谷底から這い上がってくる霧、一時は周りが全く見えないくらいの霧に包まれた。
咲き誇っていたセッコクはすべて花を落とし、ナゴランが咲いていた。
何時ものモッコクの木に、2株花を咲かせていた。山仕事をしている、父の知り合いが持ってきてくっつけて行ってくれたのは、もうどのくらい前のことだろうか。20年にはならないかもしれない。
↓株はさほど大きくはならないが、自然に種がこぼれ、次世代が育っている。中ほど上の少し葉の広いのがナゴラン。葉の細いのはセッコク。セッコクは良く増える。
↓ウバユリ、夏宮の前集落の草刈りをする。草刈りの人が丁寧に刈り残してくれたウバユリ。咲き始めていた。春の艶々とした綺麗な葉と対照的に、花の頃の葉は汚い。
図鑑には、花期に葉が枯れていることから、『歯(葉)がない』語呂合わせからきた名というと、書かれている。
『ウバユリ(姥百合)ユリ科 ユリ属 花期 7~8月 分布 関東地方以西 四 九
オオウバユリというのは、中部地方以北 北 と書かれている。
特別関心もない花だったけど、こうして見るといいかなと思う。
W杯もスペイン優勝で幕を閉じた。昨夜は選挙速報を見て、サッカーを見て睡眠不足のまま風の山に行ってきた。酷い雨かと思ったが少し晴れ間もあり、道路に覆いかぶさっているアジサイを一株丸坊主にしてきた(笑)左手に見えるのが、花が終わり、強剪定したアジサイ。手前は遅咲きなのか今咲き始めたばかりだった。又天気の良い日に出直すこととする。
>滑昇霧(かっしょうぎり)
たくさんの水蒸気をふくんだ湿った空気が、山の斜面にそってのぼっていくことがあります。
暖かい山のふもとから高度を上げるにしたがって、山の上の方では空気がどんどん冷えていき、水蒸気が水滴になることで
発生する霧です。
山の下から見ると、雲になります。
検索で調べたらこんな記述が有った。霧の山、クマゼミがシャワシャワと鳴いていた。子供のころには風の山で一番でかいのは茶色いアブラゼミ、アブラゼミをクマゼミと言っていた
咲き誇っていたセッコクはすべて花を落とし、ナゴランが咲いていた。
何時ものモッコクの木に、2株花を咲かせていた。山仕事をしている、父の知り合いが持ってきてくっつけて行ってくれたのは、もうどのくらい前のことだろうか。20年にはならないかもしれない。
↓株はさほど大きくはならないが、自然に種がこぼれ、次世代が育っている。中ほど上の少し葉の広いのがナゴラン。葉の細いのはセッコク。セッコクは良く増える。
↓ウバユリ、夏宮の前集落の草刈りをする。草刈りの人が丁寧に刈り残してくれたウバユリ。咲き始めていた。春の艶々とした綺麗な葉と対照的に、花の頃の葉は汚い。
図鑑には、花期に葉が枯れていることから、『歯(葉)がない』語呂合わせからきた名というと、書かれている。
『ウバユリ(姥百合)ユリ科 ユリ属 花期 7~8月 分布 関東地方以西 四 九
オオウバユリというのは、中部地方以北 北 と書かれている。
特別関心もない花だったけど、こうして見るといいかなと思う。
W杯もスペイン優勝で幕を閉じた。昨夜は選挙速報を見て、サッカーを見て睡眠不足のまま風の山に行ってきた。酷い雨かと思ったが少し晴れ間もあり、道路に覆いかぶさっているアジサイを一株丸坊主にしてきた(笑)左手に見えるのが、花が終わり、強剪定したアジサイ。手前は遅咲きなのか今咲き始めたばかりだった。又天気の良い日に出直すこととする。
>滑昇霧(かっしょうぎり)
たくさんの水蒸気をふくんだ湿った空気が、山の斜面にそってのぼっていくことがあります。
暖かい山のふもとから高度を上げるにしたがって、山の上の方では空気がどんどん冷えていき、水蒸気が水滴になることで
発生する霧です。
山の下から見ると、雲になります。
検索で調べたらこんな記述が有った。霧の山、クマゼミがシャワシャワと鳴いていた。子供のころには風の山で一番でかいのは茶色いアブラゼミ、アブラゼミをクマゼミと言っていた
涼しそうに見えるけど蒸し暑い?
知床へ行く途中、車窓にこんな霧の景色が広がっていました。詩情を誘われますね。
ナゴランって素敵な花ね、こういうのを山で見つけたら疲れも吹き飛びそうです。
こちらのオオウバユリもう咲いているかなあ。
近いうち見に行ってこよう。
気温は低く涼しかったけんど、何せ霧に包まれると、有る意味水に包まれちゅうようなもので不快やった。
ナゴラン、実家で初めて花の咲いたのを見た時、野生ランの花でこんなのがあるのかと感心したと言うか、風の山近辺にナゴランが有ることに驚きました。綺麗ぜねえ。
実家は山の中やき、此処も自生みたいな環境。
手を加えることなく毎年咲いてくれる。
オオウバユリも、花期は同じみたいやき、もう咲いちゅうかもしれんねえ。また見せてね。
家の前の田んぼ、だいぶ稲が大きくなってきたねえ。
この田んぼの綺麗な石垣を見ると、先人の苦労が偲ばれて、いつまでも荒らさずに作らないかんという気持ちになります。
こんな綺麗な田んぼに杉や檜を植えるのはもってのほかだと思いゆけんど、山で生活が出来ん、住めんようなら仕方ないよね。
農は国の基、食物を作る人を粗末にしたらいかんと思うけんど。
日本の山村は限界集落ばかりになっていってこれからどうなるろう?
ナゴランは我が家でも今咲いています。
セッコクやナゴランはモッコクの木に馴染んですっかり気に入っている様やねえ。
雨やし行ってもしょうがないとは思うたけんど、便乗して行っちょいたら、一回帳が消えるろうという、ちゃっかりしたおばさん(苦笑)
子供のころから見慣れた石垣も、こうして見ると、山に戻したらいかんと思うねえ。
父は雑木林もなけりゃいかんと言う人で、みんなが道路の際まで植林しゆう時、植林もせんとそのままにするばあの人やき、遺思?をついで、この田んぼよう作らんようになっても植林はせんと、花の庭にでもしたらえいと思うねえ。けんど、私も何時までもようせんし。。そのうち山に戻るろうけんど、どうせなら自然林に戻したいねえ。
睡眠不足の方には 大仕事だったことでしょう。
ナゴランやセッコクが自然に増えているんですね?
きっと居心地が良いのでしょうね!
「雑木林もなけりゃいかん」
お父さまがお持ちだったその感覚に感じ入ります。
ご遺志を引き継ぐ風さんに エールを送ります♪
(本当は 農繁期には 手甲・脚絆(笑)で お手伝いに行きたい)
大きなモッコクの木は、苔がついちゅうき、ナゴランやら、セッコクの小さな種が着床するには都合がよさそうです。なかなか自分でそこらあたりに蒔いても、芽生えは難しいけんど、自然の力には恐れ入ります。
父の遺志を継ぐというより、適当というかいい加減というか。。(汗)
美人秘書、ジョルジュさんに農作業お手伝いして頂くなんてとんでもございません。
でも、手甲(私たちはテゴと言います)脚絆(キャハンハキャハンやねえ)似合いそうねえ
いろいろ書いたんだけど、手違いで、
消えてしまいました。
要するに、雑木林が必要だと言うことです。
そうなったらもう一度書く気力はないねえ。お気持ちよくわかります。ありがとうございました。
雑木林良い風景ですよね。
丸坊主アジサイ・・・
体調あんまりようないにありがとうね。
肩がつかえる(凝る?)とパソコン見るのはえいけんど、タイピングがつらいぜねえ。経験多々ありの私です
お大事にね。
丸坊主アジサイえいろう
来年が楽しみやねえ。