chuo1976

心のたねを言の葉として

ハレルヤ <Hallelujah>

2024-10-27 05:20:37 | 文学

ハレルヤ <Hallelujah>
作詞&作曲:Leonard Cohen
日本語詞:奥野秀樹

 

 

昔のことだけど 名前も知らない 誰かがギターを弾きながら
そして歌い始めた 張り裂けそうな声で 私の胸を叩いた ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

運命のように流れる 河を渡るには 私の舟は小さすぎる
あなたは遥か遠く 見えなくなるばかり 振り向いておくれ ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

月明かり 頼りに あなたを追いかけて 歩いても 歩いても 歩いても
出逢ってしまったことが 間違いだと言うなら 時計を巻き戻して ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

見えますか 虹が 道なき 道の 果てに広がる 虹が
歌うために生きよう 生きるために歌おう たった一つのハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

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いくたびも手紙は読まれ天の川

2024-10-26 05:00:24 | 俳句

いくたびも手紙は読まれ天の川
                           中西夕紀

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秋天に東京タワーといふ背骨

2024-10-25 05:42:39 | 俳句

秋天に東京タワーといふ背骨
                           大高 翔

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突抜ける青が好き青十月の

2024-10-24 05:33:00 | 俳句

突抜ける青が好き青十月の
                           北島輝郎

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十月のてのひらうすく水掬ふ

2024-10-23 05:50:23 | 俳句

十月のてのひらうすく水掬ふ
                           岸田稚魚

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CⅩⅩⅩⅩⅠ「あらくれ」1957を見る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2024/10/22

2024-10-22 16:40:23 | 映画

CⅩⅩⅩⅩⅠ「あらくれ」1957を見る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2024/10/22

  婚礼の日に飛び出した主人公、両親の怒り、結婚相手は、主人公を養育してくれた育ての親の息子、だが、養家の息子とはいえ、いやなものはいや、飛び出して、再婚とも、新婚とも、旦那の再婚相手、色男、だが、主人公に対して何所か不審で、直ぐに身ごもったのも、怪しいと、美しいばかりに、何所か不審がられて、溜らない主人公、働き者ではあるのだが、聞き分けなどは無い、夫は毎晩遊び暮らして、諍いから、喧嘩に、追われて、父親は困り果て、家にも置けずに、またしても、養家の両親に頼み込むが、既に、先の結婚相手息子には嫁が、居場所は無い、山間の村に、女中として送られて、そこに旦那が優しい人で、子供たちも可愛くて、だが、旦那の妻は病がち、故に、若い美貌の主人公に惹かれて、抱いてしまう、拒む主人公も、拒めずに、旦那のいたずらだ、だが、仕方ないでは済まされない、女将も組合長も、皆が分かってしまって、狭い山間の村、更なる、山奥の村に行ってくれと女将、受け入れるしかない、この旦那には、強引に、抱かれはしたが、惹かれるところもあって、恋してもいるのだが、女将と組合長の厭らしい関係、彼らは、己らに子とは棚に上げて、主人公と旦那のことをあげつらって、山奥に、それでも、それなりに暮らして、旦那はたまに訪れて、優しいのだし、いや、だらしないのだが、父は知って、やってきた、そんな不埒なことをして、妾の様に山の奥に住まわせるなどもってのほかと、確かに、理には叶っているとも、主人公は、それでも、旦那の許に居たいのだが、妻の病気が癒えて、屋敷に戻ってきているのだ、こうなっては、旦那も自由に動けない、所詮、囲い者同然の暮らし、父親とともに、山を下りて、さて仕事だが、叔母の家で、針仕事、腕は巧みで、体は丈夫、何をやらせても、見事なのだ、かくて、針仕事を見事に仕上げて、仕入れの男に見込まれて、これでミシンが有れば、なんでも出来ると、仕入れの男はこの主人公の腕と、美貌に惹かれて、店を出すことに、働き者の主人公は、仕事取りに走り回って、そこそこの暮らしに、街中に、見出す、過去の知り合いの女、再婚相手の幼馴染の女、落ちぶれて、過去の、女の妬みの厭らしさの愚かしさを晴らそうと、少し詰って、あしらって、別れて、散々に云われて、溜らない女、だが、すでに年も取って、今さらに、しかし、着飾って、営業して、上手く行っていたかの様に見えて、少し時が過ぎると、さんざんで、しかも、少し金が出来て、夫は、だらしなく、遊び人、これまで、何のため働き詰めで、疲れ果て、朝も起きられず、昼も、何所か、やっとの目覚めて、それでも、働かなくては、店には、若い者たちも、入ってきて、そこそこに、だが、旦那は、全くの遊び人に成り下がって、しかも、なんと、その妾にした、相手が、なんと、あの始まりで結婚した、いいなずけの女なのだ、彼女にとっては復讐のつもりなのだろう、知って、追いかけ、乗り込み、散々に、喧嘩し、殴りつけ、水を撒き散らし、旦那は顔に水を浴びて、溜らず、逃げ去るばかり、諍いの最中、相手の上に、跨って、殴りつける主人公の、元気、女の元気、近代化に日本など、破壊尽くせ、だが、それでいながらも、恋する旦那には、惹かれたままに、この両義性がよいのだが、かくて、覚悟の、主人公は、店を出る覚悟、若いやり手の男と、昔からの丁稚の少年を連れて、来てくれるかと、新しく私は始めるよと、笑みの若者、さて、この成瀬の映画だが、まさに、成瀬のシーンが、前半は屋敷の籠って、宿に籠っての仕事ぶり、養家の両親の前では、庇の横に、父の座る庭先の横に、ここでは、あの成瀬の、境界線、庇、の、間は、場は無い、ミシンを手にして、通りから見える、近所のバルコニー、そして、ミシンの音、次第に、いよいよ、最前線に向かうよとま合図、こうして、夫の浮気相手の屋敷の内側から、庭先を捕えるカメラ、雨の中、庇から、逃れ行く愛人、主人公はこの庇の間に佇み、成瀬の最善を生きる、雨の中、夫は既に、この庭に、さっさと逃げ去り、玄関から現れて、靴を手にして、逃げ去るのだ、一人この愛人宅の庭先の、ひさし、成瀬の最前線に、佇む主人公、素晴らしい、見事に成瀬の映画だ、そして、主人公は、そこから、外には決して飛ばない、戻って、後ろに下がって、若者と丁稚を呼ぶ、電話する、店先に向かうのだ、今や、ついに、成瀬の最前線に、辿り着いたのだ、これまでの仕事は、何所か、夫のため、だが、今や、始まりだ、始まりだ、

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露の身を置く宮殿の鏡の間

2024-10-22 05:44:45 | 俳句

露の身を置く宮殿の鏡の間
                           大木さつき

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ノーベル文学賞 ハン・ガン

2024-10-21 06:31:53 | 文学

無念さ、生きられなさ、人類の小さな声 ノーベル文学賞にハン・ガンさん 寄稿・斎藤真理子


 この世の最も残酷な場所から響いてくる、あまりに親しみに満ちた声。血の通った、そして血を流しつづけている人類の小さな声。
 ハン・ガンの小説にはそれが充満している。
 「歴史的トラウマに立ち向かい、人間の命のはかなさをあらわにした強烈な詩的散文」
 授賞理由のこの部分を読んだとき、とても韓国らしいと思った。「歴史」と「詩」は、韓国文学のキーワードだからだ。いや、韓国自体のと言ってもいいのかもしれない(さらに言うなら朝鮮半島全体がそうかもしれない)。
 日本による植民地支配、南北分断、朝鮮戦争、そして軍事独裁政権による人権弾圧。韓国の現代史は満身創痍である。その中で長い間、詩人の想像力は武器であり、希望だった。ハン・ガンももともとは詩人で、デビューしたのも小説より詩が先である。
 詩的散文とはどういうことだろうか。それは単に、語彙や表現が詩のようだということではない。生と死の境界、夢と現実の境界を突破する、繊細にして強靱な文体が評価されたのだ。
     *
 ハン・ガンを世界的に有名にした『菜食主義者』は、社会に蔓延する暴力の一切に耐えられなくなり、食べることを拒否する女性を幻想的に描いたものだ。その後、光州民主化運動(光州事件)を扱う『少年が来る』や、済州島4・3事件を扱う『別れを告げない』など、歴史の傷跡を描く大作が生まれた。ハン・ガンの作品の中で、個人の傷と歴史の傷は不可分で、相互が分かちがたく渾然となったさまがありありと描かれる。
 「私たちに過ちがあるとすれば、初めから欠陥だらけで生まれてきたことだけなのに。一寸先も見えないように設計されて生まれてきたことだけなのに」(「明るくなる前に」『回復する人間』所収)。これはハン・ガンの短編小説の中で、母との関係に悩む女性に対して発せられた言葉だ。一人ひとりの人間も、世界も、欠陥だらけで、一寸先も見えないことでは同じである。
 大事なのは、韓国においては長らく、追悼すら禁じられた時代があったことだ。光州民主化運動も済州島4・3事件も、追悼集会はおろか公に言及することもできず、映画や小説への作品化など、民主化前は絶対に不可能だった。無念の死、不条理な死は蓄積され、癒えない傷は癒えないまま、風化することすら許されなかった。
 作家は決して国籍や出生地に縛られない。しかし現代のさまざまな「生きられなさ」を追ってきた作家が、生まれた土地に蓄積された無念の死、封じられた声へ接近したのは必然だったろう。それを韓国一国でなく人類の経験として書ききったところに、今回の授賞意義があると思う。ハン・ガンの仕事の核は、これほど悲惨なことがあったと知らせることではない。最大の危機のときもこのようにして人の尊厳は存在しうるのだと示すことである。
     *
 各地で戦争が激化し、毎日遺体が運ばれてくるのに何を祝うのかとハン・ガンは言い、記者会見を固辞したそうだ。ガザのジェノサイドは、今すぐにでもやめられるはずのものである。光州事件も済州島4・3事件もそうだったはずだ(4・3事件が起きた1948年は、パレスチナでナクバが起きた年でもある)。無念さが、今日も現在進行形で反復されている。
 ハン・ガンの意思表明に同意する人は多いだろう。と同時に、アジア人女性初の受賞を喜ぶ私たちの気持ちを作家が受け止めてくれていることも、間違いない。だから、おめでとうを言った後、それぞれのやり方で、この世の最も残酷な場所へ心を寄せたいと思う。静かに本を読みながら。
     ◇
 さいとう・まりこ 翻訳家 1960年、新潟市生まれ。『すべての、白いものたちの』『別れを告げない』といったハン・ガンさんの作品をはじめ、韓国文学を多数翻訳。著書に『韓国文学の中心にあるもの』。

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白露や死んでゆく日も帯締めて

2024-10-20 06:19:11 | 俳句

白露や死んでゆく日も帯締めて
                           三橋鷹女

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CⅩⅩⅩⅩ「進めオリンピック」1932を見る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2024/10/19

2024-10-19 16:55:26 | 映画

CⅩⅩⅩⅩ「進めオリンピック」1932を見る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2024/10/19

  波止場、営業マンを待つ男、そこに駆けつける主人公、ブラシの営業マン、走る走る、美しい娘と幼い弟の二人と衝突、こうしてアメリカと、この愚かしい国の改めての再会、恋、一目ぼれの主人公、娘もまんざらではない、語らう二人、嫉妬か、弟が主人公に矢を射る、お尻に突き刺さって、これも再会の一つか、主人公は急ぎで、波止場の待ち合わせの時間に遅れていたのだ、馬車タクシーを呼び留めて、御者が降り立つと、何とも背の高い男、膝まづく御者、実はこの馬車は、王様の馬車、娘は王様の娘なのだ、知らず、タクシーと思い込んで乗りこむ主人公、走る走る、馬車の中、王様の演説、繰り返される帽子のずれ、落下、苛立ちかぶり直す王様、波止場では船長は時間だと、いま少しとビジネスマン、やっと馬車が着いて、走る走る、主人公とビジネスマン、話がすれ違って、主人公にとっては、恋こそが、ビジネスマンとお別れ、かくて、主人公のこの国での仕事の再開、いや、恋の再会、娘を求めて、きっとあの弟と一緒だろうと、また弓を射ってもらいたくて尻を出す、かくて、二人は再会して、王様と臣たちの閣議、長テーブル、何時も勝負しか頭にない王様、一人一人、腕相撲、全てに勝ってご満悦、納得のいかない臣たち、彼らは、王様の傲慢な権力を貶めようと狙っている、こんな彼らの影に隠れて、忍びの男、黒づくめ、斜視の不気味な男、隠れて、伺ってメモを取って、誰のスパイだ、臣たちの、集まり、娘は王様に、父親に、主人公を紹介しようと、お屋敷の中、探していて再会できたのは、御屋敷の壁の内側で、花占いの娘の声が聞こえて、主人公は壁をよじ登り、中の様子を見ると花占いの娘が、御屋敷の囲いの壁の上に上り落下する、大の字に倒れこむ主人公、だが、漸くに再会、こうして、招かれてお屋敷の中、ドアの前、王様の部下たちが、散々に、投げ飛ばされて、ここでもまた勝負が行われたか、困惑気味の主人公、追われるように外に、お屋敷の窓から見える、部下と主人公の姿、娘と王様の立ち姿の、ガラス越しの、庭に、遠く見える、部下と主人公、まさに、これは、バッゾリー二ではないか、かの権力構造の中に、入りこんだ主人公、アメリカ、始まりの馬車もまた、タクシーのごとに止めてしまって入り込んだ、この度も、お屋敷の壁を乗り越えて、落下した、そして、また弟の矢が当たる、お屋敷の内と外の、権力構造、支配者と、被支配者、その間を行き来する主人公、果たして、この権力構造のなか、いかに、どこに、何やら、不審な王は、ガラスを割って、怒鳴り散らす、全ては、己の采配の中にないと、許せないのだ、ブラシを手にしている、部下たち、ビジネスの始まりとも、さて、臣たちは、庭の中、大木の横、地下の秘密のアジトに、臣たちが固まると、地下に降り立つ昇降機、主人公と娘もまた、歩いて、この大木の横、椅子に座る娘、これがスイッチ、地下のアジトに、臣たちの、たくらみを知り、臣たちの前に現れた美貌の黒衣装の娘、歌、踊り、男たちは、見事に貶められて、これこそが、臣たちの狙い、このむすめならば、王を篭絡できると、王様によって、体の上げ下げで弄ばれていた執事、娘と主人公の様子をさぐり、ぬいぐるみの被り物で、伺う、娘と主人公は、この化け物から逃れようと、車を走らせて、ボートに乗り、馬に跨り遁走、だが、走りの速い執事は、走る走る、二人が、逃れて、もう大丈夫と安心していると、その横に寛ぐ執事、先についていた、何とも、驚きの走り、二人は美しい風景の橋の上、お宝か、古い破れた布地、何やら曰くが、が、間違って、川に投げ落としてしまう、ところがなんと、娘が欄干から舞い飛ぶのだ、慌てる主人公、浮き輪から、なんでも、投げおろして、子供まで、だが、流石に投げられない、すると、娘はさっさとお宝を手にして、泳ぎ川岸に、走りといい、飛び込みといい、王の腕相撲、手を握りあってのレスリングといい、スポーツ万能の人々、名前は、娘の名を呼ぶと、皆がはいと、夫人も、娘も、老婆も、赤ん坊も、今度は、村の中、ここでも、見事に小川をを飛ぶ男の姿、男の名を呼ぶと皆がまた、集まってくる、資金難の国を助けるべく、オリンピックに参加することにしたのだ、こうして、万能選手たちを求めて、そして、あの破れたシャツ、何やら過去の曰く付き、こうしてロサンゼルスオリンピックに向かうのだ、競技に勝利すれば、金が手に入る、まさに、アメリカの資本主義の出番とも、恋のため、国を助けるため、相変わらずのスパイの蠢き、船の中の選手たち、そこには、臣たちも、彼らの企みの怪しい娘もまた、乗り込んでいる、王と臣たちの、壁を挟んでの覗きあい、ついには、紐で繋がって、壁を壊してしまって、娘と主人公のデイト、そこに、入り込む怪しい娘、歌とウクレレ、恋する娘の嫉妬、付きまとう怪しい娘、アメリカについて、列車の中、その横を走る、執事の男、走りの鍛錬に余念がない、こうして、到着の列車、だが、見当違いの駅、そんな列車の機関士は何と弟ではないか、やっとのことで、目的地に、選手たち、宴の席、そこにあの怪しい娘が現われて、皆が惚れこんで、選手たちの格闘、諍い、血みどろの、かくて開会式、他の国の連手段に引き換え、この国の選手たちは、怪しい娘にそそのかされて、怪我して、杖ついて、の、行進、これでは、勝利は望めない、何とか巻き返そうと、娘の活躍、怪しい娘に対抗して、水着姿で現れて、飛び込みに参加、見事優勝、このむすめに圧倒されての怪しい娘、選手たちの前、怪しい娘の、たくらみが暴かれて、かくて、選手たちの、覚悟、やる気、こうして、それぞれの種目で、大活躍、あの走りの執事も、スタートしないが、娘のスクーターの走りにそそのかされて、走り出し、優勝、かくて、王の参加する重量挙げ、王と臣の優勝争い、臣のためには怪しい娘が腰振りダンス、一方疲れ切った王には、怒らせれば力を発揮すると、娘は主人公に、王の足を踏ませるのだ、個の怒りで、見事に持ち上げ優勝、かくて、国の勝利、資金を獲得して、そこにアメリカのビジネスマンが現われて、王と握手、アメリカのビジネスの参加、手を握り、結局、アメリカビジネスマンの腕レスリングの勝利、転がる王、主人公の勝利、ビジネスマンの勝利、アメリカの勝利、恋の勝利、そして、娘たち、国の者たちの、運動能力の勝利、二十世紀の混沌は、まさに、この映画のごとく、帝国主義とは、こんな愚かしい空回りのこと、今日もまた、ロシアも、イスラエルも、イランも、アメリカも、ユーロも、同じ、愚かしい、帝国主義の傲慢なビジネスと空回りの中に、スポーツも、戦争も取り入れて、

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf