鉛の遮蔽版 「第2章 作業員の被ばく隠しー2012年」より
(『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』 片山夏子 2020年)
1号機の原子炉建屋で、高線量の場所の線量を下げるために、鉛の遮蔽版をおいてくる作業はさらに過酷だった。防護服二枚重ねに全面マスクをつけ、20キロの鉛板を入れた長めのリュックサックを背負い、原子炉建屋の急階段をビル6階の高さまで駆け上がる。一つの班が駆け上がっている間、別の班は階段脇で待機。「いくぞ」と合図が出ると、作業員たちが鉛板を持って駆け上がり、壁のS字フックに鉛板を引っ掛けるという作業をリレー方式で繰り返した。壁に鉛板が掛けられ、放射線が遮蔽されることによって、1号機の建屋内で作業できるようにするための準備だった。
建屋内は高線量の瓦礫が散乱しており、もたもたしていると、被ばく線量がどんどん上がる。暗い中、ヘッドランプの光だけが頼りだが、数が足りず、つけるのは先頭の人だけだった。男性は、両手で階段の手すりを触って確かめながら必死で走った。線量計の警告音(アラーム)は鳴りっぱなし。緊張と息苦しさで心臓が破裂しそうになり、パニックに襲われる。「早く終われ、早く終われ」。呼吸がどんどん苦しくなるなかで、男性は心の中でつぶやき続けた。駆け上がった先で倒れた60代の男性作業員もいた。
このとき男性が建屋内にいた時間は10分弱だったが、2・4mSv被ばくした。なかには3mSvを超えた人もいた。1チーム10人。男性のチームだけで約400枚の鉛板を運んだ。
男性が福島第一にいたのは1ヵ月あまりだったが、計12・8mSvを被ばくする。作業員の被ばく線量が「5年で100mSv」と考えると、半年分以上をわずか1ヵ月で使い切ったことになる。(p-150)