
実家の方では昭和30年半ば頃までは旧でお正月をする方が多かった。段々と新暦になっても、旧正月だからとお餅を少し搗いたりしていた。
山の中の暮らしは、朝から晩まで働く事ばかりで、正月とお盆、神祭等が休みだった。
今から思えばご馳走と言うにはほど遠いような巻きずしや、煮物、お餅やぜんざいが、とても美味しいご馳走だった。若いお嫁さんは里帰りをすることも多かった。(普段は何か特別なことがない限り里に行く事はなかった)母も妹と私を連れて山を下り、川辺の家に里帰りして、自分の母に私たちを預けて3姉妹で一緒に町まで買い物に行っていた。
今のように乗り物はなし、歩いて町までは2時間ぐらいかかったと思う。朝そこそこに出ても、帰りは遅くなって私たちも段々母を待ちかねて、祖母が小さい従弟を背負って途中まで向かえに行ったりした。
30歳代の母達が町で何をしていたのか、今度聞いてみよう。

町内の有るお宅に咲いていたユキワリ桜(ツバキカンザクラが正式名称らしい)もっと早くから咲いていたらしいが、一つ道が違えば気が付かないことが多い。妹の知り合いのお宅なので、撮影をさせて貰うように頼んであったので、いつもよりはドキドキしないで撮影が出来た。

2月も、もう残り10日もない。年賀状は失礼していたので(喪中欠礼も出さないまま)寒中見舞いを出そうと思いながら、時期を失したので、旧正月だからまあ良いかと近況などを書いた葉書を出したけど、旧正月だと分かる人がいるかなあ。。。
暖冬とは言っても、日が落ちると風が冷たくなる。ソメイヨシノが咲くまでにはまだ少し間がある。
桜の終わる頃には、父の一年がくる。
山の中の暮らしは、朝から晩まで働く事ばかりで、正月とお盆、神祭等が休みだった。
今から思えばご馳走と言うにはほど遠いような巻きずしや、煮物、お餅やぜんざいが、とても美味しいご馳走だった。若いお嫁さんは里帰りをすることも多かった。(普段は何か特別なことがない限り里に行く事はなかった)母も妹と私を連れて山を下り、川辺の家に里帰りして、自分の母に私たちを預けて3姉妹で一緒に町まで買い物に行っていた。
今のように乗り物はなし、歩いて町までは2時間ぐらいかかったと思う。朝そこそこに出ても、帰りは遅くなって私たちも段々母を待ちかねて、祖母が小さい従弟を背負って途中まで向かえに行ったりした。
30歳代の母達が町で何をしていたのか、今度聞いてみよう。

町内の有るお宅に咲いていたユキワリ桜(ツバキカンザクラが正式名称らしい)もっと早くから咲いていたらしいが、一つ道が違えば気が付かないことが多い。妹の知り合いのお宅なので、撮影をさせて貰うように頼んであったので、いつもよりはドキドキしないで撮影が出来た。

2月も、もう残り10日もない。年賀状は失礼していたので(喪中欠礼も出さないまま)寒中見舞いを出そうと思いながら、時期を失したので、旧正月だからまあ良いかと近況などを書いた葉書を出したけど、旧正月だと分かる人がいるかなあ。。。
暖冬とは言っても、日が落ちると風が冷たくなる。ソメイヨシノが咲くまでにはまだ少し間がある。
桜の終わる頃には、父の一年がくる。
暖かそうな空の色と 見ごろの雪割り桜ですね。
私は小正月は隣の家のおかげで覚えていますが
旧正月は記憶にありません。
ひとこと「旧正月」と書き添えなければ ご友人方も わからないと思いますよ。
普通に生活していて ああ、旧正月、とわかるのは
ニュースで中国の様子や 中華街の獅子舞などを見た時だけです。
お雛さま、ひとつだけ出しました(笑)。
これからも大切に年を経て行きたく思っています。宜しく~
ジョルジュさんの時代には、旧正月はしない家が多くなっていたと思います。小正月というのはやらなかったような気がします。
葉書は年賀状を出さなかったお詫びと転居したというお知らせですから、別に旧正月でなくても良いのですが、遅くなったこじつけです(笑)
中国は盛大に旧でお祝いしていますが、普段の生活も旧?じゃないよね。
おひな様飾ると、娘さんが生まれた頃を思い出しませんか。
父は綺麗な桜を見て、4月22日遅いウコンザクラと共に散ってしまいました。急なことだったので信じられなく、暫くはあの曲がり角を曲がれば、ひょっこり父がいそうな、錯覚に陥りました。
cosumosuさんは物心付くかつかないくらいの時にお父様を亡くされていますよね。それから比べれば私などこの歳まで父が居てくれたのですから不足を言っては罰が当たりますね。
ブログのご縁でこうしてお付き合いさせて頂き有りがたく思っています。こちらこそこれからもよろしくね。
雪が少ないといっても、こちらではまだまだ春の花は先のことです。
郷里では今はどうか知りませんが、ひな祭りと端午の節句は一ヵ月遅れの4月と6月、それなのにお盆と正月は7月13日と1月1日です。ずっと疑問に思いながらそのいわれは聞いたことも調べたこともありません。なんでも無頓着なんです
ポックリがいいと人は言いますが、遺される者を考えると
せめて4~5日・・・と思います。
春を感じます。
お母さん達の里帰りの様子が目に浮かびます。今時のお嫁さん(これも死語になりそう)には想像もつかないことですね。嬉しかったでしょうね。
昔は不自由と我慢の生活が当たり前だったから、里帰りの開放感や楽しみは倍以上だったに違いありませんね。
物喜びや有難さ何て事を今の若者に教えるのは不可能に近いのかも。。何て又愚痴っちゃいました。
北海道、遅い春ですが、待ちかねたように一斉に咲く花は見事でしょうね。
お盆とお正月は、ohisamaさんが子供の頃から新暦だったんですか。実家の方ではお盆だけはまだ月遅れの8月が多いみたいです。
その他は暦通りみたいです。
生き様は本人次第でしょうが、逝き様?は、神のみぞ知ると言うことでしょうか。
>箱庭さん、箱庭さん所で沢山桜を見せて頂いて、良いなあと思っていたので、何処かにないかなあときょろきょろしていました。
この時期に咲く、桜だと分かっているけど、やはり桜を見ると春が来たように感じます。
毎日毎日野良仕事に精を出し、多くの家族の中で気遣っての生活、里帰りは今では考えられないくらい大きな喜びだったと思います。
我慢して味わう喜びは何倍にもなり、感謝の気持ちも大きいかも知れません。今柚子畑などに、米を作っていた時代を母に言うと、それも人並みだったから特別しんどいとも思わなかったと言っています。
今の人はこれが当たり前で育っているから、この生活が普通なんでしょうね。
落ち着いて撮りたいと思いますよね~だから、デジカメ散歩倶楽部を立ち上げたのに立ち消えに??お世話を当番制にしようとしたら、いないのです、やる人が又計画立ててやろうかな~
旧暦には閏月があるそうですね。1年が13ヶ月の年があるとか・・・それによって春の訪れが早いとか今年の冬は長いとかがわかるそうですね。
不思議だけれどよく当たるんだそうです。何千年もの知恵ですからねぇ。捨てがたいものです。
まーにゃさん、デジカメ散歩倶楽部立ちあげていたのですか。お世話を当番制と言うことは、お世話がかりが散歩コースを決めて、皆さんにお知らせ等するのですか。勿論美味しい食事も含まれていそうですね(笑)
まーにゃさん色んな所に参加されているのに、これ以上出来ますか?でも普段歩いているお陰で、御嶽山も平気だったようですね。
立ちあげてより一層良い写真を見せて下さい。