もういくら何でも、漬けなければいけないだろうと、実家に行ったのは3日のこと。
兄が植えてあった三月菜。全国的には高菜と言うらしい。村ではさんがつな、高知市内では大菜と言う。近所の人との話ではオオナと言い、村関係者との話では、サンガツナと使い分けている。
前置きはどうでもよい話でした。
その三月菜を洗って、半日ぐらい干すといいらしいというか、子どもの頃からそれを見てきた私は、早速洗って干してみたが、あいにくこの日は曇りがち、予報では雨も降りそうだとのことで、仕事日和ではないと思いながらも、行って貰える時に行かないと次はいつ行けるかもわからない。
しんなりもしないけど、気持ち乾かして、硬い所やあまり良くない葉は落として、4キロずつ、ビニール袋に入れて4袋。置き漬けにする場合は、塩をどればあ入れたらえいろうと言いながら、まあ最初はそれほど入れずに、6%ぐらいで様子見てみろうと言うことでそれぞれに塩を入れて、一袋兄に『ちゃんと世話をしいよ』と置いて来る。間の世話も大変。なんだかんだと有りながら、今朝ちょっと出してみた。
まだ中途半端だけど、食べられなくもない。 やはり何回か出た水を捨てたので塩分も薄めになっているので目分量で足してみた。
実家に置いてきたのも、気になるし、これも長く置くのなら、風の山の涼しい所がいいだろうと今度持って帰ることにした。
いつもと変わらず、ハナズオウや、ハナカイドウが満開だったが、ソメイヨシノは終わり。
今年のシダレザクラは、元気がなく。草刈りもしてやりたいと思いながら、その日の予定をこなすだけで背いっぱいで、思うことの半分も出来ない。
上の方は、割合綺麗に咲いていた。サクラの開花も段々早くなり。記憶があいまいになったが、父の葬式だったか、一年祭だったか見事に咲いていたと思うので、3週間以上早いと思う。
八重桜はまだ一部しか咲いてなかった。1週間後に今綺麗に咲いていると電話があったが、再々は帰れず、24日ではもう終わっているかもしれない。
母が元気だったころ、仕事仲間が持ってきてくれた、昔からある地元野菜の大根の種、此処で作っていたが、種がこぼれ今年もまた花咲いていた。子どもの頃は、大体の野菜は自家採取?勿論この三月菜も、桜島大根や、ナスやカボチャ、大豆や小豆殆どのものがそれで大丈夫だったのだというのも、今では考えられない。サツマイモなども、種芋を残しそれからツルを出させて植えていた。
随分手間暇なことをしていたんだなあと、今改めて思う。
帰り道、休憩に寄った場所からの海(琴ヶ浜)まだソメイヨシノも少し咲き残っていた。
古い話なので、コメント欄閉じさせていただきます。まだ書きたいことがあり、なかなか今に近づきません。
兄が植えてあった三月菜。全国的には高菜と言うらしい。村ではさんがつな、高知市内では大菜と言う。近所の人との話ではオオナと言い、村関係者との話では、サンガツナと使い分けている。
前置きはどうでもよい話でした。
その三月菜を洗って、半日ぐらい干すといいらしいというか、子どもの頃からそれを見てきた私は、早速洗って干してみたが、あいにくこの日は曇りがち、予報では雨も降りそうだとのことで、仕事日和ではないと思いながらも、行って貰える時に行かないと次はいつ行けるかもわからない。
しんなりもしないけど、気持ち乾かして、硬い所やあまり良くない葉は落として、4キロずつ、ビニール袋に入れて4袋。置き漬けにする場合は、塩をどればあ入れたらえいろうと言いながら、まあ最初はそれほど入れずに、6%ぐらいで様子見てみろうと言うことでそれぞれに塩を入れて、一袋兄に『ちゃんと世話をしいよ』と置いて来る。間の世話も大変。なんだかんだと有りながら、今朝ちょっと出してみた。
まだ中途半端だけど、食べられなくもない。 やはり何回か出た水を捨てたので塩分も薄めになっているので目分量で足してみた。
実家に置いてきたのも、気になるし、これも長く置くのなら、風の山の涼しい所がいいだろうと今度持って帰ることにした。
いつもと変わらず、ハナズオウや、ハナカイドウが満開だったが、ソメイヨシノは終わり。
今年のシダレザクラは、元気がなく。草刈りもしてやりたいと思いながら、その日の予定をこなすだけで背いっぱいで、思うことの半分も出来ない。
上の方は、割合綺麗に咲いていた。サクラの開花も段々早くなり。記憶があいまいになったが、父の葬式だったか、一年祭だったか見事に咲いていたと思うので、3週間以上早いと思う。
八重桜はまだ一部しか咲いてなかった。1週間後に今綺麗に咲いていると電話があったが、再々は帰れず、24日ではもう終わっているかもしれない。
母が元気だったころ、仕事仲間が持ってきてくれた、昔からある地元野菜の大根の種、此処で作っていたが、種がこぼれ今年もまた花咲いていた。子どもの頃は、大体の野菜は自家採取?勿論この三月菜も、桜島大根や、ナスやカボチャ、大豆や小豆殆どのものがそれで大丈夫だったのだというのも、今では考えられない。サツマイモなども、種芋を残しそれからツルを出させて植えていた。
随分手間暇なことをしていたんだなあと、今改めて思う。
帰り道、休憩に寄った場所からの海(琴ヶ浜)まだソメイヨシノも少し咲き残っていた。
古い話なので、コメント欄閉じさせていただきます。まだ書きたいことがあり、なかなか今に近づきません。