あ、これ書き直しだよね」と私は思ったのだが、
係の人はおもむろに頭を下げ、
「おめでとうございます」と何の感情もこめずに言った。
えーーー終わり?
こんな修正だらけの婚姻届でいいのーーー?
何か腑に落ちない。
『お願いーーー新しい婚姻届に書き直させてーー!!』
と叫びたい気持ちだった。
それでもしぶしぶ席を立つと、朝一に出くわしたカップルは
別の担当者に届けを出したようで
さっさと帰っていた。
だよね。
後日、友人に聞くと
「私は戸籍抄本で確認してから記入したよ」と言った。
それが正解だと思う。
「間違えたくなかったからね」
わかる。私も修正されたくはなかったよ。
たしかに番地や号数の表記って町によってマチマチだ。
1-2-3ではなく
1丁目2番地3号とか
1丁目2番3とかややこしいのだ。
婚姻届に記入する住所はすごく厳密なので
きちんと確認すべきだった。
初日から結婚生活は暗雲がたちこめていたのさ。
ゲンが悪い。
思えばゲンが悪いことだらけのスタートだった。
これから結婚する人はくれぐれも婚姻届は
慎重に書いてくださいね。
それか、
どれくらい間違ったら、あるいは汚れたら、
書き直しをさせられるのか
試してもいいと思う。
私としては血のついた婚姻届は
はたして受理されるか?
なども検証してもらいたい。
ぜひぜひ!!
未婚者には目を背けたくなるなような内容だが、
せっかく書いたのだから心して読んでけろ!
私たちが交際を始めてまだ1ヶ月も経たないころのことだ。
その日はカッパさんと映画を観る予定だった。
何の映画かは忘れた。
なのにカッパさんはいきなり
「今日は結婚指輪を買いに行こう!!ハァハァ」と言いだした。
まだプロポーズもされていないし、
婚約指輪ももらってないし、
何故、いきなり結婚指輪なんだ?
私、結婚するっていったっけ?
と思いながらも面倒くさいので、
カッパさんの言う通りについて行った。
松坂屋の閉店セール。
大阪に唯一あった松坂屋が閉店するのだ。
そのセールに乗じて指輪を買おうって魂胆だ。
松坂屋が閉店しなかったら
うちら結婚してなかったかも・・・。
ずんずん宝飾品売り場に向かうカッパさん。
ショーケースの前で振り向き、
「どれでも好きなん選びや」
と手で指し示した。
好色なオヤジかよ!!
好色なオヤジが『ネエチャン、好きなもん買うたるで』
と言うのと同じトーンだ。
そしてカッパさんが
結婚指輪と婚約指輪を一緒くたにしていることに私は気付いた。
ははぁ・・・エンゲージリングを私に押し付けて、
考える暇もなく結婚に持ち込もうって算段だ。
カッパの浅知恵だ。
しかし私もアラフォー。
もう、乗っかるしか選択肢がなかった。
それにガラスケースを見ると自然と顔がほころぶ。
ついつい真剣に物色し始めてしまった。
2、3点手ごろなのを選び、
迷った挙句に一番クラシックなデザインの指輪に決めた。
カッパさんはポケットからシワシワの茶封筒を取り出し
そっから15万円を抜き取って店員に渡した。
サイズ直しは7日後だと言う。
私はカッパさんの茶封筒の中身が相当気になった。
と言うのは封筒にお札がほとんど残ってなかったからだ。
もう破談にできない。
私の頭の中で色々と葛藤があったが、
自分が誰かを幸せにできるのなら、
その運命にのっかろうと腹を決めた。
カッパの幸せを自分の幸せにしようと思った・・・のが
大きな間違いだった。
それに気付くのは意外に早かった。
やっぱり自分の幸せを優先にするべきた。
でも、それだといまだに独身なんだなーーー。
ホント、人生ってイバラの道しかないんだなーーって痛感した。
そのイバラの道をいかに楽しんで進むかが命題。
さて7日後、百貨店はすでに閉店しているが、
お直しの客のために通用口から出入りできるようになっている。
そこから私はコソコソ入って指輪を受け取った。
その後カッパさんと待ち合わせして
こじゃれたイタリアンの店で指輪を見せた。
カッパさんはイタリアンの会計が気になっていたようで
なんだか上の空だった。
私は婚約指輪に舞い上がって
飲み会を開いては、
友達に見せびらかしたりしていた。
幸せの絶頂にいた。
この後の壮絶なイバラの道を私はまだ知らなかった・・・。
でもね、
せめて指輪は30万円くらいのものが欲しかった・・・。
1月17日で阪神淡路大震災が発生してから20年が経つ。
今も20年前のことは鮮明に覚えている。
私は大阪のOBPと言う京橋のビルで働いていた。
今までに経験したことのない激しい揺れに目が覚めた。
近所の話し声がひとしきり聞こえたが、特に被害もなかったので
私は二度寝した。(楽天的すぎるやろ!)
そのあと普段どおりに会社に向かった。
ビルのエレベーターが止まっていた。
36F。そこがオフィス。
階段で昇った。
始業間近なのに5人しか出勤していなかった。(36Fフロアの従業員は200人)
私達はまだ震災の悲惨さを知らなかったのだ。
その後の惨状はご存知のとおり。
TVは震災のニュースで埋まり、CMはなくなった。
日本中が異様な空気で包まれた。
もうあれから20年経つのか。
まだ生まれていなかった子どもたちも今年成人式を迎えた。
そして4年前に発生した東北の震災。
まだまだ傷は癒えてない。
今後、大地震が予測されているので不安はまだ続く。
食料品としてお菓子なんかは常備してあるし、
カッパさんがミネラルウォーターを常に1ケース買い置きしてあるので、
2、3日は持つかなと思っている。
あとはカッパさんが慌てふためいてスーパーから手当たり次第
物を略奪しないように手綱を締めなきゃだわ。
パニックになったアスピーの対処の仕方がわからんので、
勉強しとかんとね。
私の家は山や海にも囲まれていないので、
避難指示が出ても5分ほど準備する時間はあると思う。
そのとき、何を持って出るかリストにしておいた方がいいだろうな。
震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
さあ、今日もフクちゃんが遠い目をして
恥さらしな過去を語るよ。
長文だよ。こころして読んでけろ。
♦♫⁺♦・*:..。♦♫⁺♦*゜¨゜゜・*:..。♦♫⁺♦*゜♦♫⁺♦・*:..。♦♫⁺♦*゜¨゜゜・*:..。♦♫⁺♦*゜
30代の頃に、何度かお見合いをした。
回数は覚えていない。
でも5、6回はしたんじゃないかな。
そのうちの最悪のお見合いがあった。
母がどっかから拾ってきた縁談。
地元じゃけっこう名士らしい一族の息子だった。
釣書には高卒、印刷会社勤務と書いてある。
名士の息子って言やぁ、一流大卒で有名企業に勤めているか、
もしくは公務員ってイメージなんだけど、
そうではないのか・・・。
ちょっとガックリ。
でも、私は来るもの拒まず派なので
とりあえずお見合いすることにした。
どういうわけか、お見合いの設定が水曜日の朝10時、
地下鉄の改札前。
水曜日って、私仕事なんすけど・・。
と母に文句を言うと、
相手の仕事は水曜日が休みとのこと。
しぶしぶ有休を取った。
待っていると、
さえない男性と母親が来た。
軽く挨拶を交わしたのだが、
びっくりしたのは相手の母親。
すっごい目つきで私を睨んでくる。
場末のスナックのママごとく厚化粧でパンチパーマの風貌だから
メンチ(睨みつけること)がハンパない。
こんなに敵意むき出しで睨まれることって、
中学のクラス対抗バレーボール試合以来だわ。
思わず挨拶がしどろもどろになった。
母親の視線をスルーして
とりあえず私と男性は地下鉄に乗ることにした。
でもね!!
相手は勝手に改札くぐってやんの!!
え、今からどこ行くの?
っつーかどこまで切符買えばいいの?
「あ、海遊館に・・・」
と相手は当たり前のように言う。
そんなら、まずそう言って!!
っつーか海遊館なら先週も行ったし、
別の場所に行きたいし、
なんでこっちの意見聞いてくれへんの!!
と、いきなりの不満が湧き起こる。
駅に着いたら、相手はさっそくトイレに向かったが
15分ほど待たされた。
これ、初対面だと不安になるよ。
え、15分長いよ。
ようやくトイレから出てきた相手に
ちょっと皮肉をこめて
「体調、悪いんですか?」
と聞いてみた。
そしたら苦笑しながら、「いや別に」って、
あきらかにタバコ臭い!!
出会って1時間も経ってないのにこれ!!
海遊館、相手しゃべらんしちっとも楽しくなかったよ。
そうして昼時。
あるんだよ、海遊館の周辺にレストランとかいっぱいね。
さんざん歩いたのにまだ歩き足らないのか、
一通りまわって駅に向かうことになった。
私達が向かったのは大阪の繁華街・梅田。
もうね、目移りするくらいお店あるから、
どこに入ってもいいわけ。
でもね、なんのこだわりだか知らんが、
1時間も歩かされたよ。
もちろん私はヒールさ!!
男って案外女性の靴、気にしないよね・・・。
おんなじ場所クルクル周るから、
イライラした私は
「ここにしませんか?」って強めの口調で言ったさ。
すると無言で店に入ったわさ。
え?私が決めればよかったわけ?
私が「ここ」っつーの待ってたわけ?
ならそう言えよ、最初から!!!
最悪のお見合い・・・。
別れ際になって
「この後どうしますか?」って聞かれたの。
だから「私は買い物をして帰ります」っつったのね。
すると相手が「一緒に行きましょうか」って言ってきたわけ。
もう、びっくりよ!
なんで、そんなセリフが出るのーーーー?
「いえ、もう今日はこれで・・・」と歯切れ悪く私は立ち去ったさ。
家に着いたら、速攻で母親に言われた。
「フク、お見合い断られたで!!」とね。
もちろん私のハラは決まっていたので、
ホッとした。
断られて腹は立たなかったけど、
相手の振る舞いには十分腹が立ちましたわ。
あのキツイ母親、人を物扱いしそうな男性。
結婚がうまく行くわけがない。
カッパさんの方がよっぽどマシだわ。
いや、何十倍もかわいいわ!!
この経験があったからハードルが低くなったのかもしれん。
他のお見合いは、特に印象に残ってないけど、
この最低最悪なお見合いだけは忘れられない。
名士だか金持ちか知らんが、
嫁に行ったら大変だわ。
さてさて、あの男性に嫁いだ女性がいるんだろうか?
私には知るすべがない。
私は自己都合で最初の会社を退職した。
12年つとめた。
もう、やりきったと思った。
キャリアを目指す気などサラサラない。
ってか、私リーダーの素質ゼロだから。
チームプレー苦手。
どっちかてぇーと職人肌だと自分で思っている。
事務は向いてないなと痛感した。
もともと私の夢は専業主婦。
そこそこの会社に入って、
年の差5才以内の人と職場結婚して
ホテルで挙式・披露宴を催して、
友人を招待しても恥ずかしくない家に住みたいと思ってた。
それが私の夢。
ぶっちゃけ小坂明子の『あなた』の歌詞まんま。
でも、そんなささやかな夢を実現するのが
どんなに難しいか、みなさんはご存知よね?
営業職と言うのは、意外に独身男性が少ない。
椅子とりゲームに例えると、完全に椅子が足りない!
私には回ってこないことを悟り
外部の人と付き合った。
でも、自分の会社の男性と比べると
いろんな意味で見劣りしてしまうのだ・・・。
専業主婦の夢は持ちつつ、
職人としてのキャリアを積むと言う別の道を模索し始めた。
30才を機にコピーライティングやMACを使ってイラストを描いたりする勉強を始めた。
万が一結婚できなかったときに、
「私の人生こんなはずじゃなかった」と後悔しないためだ。
アラサーで会社を思い切って辞め、
広告代理店に入社した。
渡された名刺には「営業プランナー」と書いてある。
ちょっとウキウキした。
仕事の内容が180度違う。毎日が刺激的だった。
しかし、東京の広告代理店と違い
大阪の広告代理店は「チラシ屋」か「POP屋」だ。
泥臭い仕事だ。
クライアントの窓口はバツイチ小太りのオバハンだった。
若い男の子としか口を利かないと言うひねくれ者だ。
半年はがんばってみたが、
人事から「事務の方に異動しない?」と提案された。
オバハンから私をはずせと言われたようだ。
どうりで私のことをイジメていたはずだ。
事務に回ると言う選択肢もあったが、
三代目社長が会社自体を私物化しているし、
なにより社員の質が低い。
前の会社と比べると、あきれることばかりだった。
何が職人だ、何がキャリアだ。
自分の考えの甘さに、悔しさを覚えた。
私にとって仕事ってなんだろう?
食べるための手段?
なら気楽に働いてみようか。
と、広告代理店を辞めた。
体重は38kgに落ちていた。うつ寸前だったと思う。
しばらくフリーターを続けた。
彼氏もできた。
楽しい日々が続いた。
彼氏にふられた。落ち込んだ。
アラフォーなのに独身でフリーター。
人生ってうまくいかない。
でも、それが人生なんだな・・・。
と相田みつをっぽく悟りはじめたころ、
出会いがしらに結婚した。
有頂天にならなかったと言えば嘘になる。
しかし結婚の現実を知ったとき
「この苦労が私の夢だったのか」と愕然とした。
今はもう乗り越えた。
結婚してよかったと思っている。
人生観が大きく変った。
最初の会社は最高のタイミングで退職したと
思っている。
退職のタイミングは大事だ。
人生は一回だけなのに、
必死で会社にしがみつくことはない。
リストラ目的の職場異動に我慢してなんになる?
定年退職後に待っているのは親の介護だ。
「こんなはずじゃなかった」
て嘆かれても、私は慰めたりしない。
退職のタイミングはいつもやってくる。
スルーした自分が悪い。
人生は楽しむためのものだ。
後悔するためのものではない。
もっと真剣に将来について考えて欲しいものだ。
以前勤めていた会社の話をします。
とは言え、かれこれ20年近く前になるので
今の職場がこのような日常を許しているとは
とても思えないんだけどね。
<某メーカーの職場あるある>
★1日何度か、女子社員が泣き喚きながら職場を走りぬける。
★トイレから帰って来た課長の頭にはネクタイが巻かれている。
★仕事中なのに課長がウラ声で「死にたい~死にたい~」を連発している。
★ボールペンをへし折り壁面に投げ付ける社員がいる(←私)
★毎日誰かが回転椅子から転げ落ちる。
★隣の課長は外出から帰るといつもカツラがずれている。
★女子社員がお茶場に立てこもり、ハサミを喉につきつけて
「○○さんと結婚できないなら死んでやる~」と泣き叫んでいた。
★取引先に出向くときは、女子社員は超ミニスカートがルール。
★飲み会のスナックでは必ず上司とチークダンスを踊る。
★飲み会のスナックでは必ず会社のオヤジに抱きつかれる。
★飲み会のスナックでは女子社員はホステスに変わる。ライターを点けたり、
水割りを作るのが手馴れる。カウンターの向こうに入る場合もあり。
★会社にはよくカタコトの日本語で「シャチョウサン、イマスカァ?」と
電話がかかってくる。もちろん本物の社長宛ではない!
★受付に水商売のオネエチャンが取り立てに来る。
★1週間有休を取っているオヤジの奥さんから「うちの主人お願いします」と電話がかかる。
★有休を使い果たしたオヤジは生理休暇に手をつけ、人事に怒られた。
★朝出かけて夕方帰ってくるオヤジは、散髪しているしホロ酔い気分だ。
★取引先近辺の喫茶店に電話すると「はいフレンドです」と、うちの社員が出る。
★就業中にパチンコ店から社員がカバンを忘れていると連絡がある。
★顔面血だらけで外出から帰ってくる社員がいる。
★頭に包帯を巻いて外出から帰ってくる社員がいる。
★会社のオヤジはリーゼントかパンチパーマが普通。白い背広に龍のネクタイ
がトレンドだった。
★慰安旅行の課対抗のかくし芸大会は毎年クオリティが高い。
★女子社員は2年目になると仕事中「ウンコしてくる」と普通に言う。
思いつくままに書き綴ったらこんなにたくさん出てきた。
脚色するしてんじゃねーの?と思われるかも知れないが
断じてありのままの事実。
♪ありの~ままの~ 事実 書いたのよ~
しかし何だろうね、この職場。
町の小さな零細企業だと思うかも知れないが、
CMでおなじみのキチンとした会社だからタチ悪い。
当時、私達はセクハラとも言える行為を受けまくっていたが
その意識すらなかった。
世間でセクハラが騒がれていることが不思議だった。
まあ、しかし勤めていた12年は
涙あり、笑いあり、涙あり、涙あり・・・
毎日退屈しなかったな。
よく言えばアットホームでみんな仲がよかった。
貴重な経験だった。ほんと、いい思い出。
今ではそう言う職場ないよな。
クールな関係だろうね。
ふとノスタルジーに浸ってしまいました。
19年前の今日、日本を揺るがす大惨事が起った。
私は当時も大阪で母と住んでいた。
早朝の、地面を突き上げるような激しい揺れに
今まで感じたことのない恐怖に包まれた。
すぐに余震が来た。当時は余震と言う言葉さえ知らなかった。
これは電信柱が倒れただろうな・・・。と思った。
近所の家々でざわめきが聞こえてきたが
またすぐに静けさが戻った。
私も母と声をかけあったが、
家の中には被害がなく、
もともと不安定だった細長い花瓶が倒れていたくらいだった。
図太い私は二度寝した。
そしていつもの時間に起きてラジオをつけた。
どうやら高速道路が倒壊したらしい。
やっぱりね。
揺れがすごかったもんね。
あと、滋賀県でお年寄りが地震にびっくりして
ベッドに足をぶつけて骨折したそうだ。
何やそれ?
あんなにでっかい地震で、年寄り一人が骨折しただけ?
ふーーーん、たいしたことなかったんやわ、
と会社に向かった。
京阪電車は私がホームに着くとすぐに到着した。
ラッキー♪いつもより早く会社に着ける。
しかし、会社に着くとエレビーターが停止していた。
職場は35Fだ。
気が遠くなりそうだが、まだ時間に余裕がある。
ゆっくりしたペースで上ることにした。
途中、更衣室があるので助かった。
オフイスに到着すると2,3人の同僚が
困惑してドアの前でたたずんでいた。
どうやら誰もオフィスの鍵を持ってこなかったらしい。
いやーーー!!取りに行きたくないーーー!!
と、私は顔で講義した。
みんなも頷いていた。
そこへ、いつも一番に来るおじさんが登場。
ちゃんと鍵を持っている。
よかったようやくオフィスに入れる。
と、喜んだのもつかの間。
椅子やら何やらがしっちゃかめっちゃかだった。
まず、目に付いた物から片付けていく。
その間も電話があっちこっちでじゃんじゃん鳴る。
それも片っ端から取る。
取引先の会社やたどり着けない社員からだった。
京阪電車は稼働していたが、
ほかの路線は運転を見合わせていたようだ。
お昼間近になると、
次々と社員が出勤してきた。みんな徒歩で会社まで来たらしい。
電話も通じなかったと言う。
とりあえず無事を確認しあう。
社員食堂でお昼ごはんを食べているとき
テレビのニュースで死者がかなり出ていることを知った。
また神戸市などがかなりひどい状況だと言うことも
わかってきた。
ニュースを見るたびに状況がひどくなっている。
その日から当分、テレビでは企業CMと一般の番組が消えた。
毎晩、同じACのCMばかり見ていた。
悲しくて泣きたくなった。
それでも3日目から仕事は通常に戻った。
被災した社員は早めに帰ることが許された。
社員食堂からはおにぎりとパンがなくなった。
ボランティアに志願した人がいたが会社から止められた。
常に道路が大渋滞なので近寄ることもできないらしい。
物見遊山で行くことなんて絶対にタブーだった。
神戸に住む友達とは連絡が取れなかった。
しばらくしてから電話が留守電に変わっており
「私は無事です。今、実家に身をよせています」
と言うメッセージが入っていた。
この国もこんな悲惨なことが起るんだって初めて知った。
今でもあの朝の出来事は記憶に張り付いている。
もう二度と震災などの被害は起らないで欲しいと願う。
子どもの頃の私は、ほんまどうしようもなかった。
自分で何一つできなかったのだから。
3才までは超肥満児。
4才から5才にかけて、小児喘息がひどくなり、
激痩せする。
4才で保育所に入所するが、4月生まれでありながら
一番チビ。ひ弱な女の子。
保育所も病気でほとんど行けなかった。
痩せているチビは、かよわく映る。
家では母や姉が、保育所では友達が面倒みてくれる。
私はペットのように育てられた。
小学校に上がると、さすがにクラスメートは
私の世話をしてくれない。
それでも、自分で何もしなかった。
朝、ぎりぎりに起きて、出かける寸前に時間割の教科書を
準備する私。
見かねた姉がいつしか私の教科書を準備してくれるようになった。
私のことだから学校のプリントも出さなかったと思う。
きっと母(あるいは姉)が毎日ランドセルをチェックしていたに違いない。
こんなダメぶりは中学校卒業まで続く。
何か忘れると母や姉のせいにしていた。
そのクセ、穴のあいた靴下は糸で繕うと言う倹約ぶりを発揮する私。
部屋の掃除も出来ないくせに、
すべての教科書に包装紙とカバーをかける几帳面さ。
こんな、わけのわからん私でも成長して
一応社会に順応できている(と思っている)
不思議だ・・・。
もっと不思議なのが、自分の世話もできなかった私が
アスペルガーのカッパさんの世話を焼いている。
連鎖なのだろうか?
虐待を受けた子が
わが子を虐待するのと同じように
世話を焼いてもらった子は
わが子に世話を焼くようになるのか。
なるほど。
にしても、アスピーの旦那を賜るとは
皮肉なもんだ。
有名な「病者の祈り」の詩が頭をよぎる。
幸せになろうと
金持ちのイケメンを求めたのに
己を思い知るようにと
わがままなアスピーを授かった。
・・・
ちょっとパロってみた。<フクの祈り>
悲しい。
私が何をしたと言うのだ。
しかし、詩の作者は願いが叶ったと喜んでいる。
私も喜ぶべきなのか。
何の願いも叶ってないのに??え??
作者の境地に達するまでには
もうちょっと、いや、もっともっと時間をください。
いや、時間があるなしの問題でもなく、
私はそんな心境になれない気がする。
やっぱり私は世話を焼くより焼かれたい・・・。
私にアスピーは荷が重い。
今日もカッパさんは訳のわからない歌を歌っている。
きっと一生不幸なんだろうな、
と思ってしまう元友人がいる。
もう縁を切ってしまった。
彼女は伊集院華子とか言うような
豪華な名前だった。仮に華子とする。
でも5人家族の長屋住まいで決して裕福ではなく
小学校の頃は「ヒヒ」とあだ名されイジメを受けていた。
そんな華子だが、漫画が好きで
私とも気が合ったので、たまに遊んだりしていた。
中学校になり華子が転校していった。
でも手紙や電話は頻繁にあった。
電話は宿題の答えを教えて欲しいと言う内容が
ほとんどだった。
旅行に行くたびにお土産を買ってくるような
マメな子だった。
お互いが社会人になると、なんとなく遊ぶようになった。
会うたびに華子は言う、
「私らって9歳のときから知り合って、
まだ続いているってスゴクない?」
私はそれを聞くと不快だった。
なぜかわからない・・・。
華子は上品な名前とは裏腹に
下ネタが好きで、下品だった。
早熟で15才には初体験を済ませていた。
そんな華子が10年付き合っていた彼氏と結婚した。
式は挙げなかった。
私は一度も旦那を紹介してもらったことがない。
新居も訪問したが、旦那はいなかった。
「すごいブサイクやから誰にも会わせたくないねん」
と言う。
外で食事の際、旦那が車で迎えに来たことがあったが、
会わせてくれなかった。
私がスキを見て車に駆け寄ろうとすると、
本気で腕をつかんで阻止した。
旦那の生命保険のことで相談を受けた。
旦那は板金加工の仕事をしているが
給料はあまり良くなかったらしい。
華子は身体が弱く、仕事に行けなかった。
旦那が死んだら生活できないと嘆く。
そして旦那の死亡保険金を6000万円にしたいと言う。
掛け金がもったいないので、
1000万円にしたら?と私は提案したが、
頑として聞き入れなかった。
結婚してからも、華子はずっと身体の調子が悪く
旦那に指一本触れさせてないと言う。
それを聞いて唖然とした。
しばらくして、携帯を買ったと連絡があった。
毎日長文のメールが送られてくる。
ほとほと疲れた。
おまけに電話はいつもワンギリで掛けてくる。
たまにコール中に電話に出たら、
話している途中でプツっと切る。
仕方ないので掛け直すと
「電波の調子悪いね」とシレッと言う。
その頃、私にも新しい彼氏ができた。
と言うか付き合い始める一歩手前。
映画を観たり焼肉を食べに行ったり、
楽しい時間を過ごしていた。
肉を焼いているときに
華子から着信があったけど
無視していた。
何度目かに長いコールになった
仕方なく電話に出ると、
今、話ができないかと聞かれた。
今日、デートだって知ってるくせに。
「ごめん、後でかけなおすわ」と言って
私はマナーモードにした。
家に帰ってすぐ華子に電話をかけた。
出ない。
メールを見たら、
私に対するうらみつらみと今夜はもう電話はいいから
と言う内容だった。
朝、8時に電話が鳴った。
華子は昨夜、気分が悪くて寝ていたのに、
夜の私の電話で起こされたと言う。
今から旦那に仕事を休んでもらって
病院に連れていってもらうと言う。
私はさすがに頭にきた。
「じゃあ、旦那さんに謝るから電話代わって」
と言うと、それは無理と言ってきた。
この旦那も少々変っていて
家の固定電話にかけて
「フクです、こんにちは!いつも華子さんと
仲よくさせていただいてます。華子さんいらっしゃいますか」
と言うと無言のまま、電話を取り次いだ。
『もしもし』もない。無言。鼻息だけ。
そんな旦那だ。
それから毎日20件ほど華子は着歴を残してくれた。
メールも
「助けて・・・」とか「死にたい」とか
そんな内容。
仕方ないので、華子に直接電話した。
想像通りかなりバトルが繰り広げられた。
完全にイッちゃってる。
30分ほどお互いののしり合い続けただろうか?
最後に華子がこう言った。
「あーあ、もう私フクちゃんとは縁切るわ」
「あ、そうわかった」
そう言って私は電話を切った。
私はそのとき華子がずーっと嫌いだったことに
初めて気付いた。
人を貶める下品な冗談なんて聞きたくなかった。
同類でいたくなかったんだ。
ほっとした。
その後も非通知のコールは
毎日深夜にあったけど、警察に行くほどでもなかった。
8年ほど前、今日のような蒸し暑い日の昼下がり、
華子から携帯に電話があった。
もちろん非通知。
「あ、フクちゃん?この電話番号フクちゃんやったんや?
元気ぃ?」
「うん・・・」
「久しぶりやねぇ」
「・・・」
「誰の電話番号やろってずーっと気になっててん。
ずっとこの番号のメモ、捨てんと大事に持っててん。」
「ふーん・・・」
「結婚してんなぁ、おめでとう」
「ん、まぁ・・・」
私は始終こんな返事。
さすがに華子も空気を読んで
すんなり電話を切った。
たぶん、感触として二度とかかってこないだろう。
風の噂で華子が私と仲直りしたがっていると
言うのは聞いてた。
でも、私は“ともだち病”から目が覚めたのだ。
二度と友達には戻れない。
華子はずっと私を利用していただけだ。
彼女はずっと不幸だった。
いつも誰かを恨んでいた。
ときどき、ふと苦い思い出とともに華子を思い出す。
今でも不幸なんだろうなぁ。
本当は幸せになってほしいと願っている。
もう会うことはないけどね。
私が若かりしころ
何かイベントがあると
必ずサザンオールスターズの曲が流れていた。
バーベキューや海水浴に行く道中の車の中であったり
カラオケの席であったり、
花火をしているときであったり、
みんなと楽しく過ごしたり
はたまたデートであったりと、
常にサザンの曲は一緒だった。
しかしカッパさんは
「僕、あんまりサザン知らんねん」と言う。
可哀そうに・・・
不憫だ・・・。
一番キラキラと輝く時期を
カッパは弁護士資格の勉強漬けで過ごしたのだ。
家と予備校の往復だけ。
あの頃、みんなバブルではしゃいでいたのに。
そのバブルすら知らないと言う。
そんなカッパさんを不憫に思いながら、
私なりに好きなサザンの曲をランキングしてみた。
でも私は熱狂的なサザンのファンではないので、
一般受けする曲が多いかと思う。
1 ミス・ブランニュー・デイ
2 いとしのエリー
3 希望の轍
4 BAN BAN BAN(※KUWATABAND)
5 ラブアフェア
6 BYE BYE MY LOVE
7 YOU
8 エロティカセブン
9 栞のテーマ
10思い過ごしも恋のうち
いざ、書き出そうとしたらベスト5くらいしか思い浮かばなくて
10曲選ぶのに四苦八苦だった。
10位の「思い過ごしも恋のうち」と
「C調言葉に御用心」は悩んだ。
1位のミス・ブランニュー・デイは
まるで自分のことを歌われているように胸にズンと来た曲。
あの頃の私はバブルに浮かれて
流行のファッションに身を包み
エリートの彼氏をゲットしようと必死だった。
はっきり言って中身カラッポ。
おごってもらうの当たり前。
でもね、そんな女が量産されたのがバブルなんだってば!
いいじゃん、バブリーな女で?
それが何か?・・・みたいな虚勢が心地よくて
みんな、あの時代を駆け抜けたわけさ。
そんなノスタルジーに浸れる歌。
よく考えると、10位までの曲って
社内旅行の観光バスの中で
よく歌われていた曲じゃん!
缶ビールあおって、柿ピー食べて・・・
30分ごとに観光バスを停めて、みんなトイレに走ってたわ。
そのときのBGMがサザン。
う~ん、楽しかったなぁ・・。
たまには、朝からサザンでも聴いてみっか!!