がんになってもぽじぽじいこか

2012年6月食道がん発見、53歳でした。始めての体験で体当たりの治療とリハビリ。見つけたものも意外にあり!

抗がん治療が終わって1年、まだ髪は短いかな(髪はもとに戻るからいいな)

2013-08-03 22:41:09 | 抗がん治療
2回目の抗がん治療から1年経った
そうであった。
去年の夏は髪が抜け続け、秋になってもずっと抜け。
ハゲ化進行中だったじきである。
朝起きると枕元においてあったガムテープで髪をぺたぺた拾う。
人間にはこんなにいっぱい髪があったのか、と感じたものだ。
束ねてしまうと直径2cmくらいのものだが、本数にするともの凄くいっぱいなんだなと。


まだ、「髪切ったんですか」といわれることがある
がんが解って短く切った。
長~い髪が抜けるのが耐え難かったから。
よく、抜けた。
頭は生まれたてのトリのようになった。
頭の形が薄毛に透けて、ひなのようだった。
4ヶ月くらいでうんと短い髪が頭を覆いだした。
私はくせ毛である。
短いと癖は激しくなる。
上方向に生えだした。
この頃10cmくらいになり、オニの子のような頭はオバンパーマ状になって来た。

それでも、けっこう「あれ、髪短くしたの?」と会う人にいわれることが結構ある。

私には長い一年もそうでもないのかな。


髪のように体力も戻ってほしい
がんの記憶をなくしてしまいたい欲望がしばしば私を襲う。
ばかだなあと思うのだが、そう願ってしまうのだ。
都合良く人間は出来ているんだろうな。
いやなことは忘れたい。

忘れている時間が増えて色々なことが出来たら、それだけでいいや。

まだまだからだは思う半分も動かないが、いろいろやってみようかな、と思う。
出来ること、増やそうと思っている。

今日はくたびれてだ~ら~な夜ですが、いいんです。

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発展途上です、未だ大人ではないし、おろおろ。だからいいのかも。

2013-07-02 19:53:12 | 抗がん治療
もうじきおかしくない頭になる
去年の今日、第一回めの抗がん治療をスタートした。

私の場合、ようやくおかしくない髪型になってきた。
本当に一年。

すぐには抜けない
抜け始めたのは3週間経ってからだったと思う。
頭の皮膚がちかちか痛いなあと思ったら洗髪時にごそっと抜け始めた。
でも、髪の毛っていっぱいあるから薄くなった感じがはっきりわかるようになるまでにはすごく時間がかかった。
ずっとずっと抜けた。
抗がん治療を終えてから2ヶ月経っても3ヶ月経っても抜けた。

半年前、始めてカットをした
薄毛、ハゲっぽく、する~~っと少ないくせ毛が生えているのはもの凄く気持ちが悪い。
うんと短い細毛が生え始め、地肌がややかすかに隠れ始めた時にカットをしてもらった。
(一月くらいかな、カツラとか色々カミングアウトしたと思う。12月?)

でも薄毛。地肌が見える。とてもである。
残った髪の毛は偉いと思った。

その後、苦労も
ベリーショートで格好のつく髪質の人ならいいんだけど。
私はくせ毛。
当初髪は上方向にのび、角刈りの羊ような有様に。
いくらカットしてもらっても髪は上方向に生え、うねりをもってバネ状に生えて行く。
この髪質は長くしないと炸裂状態になる。
長く伸ばせば大きなウエーブになるが。
本当にいやだった。
あうひと毎に「どうしたの!その頭!」と言われたし。
ま、慣れます、です。

未だ大人じゃないもん
だいたいねえ。完成なんかしてないもん。
分別臭いこというようになりたくもないし。
悩んだっていいじゃないか。
はげたっていいじゃないか。

そういうのは、原因結果が誰にでもわかることだから、
だからつらいこともある。
だが、だから言いやすい悩みとも言える。

今、一人で暮らしている。
好きだった人と暮らしたりしたこともあった。
恋愛は成就の方向性をもつものである。
私は、どの恋も一緒にいられない人だと結論を出すしかなかった。
その痛みとがんの痛みでは、どっちが苦しいか、で言えば、恋愛の相手を心から追い出す方がつらかったかも。

その度にたくさん周囲には友人がいてくれたなあ。

未だ、勉強中。
まだまだいいことある予感。
事態は変わらなくても、考え方で心は楽になる。
ぽじぽじいこか。

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カップみそ汁とカップスープ(抗がん治療の入院中、私を助けてくれた)

2013-06-07 19:45:09 | 抗がん治療
コンビニカップみそ汁売り場でふと思い出した
コンビニでちょっとした手みやげを探していてうろうろ。
カップみそ汁がならんでいるのに目がいった。

よく買ったものだなあ、と懐かしく思った。

抗がん治療中、喉をとおるものが少なかった
あまり食べられないと、ベリー食という献立から選ぶ配慮をしてくれる。
ベリーって何だろ。berryではない。verryでもないだろうな。
アイスクリーム、シャーベット、フルーツ盛り合わせ、カレー、ポタージュ、コンソメから選べるのだった。
カレーもそういう時は意外にいけるよと進められたがめげていた。
シャーベットとコンソメは手作りでおいしかった。
本当にコンソメは特においしく感じた。レストランの手作りだろう。

そこから少しずつ食べる意欲が出た。
何か絶対に食べるぞ、病院1Fにおりる。
レストランにはコンソメスープはなかった(いえば出たかも)
コンビニでカップみそ汁、クラムチャウダーを買って来ては食べた。

普段なら絶対買わない。
でも実によく買った。
特に好き合ったのがアサリ。(圧倒的に好き、貝が丸ごとはいっているのが面白かった)
豚汁。生海苔。
スープではクラムチャウダー(圧倒的)マカロニがはいったチーズ味。
卵とじの中華スープ。

私を支えてくれたんだなあと懐かしく感謝する(でも今は買わない、量が多すぎる)
また海外旅行にももっていった(でも今は買わない、同じ理由)

家に帰ってその頃のノートを見る
入院中のこのノートは裏表紙にあらゆるパスワードが書いてあって今ではそこだけ重宝している。
中身を久しぶりに見た。

摘出後とは違う世界だが、つらくて頑張っている私がいた。

「なんでも苦くて食べられないけど、お粥は食べられた。」
「永谷園のお茶漬けのもとでご飯は食べられた。」
「友人がフルーツいっぱい買ってくる。かなり食べた」
「娘が買って来るものは目新しいものばかり。ビスコッティを珈琲につけて少しだけ食べた」
「紙パックの野菜フルーツジュースを飲む」

ちょっとだけ私って偉かったなと思う。

生ジュースを家で飲んでいても文句を言わず、今あるなかで食べられるものを探す感じ。
添加物がはいっておろうがおるまいが必死で食べるものを探す。
そのどん欲さが偉かったと今は思う。

今日は好きだな、わたし、と思える。


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抗がん治療のあとが爪にくっきり

2013-01-07 17:16:26 | 抗がん治療

こうもくっきりあとが残るってことはそれなりのダメージがあったという事なんでしょう。
大変な闘いを勝ち抜いて来たんですね。
かなり健康管理に気を使っていたつもりでも、疲れてうつらうつらしている事が多かったものね。
時には本を読みながら知らぬうちに寝ていて、夢の中で勝手に話を作って読んでいた自分に目が覚めて気がつく。
現実と夢の境目がはっきりしない時もあった。
寝ぼけてリアルに夢を現実だと思い込んでいることもあった。
おそろしや、おそろしや。
ぼけ老人の気持ちがわからぬでもないところまで来てしまったりするのだ。
退屈しているのではないかと本がたくさん差し入れられた。
しかしほとんど読み始めて気力を失い寝てしまっていた。
本の虫だったのに、読む気力がない。

この時期、面倒な事からわたしは逃げた。
母親にがんの事を教えなかった。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ事が予想されたし(それもほぼ99,9999・・・・%という高確率で)泣き顔を見るのもいやだった。
同じ考えで親に隠し通そうという人もいた。
なんと彼女は親と同居しているのに!
入院中はショートステイに預けてハゲさえ親には隠すという。
皆それぞれ色々なしがらみを持って生きているんだなあとおもう。
強気になって自己を正当化する。
それでいいんです、こんな大変なとき。

抗がん治療の夏、NHK BSでドキュメントを見る。
「百万回の永訣 柳原和子 がんを生き抜く」だ。
がんは怖く、ショックだ、告知の仕方を変えてほしいという。
この作家はいい表情の女性だった。
神頼みで護摩を焚いてもらったりして自分と向き合っていく。
理解できなかった、わたしには、かけらも。
わたしは鈍感なのだろうか。
がんといわれ瞬間で感情を入れず、受け入れてしまった。
この鈍感さで語っても人の参考にはならぬかもしれないなあ。

写真画像の管理がまだよくわからず、ヒヤシンスの芽の画像はアップできない。
なかなかむずかしいのだね。

タイムマシンだと思う事にする

2012-12-30 23:16:04 | 抗がん治療
抗がん治療はタイムマシン的。
半年前のがんの状態くらいまで戻してくれる。
(人によってはくれない場合もあるのが困ったものだ)
だからリスクもしかたない、とする。
そう思う事にするしかない。

体重計に乗るたび、筋肉量が減っている。
食べられないと、体は勝手に生きていくために体を作り替えてしまう。
筋肉はエネルギーをいっぱい食うから、まずそれから落として、脂肪を燃やすのはもっと先なのだ。
キャデラックのからだは軽トラくらい燃費が良くなった、つまり筋肉が減った。
タンパク質をしっかりしっかり取る事がとても大事だ。
切実に思った。
命が元気ない時はいのちの詰まったものを食べたい。
帰宅中はとれたての魚やさっきまで畑にあった野菜をなるべく多く食べた。
初夏だったのですいか、きゅうり、じゃがいも、トビウオの叩き、あじ、いろいろおいしいものがあった。
食生活をしっかりする事しかやることはないのだった。
真剣に食べた。
この一口がわたしを作る、と思いながら食べた。
なんか同じことを思ったことがある。
昔、子を産んで、乳を飲ませたとき。
ちいさないのちはわたしのおっぱいで生きて、育った。
離乳食を始めた頃もこの一口で大きくなるんだ、と思ったなあ。
リアルに思い出し、タイムマシン的効果かも、と思った。

とにかく、食べて乗り切るしかないのだ。

一回めの抗がん治療治療のとき、病院のホールに偽物の笹が置かれていて、短冊がつけられていた。
ビニールの笹なんてあるんだ、と驚いた。
病院には衛生的で確かにいいだろう。
短冊には願いがいっぱい書かれていた。
当然ながらがんの克服への悲願が綴られているのだった。
家族が「また帰って来て一緒に過ごしたい」と願うもの、
患者本人が「こどもが大きくなるまで元気でいたい」というもの。
切実なものばかりだった。
が、中には「○○食堂のご飯がいつまでも大盛りでありますように」というのがあった。
実に丁寧で達筆だから本当にそう思うのだろう。
行ってみたい、そんなすてきな食堂。
面白い人もいるものだなあと思って、さらに隅々まで短冊を読んでいた。
「母が病院でわがままを言って迷惑をかけることなく、無事に治療が終えられますように」という短冊もあった。
なんだか、見慣れた字にも見えた。
本当に願いがみんな叶うといい。

食べる事と、短冊みたいに希望を持つ。
それにつきると思う、今もそれにつきている。


抗がん治療と髪の毛。かつらはどうする?

2012-12-29 22:58:45 | 抗がん治療
がんの治療で髪が抜けるって誰もが知る事なようですが、
ドラマのようにどのケースでもつるつるになってしまう訳でもなかった。
治療薬にもよってちがうし個人差すごく大きい事なので、自分のケースとかを書きます。
あと、髪が抜けるということについて知った事をすこし。

一言で言えば、今では部分カツラもったいなかったな、65,000円。
がんなんだから髪なんてまた生えてくるのでつべこべ言わなくても充分なんですが、
やはり女心。
治療中人前に出る事も、葬式とか、お祝いの席とか、全部キャンセルする訳にもいかない。
ではどうしよう、と言う感じで、ふら~っと買っちゃったけど、よく考えてみてもいいかも。
参考にしてください。

当初、髪の心配など気が回らず、始めての抗がん治療にばたばたして
「あたし、抜けないんだ」といつもながら都合良く思っていたのだった。
わたしはシスプラチンとフルオウラシル(5-FU)を投与。
開始後半月以上過ぎて、頭皮がちかちかと痛くなった。
洗髪時に髪がいっぱい抜け始めた。
それでも頭髪って何万本もあるのでしばらく見た目の変化は目立たなかった。

抜け始めて色々調べる。
薬から調べても脱毛があるという事以上深くは解らなかった。
一番役に立ったのはカツラ業者の販売促進用パンフレットだった。
病院の乳腺患者の階のデイルームにあったもの。
髪はのびている次期、成長期(女性で4~6年)と退行期、休止期があり、がん治療により抜けるのはのびている髪。
頭皮はけがをしている状態なので無理に抜かない、刺激の少ないシャンプーを使う、清潔にする。
など、ケアの仕方を知った。
まあ、常識的な事かもしれないが役立った。

で、いつまで髪は抜けるのか。
投薬終了後1ヶ月くらいで生え始め、見た目にもとに戻るには半年から一年くらい、とパンフにはあった。
しかし、同室の患者(手術後1ヶ月以上たっていた)は
「薬止めてもまだまだ抜けるの」とこぼしていた。
わたしも3ヶ月ちょっと、抗がん治療終了後髪は抜けた。
頭の形がきっちり透けて見えるようになった。
でもよくよく見ると産毛も生え始めてはいた。

抜け始めた時にカツラ、購入してしまう事が多い。
帽子に前髪が縫い付けてあるものなんかも自分たちで作っている人もいるようだ。
それでも良かったかも。
こどもに相談すると
「ガガ様みたいなのがいい、イメチェン」と言った。
びっくりしてじっと顔を見たが、なんとマジでいっているのだった。
それがこども二人とも似たような反応だった!
帽子を、と気を取り直す。
むすめのプレゼントの帽子。
ライオンのかぶり物であった。
一体どこで買ったものか。
「輸入屋さん、これ、2個売れたって。一個は旦那さんが外国人のご夫婦ですっごく喜んでかぶって帰ったって」
それをかぶるとなんとした事か、わたしに似合うのである。
「暗くならないで、回診の時なんかもかぶっていてね」
本人の深刻さとはけたはずれ。
自分で編んでみた。
はまって朝から晩まで何もかも忘れて細い糸で編んだ。
かっこいい帽子を編もう。
ボブマーレーがかぶっていたようなレゲエ帽子ができた。
かなり目立つ、色もきれいなブルー。
ラスタマンみたい。わお。何だこれは。
こどもたちは「いい、いい」とほめたたえてくれていた。
なぜか呆然としてしまうわたし。
で、ひとりこっそり病院の美容室で買ってしまったのである。
丁寧に接してくれて、部分カツラをわたしにあわせてカットしてくれた。
入院中は一回もつけなかった。
さっきまでハゲっぽかったのに急にカツラかぶってベッドに座っている方が恥ずかしい。
外出時にはしばらくつけたが、たいして外には出なかったので10回くらい使っただろうか。
部分カツラの下からくせ毛の地毛が伸びて来て行きつけの美容室に久しぶりに行く。
がんでカツラになった事をカミングアウトすると、2時間もかけてカツラのいらないショートカットを工夫してくれた。
うれしかった。
カツラにあわせて切って、と言ったのに、カツラがなくても大丈夫な形にしてくれた。
確かにハゲっぽいが気にしない事にしてしまった。
だって、すごくありがたかったから。

本当に長い抗がん治療で髪をなくしてしまった場合はカツラもあっていいのかもしれない。
わたしが何故あんなに固執していたのかと思うと今ならば被害妄想的な発想になってしまったんじゃないかと思う。
漠然とした不安だったのかもしれない。
ガガ様バージョンであれば、別の活用方法も長く残ったかもしれない。
わたしもばかな女心だったのでした。
こうして書くとすごくよくわかる。
過ぎてみれば何でもよくわかるのでした。