ペンタさんが、三味線を改めて始められるとブログで書かれているのを読んで、心からの尊敬と弦楽器への憧れで胸がいっぱいになりました。私は小さい頃からオルガン&電子オルガン&ピアノと、鍵盤楽器しか弾いてこなかったので、持ち運びできる&電源が不要な楽器に、憧れがあります。
そんなんで思い出した、古い漫画からの話。もうタイトルも作家さんのお名前も覚えていないんですが、確か少女誌に掲載されていた音楽学園もののお話。
主人公(男子)が、ヴァイオリンの素晴らしい演奏技術と音楽的才能を持っているんだけど、家族との軋轢とかで挫折しようとした時に、同じく演奏者を目指している学園のライバル(「強敵」と書いて「友」と読む的な)が、心臓疾患を患っている男子と学園で出会うんです。その子が他のライバルたちに、命に係わる大事な薬を捨てられてしまうんだけれども、主人公が自分が怪我するのもかまわずに、探して取り戻すんです。ところが、病弱の子はさらにコンプレックスに打ちのめされて、主人公にくってかかる。
という場面での「おまえは才能に加えて、強靱な肉体を持っているじゃないか」というセリフに、当時頭をすこーんと叩かれたようなショックを受けました。
他の音楽を題材にした作品では、たびたび描かれる事ですが、演奏者は「アスリート」です。楽器を演奏する以前に、楽器を支える・持ち続ける・鍵盤をたたき続けるのには、鋼のような筋肉と馬車馬のような体力が必要です。なので、そうか、体力も才能もへなちょこな私には、そこからして問題外なんだと、す~っと悟ってしまいました。習い事に大事な、向上心的観点からすると、もっとも良くない事だったんですけどね(苦笑)
このお話を読んだ頃(たぶん高校生)仲よくしていた同級の友人数名が、器楽部でした。たまたま部活に遊びに行った時に、それぞれフルート、クラリネット、ヴァイオリンを持たせてもらったんですが、一番衝撃を受けたのが、ヴァイオリンの弓が引けなかったこと。端から端まで引くのに、腕の柔軟性と筋肉が、こんなにも必要なんだとわかってビックリしました。(勿論、ヴァイオリンそのものを維持するものしんどかったんですが)実際に楽器を持った後は、演奏を聴く時に、その奏者がそこで演奏している事そのもの凄さというか、どれだけ修練を積んだ果ての音なんだろうかと、更に尊敬の気持ちを持って興味深く聴くようなりました。
(ちなみに冒頭の漫画では、主人公は数々のコンクールや挫折を乗り越えてさらなる飛躍を目指す、という最終回でしたが(確か)親友となった子は、治療を続けつつ、作曲に目覚め、音楽を続けているという終わりでした。)
この時に、コントラバスとベースギターも触らせてもらったんですが、その弦の強さにびっくりしました。これを指で押さえたり、弾いたりするの?ベースの弦なんて、針金じゃん、コイルじゃん!(当然)自分のふよふよの指には、コードを押さえただけで痛みが残りました。彼女たちの指の強さ、美しさ。弦楽器って好いなと、この時から深く深く心に刻まれました。
それと鍵盤楽器って、例えばドを押せばドの音が出るんですが、弦楽器はそうじゃないのも惹かれます。自分の耳で音を探して弦を押さえなきゃいけない(ピアノには調律が必要ですが)チューナーとか音叉とかで音を探していくのも、基本は自分の音感が問われるところが、シビアでたまらんです。湿度や気圧でも音が変わる、その自然との一体感も素敵。
楽器を演奏するって、とても高揚感があるんですよ。私は好い音楽を聴くのも好きですが、やっぱり「演奏する事」が好きです。十何年も遠ざかってしまっていますが、いつか小さい電子オルガンを買って、弾きたいな。指はすっかり”お母さんの指”になってしまっていますが、弾く楽しさを、また感じたいです。ペンタさん、遠くからですが応援していますよ~!