子どもの頃の私は、ほんまどうしようもなかった。
自分で何一つできなかったのだから。
3才までは超肥満児。
4才から5才にかけて、小児喘息がひどくなり、
激痩せする。
4才で保育所に入所するが、4月生まれでありながら
一番チビ。ひ弱な女の子。
保育所も病気でほとんど行けなかった。
痩せているチビは、かよわく映る。
家では母や姉が、保育所では友達が面倒みてくれる。
私はペットのように育てられた。
小学校に上がると、さすがにクラスメートは
私の世話をしてくれない。
それでも、自分で何もしなかった。
朝、ぎりぎりに起きて、出かける寸前に時間割の教科書を
準備する私。
見かねた姉がいつしか私の教科書を準備してくれるようになった。
私のことだから学校のプリントも出さなかったと思う。
きっと母(あるいは姉)が毎日ランドセルをチェックしていたに違いない。
こんなダメぶりは中学校卒業まで続く。
何か忘れると母や姉のせいにしていた。
そのクセ、穴のあいた靴下は糸で繕うと言う倹約ぶりを発揮する私。
部屋の掃除も出来ないくせに、
すべての教科書に包装紙とカバーをかける几帳面さ。
こんな、わけのわからん私でも成長して
一応社会に順応できている(と思っている)
不思議だ・・・。
もっと不思議なのが、自分の世話もできなかった私が
アスペルガーのカッパさんの世話を焼いている。
連鎖なのだろうか?
虐待を受けた子が
わが子を虐待するのと同じように
世話を焼いてもらった子は
わが子に世話を焼くようになるのか。
なるほど。
にしても、アスピーの旦那を賜るとは
皮肉なもんだ。
有名な「病者の祈り」の詩が頭をよぎる。
幸せになろうと
金持ちのイケメンを求めたのに
己を思い知るようにと
わがままなアスピーを授かった。
・・・
ちょっとパロってみた。<フクの祈り>
悲しい。
私が何をしたと言うのだ。
しかし、詩の作者は願いが叶ったと喜んでいる。
私も喜ぶべきなのか。
何の願いも叶ってないのに??え??
作者の境地に達するまでには
もうちょっと、いや、もっともっと時間をください。
いや、時間があるなしの問題でもなく、
私はそんな心境になれない気がする。
やっぱり私は世話を焼くより焼かれたい・・・。
私にアスピーは荷が重い。
今日もカッパさんは訳のわからない歌を歌っている。