ⅭⅩⅩⅤ「見えない流れ」2020を見る聴く、 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ 2023/9/10
海の上、フェリー、バイクに乗るカップル、船の走行でバイクの疾走のごとく、それほど早さは感じないが、背景の動き、海の中、風の靡き、二人はどこに、観光旅行、遣ってきた大きな寺、大仏、カラフルな仏像、高見のバルコニー風の見晴らし、そこにブルーの傘を差す女、パンして、高見の下の崖を走る犬、カメラワークの素晴らしさ、しかし、始まりの二人と、女と犬との関係は、何も定かでないが、カップルから寺、寺から見晴らしの女、女から犬、このパンに、何を見る、そして、釣りをする男、裸の男、見晴らしにいた女との語らい、正面を見つめる女、男との過去、愛人、果たして、このシーンは、高見から見つめる女の幻想か、いや、釣りをする男の夢の中、バイクの若い二人のごとく、過去に、こうして、この地に旅に訪れた二人なのかもしれない、犬が走る、岩を登ろうと、誰の犬か、野良犬か、寺の犬か、解らないままに、若くない二人、男と女、何を求めて、過去、いや、これからの二人、未来の二人、老師と若い坊主、若いカップルの問いかけ、もっともらしく、語る老師、説教、確かに、正しいお言葉、だが、若者達に伝わったろうか、何の苦悩もなく思われたが、若い坊主は家族を失っている、若いカップル、結婚するのか、だが、未来が掴めない、見えないままに、生活が、当てない二人、寺、祈り、しかし、祈りに遣ってきたとも見えない、家族を失った若い坊主もまた、この地に、何を求めて、祈り、釣りの男も、海、波、光、輝き、ブルーの傘、女、犬の走り、前のしーン反復、だが、画面の色彩を人工的に変えてのショット、だから、これは、誰かの幻想シーン、いや、全てが、そもそもにおいて、幻の世界ではないか、若者の、女の、男の、若い坊主の、犬の、老師の、祈り、幻想、錯覚、この多様な、時空、世代を超えて、釣られたた魚も、犬も、交えて、風景、海、寺院、建築物、観光、こんな世界に、招かれて、孤独、この孤独な、彷徨いの外は、有るのだろうか、一人、涙に暮れるカップルの若者、今、カップルの若者と娘と老師と若い坊主と若くない男と若くない女と犬と魚を乗せた、観光であり、近代化で有る寺院は、どこに、如何に、いや、寺院自体もまた、海の中に、浮いているのではないか、漂うてあるばかり、ベトナムが、世界が、視線の交わりから、遠く隔たって、孤独に彷徨うてあるばかり、若者の涙は続く、そして、若くない、男と女に成り果てて、若い坊主は、老師に成り果てて、犬と魚もまた、反復されて、この哀しみの、祈りとは、