米国で有毒物質を最も多く排出する意外な街
自給自足の伝統的な暮らしを脅かす鉱山による汚染
極北の街コッツビューは、米国アラスカ州の北極圏、チュクチ海の入江に位置する。街には「ヌラグヴィク・ホテル」というホテル、数軒のB&B、いくつかの教会とメキシコ料理を出すレストランがある。3500人の住人の約70%が「イヌピアト」という先住民で、伝統を強く残した生活を営んでいる。
住民の多くはできるだけ自給自足の生活をしようとしていて、海でアザラシを獲ったり、ツンドラの大地でガンやライチョウ、ヘラジカ、カリブーを獲ったりしている。ちなみにこの辺りのカリブーは、最近の調査で25万9000頭が確認されたアラスカ最大の集団だ。
ただし、コッツビューにはもう一つ、あまりうれしくない特色がある。この点については、米国環境保護局の有毒化学物質排出目録(Toxic Release Inventory:TRI)という、一般の人にはほとんど知られていないデータに詳しく記載されている。(参考記事:「こんなにうじゃうじゃいるのはなぜ? 野生動物が群れる理由とは」)
34万トンの有毒化学物質
TRIは、製造業、鉱業、発電などの産業関連施設に対し、リストに記載されている約650種類の有毒化学物質の排出量を報告するよう義務付けている。2016年のTRIのデータが昨年公開され、米国で最も汚染されている街がコッツビューであること、じつに34万トンもの有毒化学物質を排出していることが明らかになった。これは、鉄鋼業が盛んなインディアナ州ゲーリー、鉱山で有名なネバダ州バトルマウンテン、ミシシッピ川流域に多くの石油化学プラントがあるルイジアナ州ルーリングよりも多い。(参考記事:「銀山からリチウム産地へ、米ネバダ州」)
「報告書を見て驚愕しました」と話すのは、アンカレジを拠点として環境健康研究と権利擁護のために活動する「有毒物質問題に取り組むアラスカ・コミュニティー・アクション(Alaska Commynity Action on Toxics:ACAT)」のパメラ・ミラー事務局長だ。
ミラー氏は、コッツビューから排出されているとされる有毒物質のすべてが、街から北に130キロほどのところにある世界最大級の亜鉛・鉛鉱山「レッドドッグ」から出ていると指摘する。排出されているのは鉛とカドミウム、そして水銀だ。これらの元素は人体に有害で、環境に長い間とどまる。この地域特有の強風に吹き散らされた物質は地衣類に蓄積し、その地衣類をカリブーが食べ、カリブーを人間が食べることになる。
「この土地は、将来にわたって汚染されつづけるのです」とミラー氏。「食料を自給自足している人が多い地域なので、非常に心配です」
レッドドッグ鉱山
1989年に開業したレッドドッグ鉱山は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州の金属鉱山会社「テック」が経営している。鉱山はアラスカ先住民の会社「NANA」が所有する土地にあり、NANAの株主600人が鉱山の従業員または請負人として働いている。NANAのウェブサイトによれば、レッドドッグは単なる鉱山ではなく、「アラスカ北西部とアラスカ州全体の希望であり、触媒」であるという。
テック社のクリス・スタンネル上級広報担当官は、TRIの報告書にある排出量は、人里離れた鉱山の採掘現場で出る大量の岩石や鉱石についてのものであり、これらの物質は、州と国の許可の下、貯蔵設備の中でしっかり管理されていると説明する。彼は、「2016年について言えば、TRIの報告書にあるレッドドッグ鉱山からの排出物の99.93%以上が現場の選鉱くず貯蔵所にありました」と言い、このような物質が出るのは「採掘プロセスでは普通のことであり、環境に影響を及ぼすものではありません」と付け加える。
実際、コッツビューの市職員は、有毒物質の排出についてあまりよく知らないようだ。市政担当者のビリー・ライク氏は「私が知るかぎり、鉱山は安全です」と言った。「有毒物質の排出については、全然気づきませんでした」
しかし、コッツビューから海岸沿いに約145キロ北の、レッドドッグ鉱山に近い先住民の村キバリナでは、鉱山への懸念が高まっている。
キバリナ村はウリク川の河口付近にあり、村人はこの川から魚や水を得ている。レッドドッグ鉱山の近くから始まるレッドドッグ川は、ウリク川の支流の1つだ。鉱山から出た水は法律に基づいて、廃水処理後にレッドドッグ川に放流されている。(参考記事:「ブリストル湾、アメリカ河川の危機」)
「近年、特に新生児について、これまでにない病気を見たり聞いたりするようになりました」と、村の中心的な人物であるミリー・ホーリー氏。彼女によると、心疾患のある新生児が増え、数百キロ離れた病院に手術を受けに行った幼児もいたほか、ティーンエイジャーの腎疾患も問題になっているという。「子どもたちの病気は、私たちがこの25年間、レッドドッグ鉱山からの水を飲んでいるせいだと思います。けれども、その証拠がないのです」キバリナ村の不安
ホーリー氏によると、キバリナ村は2014年にこの地域の汚染について環境アセスメントを実施するよう環境保護局に申し入れをしたが、NANAとテック社にそのことを知られ、アセスメントはまだ実施されていないという。村は現在、NANAやテック社と非公式の話し合いをしている。「まだ取り組みの途中なので、話し合いの結果についてお話しすることはできないのですが、私たちが特に心配しているのは村人の健康です」とホーリー氏は言う。
キバリナ村は、以前からレッドドッグ鉱山と対立してきた。鉱山からの鉱石は80トントラックに載せられ、鉱山とチュクチ海の港を結ぶ全長80キロの道を運ばれる。港に着くと、鉱石は建物内に保管され、その後、はしけで沖合の大型運搬船に運ばれる。運搬道路はケープ・クルーゼンシュテルン国定公園の一画を通っている。米国国立公園局は2001年の報告書で、この道路沿いと港の保管エリア付近の植生に含まれる鉛、カドミウム、亜鉛の濃度が上昇していると指摘した。特に鉛とカドミウムの濃度は、「中欧と東欧の高汚染国の多くとロシア西部全域」の汚染レベルを超えているという。(参考記事:「ロシアの川が真っ赤に、工場の排水が原因か」)
この報告書によりキバリナ村の汚染が懸念されるようになり、テック社は汚染防止に力を入れるようになった。運搬道路を走るトラックは徹底的に覆われるようになり、道路沿いの排出量はテック社が監視し、アラスカ州環境保全局に報告されるようになった。鉱山はまた、アラスカ州魚類鳥獣部と協力してカリブーの肉や内臓に含まれる汚染物質を分析し、カリブーを食べるハンターの健康に影響を及ぼす恐れがないか評価している。スタンネル氏によると、先住民のハンターからなる独立の委員会も定期的に会合を開き、鉱山がカリブーの群れに及ぼしうるリスクについて話し合っているという。(参考記事:「動物の命を脅かす有毒物質の流出」)
「汚染があることは事実です」
それでも、米国立公園局の科学者らが2017年に科学誌『PLOS ONE』に発表した論文によると、2001年から2006年にかけての運搬道路沿いの重金属濃度を分析した結果、「一時的な粉塵の飛散量は大幅に低下したものの、運搬道路沿いの亜鉛、鉛、カドミウムの濃度はいまだに高い」ことが明らかになったという。国立公園局のアラスカ地区の生態学者で2017年の論文の共著者であるピーター・ネイトリック氏は、「ケープ・クルーゼンシュテルン国定公園内の汚染物質は重大な問題で、特に監視に力を入れています」と言う。(参考記事:「オバマ大統領が非常事態宣言、水道鉛汚染の現実」)
国立公園局のマイヤ・カタク・ルーキン氏は、ケープ・クルーゼンシュテルン国定公園、ノアタック国立自然保護区、コバック・バレー国立公園を含む北極圏西部草原地帯を担当する監督官だ。彼女はネイトリック氏の研究を引用して、「汚染があることは事実です」と認めるが、「『汚染』という言葉を使うと恐ろしいことが起きているように聞こえますが、許容限度内です」とも言う。
ルーキン氏は、レッドドッグで採掘されている鉱床は常にテック社と国立公園局が確認していると指摘する。「鉱物の採掘には責任ある採掘と無責任な採掘の2種類がありますが、レッドドッグ鉱山は環境への影響を和らげるために全力で取り組んでいる段階に入ったと思います」と言う。(参考記事:「むしばまれる自然:エルクバレーの炭鉱」)
ルーキン氏は、クルーゼンシュテルン岬の先端で電気も水道もなく狩猟生活を営む「シェシャリク」という小さなコミュニティーで育った。「先住民は、大地が人間を生かしていて、人間が生きるために大地の世話をしなければならないことを、生まれたときから知っています。その歴史は私たちのDNAに刻まれています」と彼女は言う。
「私が国立公園局で働こうと思った理由の1つは、この仕事がイヌピアトと非常に近い価値観にもとづいているからです
アラスカの鉱業の未来は?
アラスカの鉱山をめぐる論争は終わらない。現在、アラスカ北西部ではアンブラー・ロードをめぐる論争が激化している。アンブラー・ロードは、内陸の鉱業地域をアラスカ中心部のダルトンハイウェーと結ぶ全長340キロの産業用道路だが、計画されている道路のうち約30キロが国立公園局の土地を横切ることになっている。また、アラスカ南西部では、ペブル・リミテッド・パートナーシップが金、銅、モリブデンを豊富に含む鉱床の採掘を計画していたが、2014年にオバマ政権により差し止められた。昨年5月に環境保護局のスコット・プルーイット長官が再考を発表したものの、100万人以上におよぶ関係者の声を受け、この1月に再び中止された。(参考記事:「アラスカの鉱山、最大サケ漁場を汚染?」)
環境保護局が1月26日に出した声明には、「パブリックコメントからコミュニティーミーティングまで、利害関係者が強調していたのは、すばらしい鉱山ベンチャーと、世界最大級の商業用漁場へのリスクとをはかりにかけることの重要性だった」と記されていた。
レッドドッグ鉱山は2031年まで採掘を許可されている。ミラー氏は、この鉱山が「スーパーファンド・サイト(環境汚染がひどく、閉鎖後の除染に巨額の資金が投入される鉱山)」になるのではないかと心配している。テック社のスポークスマンであるスタンネル氏は、レッドドッグ鉱山は閉鎖後にスーパーファンド・サイトになるのかという質問には直接答えず、テック社は「閉鎖後の完全な再生を約束する」とだけ説明した。(参考記事:「米国 汚染地に暮らす」)
アラスカの住民の多くがNANAの哲学を受け入れ、ひとつの地域から鉱物と食料の両方を安全に得られると信じている一方で、ACAT(有毒物質問題に取り組むアラスカ・コミュニティー・アクション)のミラー氏は、資源採掘経済に批判的な目を向ける人々が増えていると感じるという。「彼らは、鉱業は短期的な経済的恩恵をもたらすだけで、長期的には州の自然やコミュニティーに悪影響を及ぼすのではないかと心配しています」
アラスカ出身でコッツビュー在住のベストセラー作家セス・カントナー氏は、「私はこのブルックス山地で、大地の恵みを受けて生きてきました。狩りをし、漁をし、罠を仕掛け、ベリーや薪を集め、小川のきれいな水を飲んで暮らしています。私は芝土の小屋に住んでいますが、グリズリーが屋根の上を歩き、カリブーの群れが玄関の前を通っていきます」と言う