人生初の抗がん治療
抗がん治療は重大な治療なのだと感じた。
看護師さんは必ず二人で確認して点滴剤を交換していた。
それはその病院のルールなだけかもしれないけど、
そんなの初めてだった。
シスプラチンともう一個、忘れた。
シスプラチンのため、水分摂取にはげむ
私は腎臓が一個しかない。
シスプラチンは早くおしっこで体から出さないと腎臓を傷めてしまう。
食欲があろうがなかろうが、吐き気があろうがなかろうが、水分を取る!!
だって、せっかくの効果以前に腎臓でダメになってしまったら大変!
がんが改善されても透析なんかなったらてーへん!
甘くて美味しく飲めた農協の野菜フルーツミックスジュース紙パックを毎日売店で買った。
他、タリーズでコーヒー飲み、水出しコーヒーセット買ってもう一杯それを飲む。
水は苦くて飲みずらいと感じた。
炭酸もペットボトルで買ったり、それはそれは色々飲み物にトライした。
人生の中で飲料に最も興味全開だったかも〜〜
まな板鯉だったよ
言い訳なし。
仕方ない、これが全てだ。
今に感謝
当時、変なGたらナンタラ療法ががんを消せるとか友人に勧められた。
この療法は死人に口無しなのでこの療法は訴えられない。
やらなくてよかったが、当時はグラグラした。
切りたくなかったもん。
ンな効くんならまずアメリカが、日本の厚生省が検討しているわ。
私はこの時期、これから対応せねばならない時、友達の勧めで肉を食うとがん細胞が育つとか言われて。
抗がん治療前はいっぱい食べないと!
タンパク質を。
だって筋力が確実に落ちるんだもん。
でもまあ、生きています!
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抗がん治療は重大な治療なのだと感じた。
看護師さんは必ず二人で確認して点滴剤を交換していた。
それはその病院のルールなだけかもしれないけど、
そんなの初めてだった。
シスプラチンともう一個、忘れた。
シスプラチンのため、水分摂取にはげむ
私は腎臓が一個しかない。
シスプラチンは早くおしっこで体から出さないと腎臓を傷めてしまう。
食欲があろうがなかろうが、吐き気があろうがなかろうが、水分を取る!!
だって、せっかくの効果以前に腎臓でダメになってしまったら大変!
がんが改善されても透析なんかなったらてーへん!
甘くて美味しく飲めた農協の野菜フルーツミックスジュース紙パックを毎日売店で買った。
他、タリーズでコーヒー飲み、水出しコーヒーセット買ってもう一杯それを飲む。
水は苦くて飲みずらいと感じた。
炭酸もペットボトルで買ったり、それはそれは色々飲み物にトライした。
人生の中で飲料に最も興味全開だったかも〜〜
まな板鯉だったよ
言い訳なし。
仕方ない、これが全てだ。
今に感謝
当時、変なGたらナンタラ療法ががんを消せるとか友人に勧められた。
この療法は死人に口無しなのでこの療法は訴えられない。
やらなくてよかったが、当時はグラグラした。
切りたくなかったもん。
ンな効くんならまずアメリカが、日本の厚生省が検討しているわ。
私はこの時期、これから対応せねばならない時、友達の勧めで肉を食うとがん細胞が育つとか言われて。
抗がん治療前はいっぱい食べないと!
タンパク質を。
だって筋力が確実に落ちるんだもん。
でもまあ、生きています!
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私は、自分の人生の中で、1番貴重な時間を過ごしました。
物や人に対しての考えも、それまでとは少し意味合いが変わった様に思います。
時間として考えると、長かった〜‼︎
ふーみん様のホスはタワーが見えて、夜景が綺麗なんでしょうね。
こちらは田舎で、夜になると真っ暗で、悲壮感が倍増。
キラキラが良いわ〜。
あの中にもう一度戻りたい、と思うもの〜。
お互いに子供には心配かけました。
人伝に、1人になったらどうしよう? と弱音を吐いていた事は聞かされました。
聞いて泣いた。
思い出して又泣ける。
しかし、生きています。
こうして繋がった皆様に、本当に感謝しています。
私の心の支えでもありますし。
今日はこちら30度になるとか。
そちらはどうでしょうか?
私は今日はバイト、術後仕事を辞めて色々整理して、やっと重い腰をあげたばかりですが、3度目のバイトです。
務まるのか、お役に立てているのか?
まぁ多々ありますが、取り敢えずやっています。
頑張って稼ぎますわ〜〜‼︎
その後、再発無く何より!
もう大丈夫だね。
私も初めてのがん治療、まだ覚えてますわ。
シスプラチンで味噌汁の匂いがダメになったり、何度も血管炎を起こしたり、何食っても味がわからなくなって絶望感に襲われたり。
懐かしくも、もう二度と味わいたくない経験。
ところで、カニコ病院に代わる新しい病院って見つけたんだっけ?
あれっ、同じこと前にも聞いたかも…ボケてきたか
やっぱシスプラチンってきついんだろか。
口内炎が辛かったなあ。
吐き気も。
味覚も。
胃が石のように固くなって、腹の上から触っても硬くて、これじゃ、食べられないなあ、と妙に納得。
においにも過敏になってましたね。
私の場合は抗がん剤がとても効いてステージが1.5個下がったからいきていられるのかなあ。
今週、新しいHOS.に行きます。
色々悩みましたが、国保病院系列の大きなところに。
1日休みを取ってドライブ、ランチ、ショッピングしてきます〜〜〜
がん以前を忘れそうなほど、考え方も食べ方も変わったよ〜〜
子供に心配をかけていたことに気がついたのはずっと後でした。
当時は明るく向き合ってるよ〜〜ってだけで、他は何にも考えてなかったのかも。
試練ですが、負けてもいられないし。
生きる内容を自分で豊かにしないといけないかなあと思ってはいます。
自分が自分引き受けていかないといけないんだね。
退院した時の自由さと不安さをふと思い出したりします。
四季があってよかったなあと、術後はしみじみ思うのでした。いろんなものに支えられていることを実感します。
もう、6年なのですね。寛解おめでとうございます!
抗がん剤はシスプラチンとフルオロウラシル(5-FU)
だと思います。
抗がん剤のほとんどは、毒劇物に相当するようなきつい薬なので、この治療法が始まったころは、かなりひどかったみたいです。
今は、副作用を抑える手段ができて、これで死ぬことはなくなったみたいですけどね。
フーミン様もたしか2剤(シスプラチン+5FU・FP療法)ですよね!自分もそうですが、必ず禿げるドセタキセルが無いだけ良かったかもしれません。
シスプラチン打たれる時、一緒に利尿剤や吐き気止め、生食等大量の輸液をされたのを思いだします。
にもかかわらず、投与後2日目位からもーれつな倦怠感と、何もかもがクスリ臭くなり食欲が大幅に減退したな・・・。
自分は術前2クールだけでしたが、あれを何クールもされる方はたいしたものです。自分は無理かも知れません。
今年も元気に過ごされていて何よりです。
私の抗がん剤のスタートが1年半前なので、その4年間半の間にも抗副作用のお薬もすすんだことでしょうね。
残念ながら私は他の病気が1年以上アタックが続いたので、初めから骨髄抑制つきの抗がん剤も9掛、アルブミンも血液も輸血前提のぎりぎりのスタートでした。
おかげさまで抗がん剤自体の副作用自体は、お薬の発達のおかげで我慢できる範囲で、免疫抑制剤で死にかけた時からしたら、辛さは全然楽勝でした。
ふーみんさんも私も心強い家族がいてくれて、本当に何よりでしたね。
病気になって辛いことは、お金がないこと、案じてくれる家族がいないこと、治るみこみの病気でないこと。
などと言われますが、一番悲しいのは愛してくれる人がいないことですよね。
これからも、ふーみんさんも私も死ぬまで楽しく悔いない時間を過ごしていきましょうね。
こんばんは!お久しぶりです〜
そうでした。
シスプラチンとフルオロウラシル(5-FU)でした。
がん細胞のDNAを破壊する薬だと説明を受けました。
副作用を抑える薬が適用されるようになったのは朗報です。
きつかったもの〜〜
吐き気がおさまらなくて。
4週間後の次の抗がん治療まで自宅で過ごせたのは10日あまりしかなかったように記憶しています。
6年前でもきつかったことをありあり思い出しますね。
思い出せる自分がいることで文句はございませんが(笑)
こんばんは!
利尿剤等もセットになってたように思います。
私はかなり抜けましたよ。
カツラ買いましたもの。
初めてすぐは抜けず、「私は抜けないんだ」などといつもの調子で都合よく考え始めた頃、頭皮がチカチカし出し、抜ける、抜ける。
こんなに髪ってあったのかい、というほど。
ずいぶん後まで抜けました。
毛髪のサイクルって活動中、おやすみ中があって、おやすみ中のも目覚めて時に抜け出すかららしい。
当初、シスプラチンは人生の中で最高使って6回が限度と説明を受けました。
辛かったけど、病院を脱走することなく頑張れて、娘に褒められました。(そんな風に見られているのですね)
まあ、いろいろな体験ができましたね、お互い。
もうしたくはないけど、できれば。絶対。
こんばんは!
日進月歩、医療も日々変わっているのですよね。
痛感!
これからはブロブの書き方や人へのアドバイスも「6年前だと」を必ずつけよう。
抗がん剤副作用も個人差がずいぶんあるようですね。
私は結構辛かったのですが、幸いにも私のがん細胞はもっと辛かったらしくDr.が「みんながふーみんさんくらい効いたらどんなにいいだろうかね」とおっしゃいました。
病気の辛さかあ。
お金がないことは大きいと思います。
日本にいてよかったと思いました。
健康保険で支え合う社会ではなかったら死んでたかもしれない。
アメリカだったらすごい金額になってしまうでしょう?
家族のために生きなくちゃ、みたいな思いもなく(ひどっ)でも、今死んじゃったら、これから大人になってから相談したいことに対応できないと、子供がすごく哀れに思えて。
その時はその時で強くなってほしいけど、悲しい気持ちになりました。
娘が遅くまでいてくれて、息子は家を守ってくれて、車で迎えに来てくれて、申し分ない愛情を感じました。
ここで死んだとしても、この子たちを世に残せて、無駄な人生じゃなかったな、と素直に思いました。
歴史って、こういう無名の多くの営みで支えられてるんだなあ、なんか感じ入っていたのです。
そっか、愛情があって支えられていたんだなあ。
病気になって、元気を装っているのに精一杯でしたが、子供の愛に囲まれ子供の祈りが通じて生きてるのか。
そっか。
ありがたい人生なのかもしれない。
のり松様、ありがと、大事なことを再認識。