風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ロシアの料理について考えてみる

2022-04-08 01:04:14 | 日々いろいろ

「ロシアの音楽」や「ロシアのピアニスト」が一言では定義できないように、「ロシアの料理」についてもまた同じ。

東京のロシア料理店は、大きく3つに分類できるんです。
1つ目は、戦時中にハルビンにいて、引き揚げてきた日本人が創業したお店。どの店もアプローチが近いです。うちもこれに当たります。
2つ目は、戦後に亡命ロシア人が創業したお店。軽食を出す、小ぶりのバーのような店が多いです。
3つ目は、ソ連が崩壊したあとにロシア人が日本に来て開いたお店です。
・・・
「本場」というと、定義が難しいんです。ロシア人は「これがロシア料理だ」と意識せずに食べていると思います。
日本みたいに「日本料理」ってひとかたまりではなく、ロシアの国土が広がるのに合わせて各地域の料理を取り込んでいっているから、厳密な「ロシア料理」というものはないんですね。

『チャイカ』浅田社長 @メシ通

先日、歌舞伎観劇前に、銀座のロシア料理店『ロゴスキー』に行ってきました。
1951年創業の日本で最初のロシア料理レストランで、新宿の『スンガリー』や高田馬場の『チャイカ』と同じく、引き揚げ者によるハルビン経由の家庭料理をルーツとするお店です(上記の1番のタイプ)。
ハルビンは1896年に清朝と帝政ロシアの間で結ばれた露清密約により帝政ロシアの支配下となり、1898年にはロシア帝国が満洲を横断する東清鉄道の建設に着手。多くのロシア人が暮らしはじめ、発展していった街です。そして日露戦争後は、多くの日本人がこの街に移住しました。
ちなみに『スンガリー』の創業者は加藤登紀子さんのお父さんで、姉妹店『キエフ』のオーナーは彼女のお兄さん。
加藤登紀子さんの兄「胸が張り裂けそうだ」…京都のレストラン「キエフ」オーナー(2022年3月21日読売新聞)
画像資料による日本人移民への新視点(2013年 人間文化研究機構)
↑この人間文化研究機構のページ、貴重な画像資料がいっぱいで、日本人移民の歴史がわかりやすく書かれてありオススメです。

さて、『ロゴスキー』。
ロシア料理店に来るのは久しぶり。私と同じくおひとり様も結構いる
席に座って、メニューを開いて、そして思い出した。
わたし、ロシア料理のコッテリクリーム系メニューが実はあまり得意じゃないのだった
ロゴスキーのランチセットは3種類。「つぼ焼きランチ 2000円」、「ビーフストロガノフランチ 2400円」、「シャシリクランチ 2600円」。
つぼ焼きとビーフストロガノフはクリーム系で、更にどのセットにもボルシチがつき、ボルシチにもスメタナ(サワークリーム)が入っているので、クリーム×クリームになってしまう。
となると、シャシリクランチの一択だな。


可愛らしいデザインのメニュー。
シャシリクはランチ時以外だとお高いんですね。


まずは「本日のサラダ盛り合わせ」
甘酸っぱいキノコのマリネ(写真手前)が美味しかった


「手作りピロシキ」
3種類のピロシキの中から、野菜ピロシキを選択しました。これも熱々で美味しかったです。ロシア系の店員さんから「熱いので紙をご使用ください」とアドバイスされ、紙で包んで手掴みで食べる。
揚げピロシキで結構なボリュームなので、既にお腹がいっぱい気味に。


「ウクライナボルシチ」
名前のとおり、ウクライナの伝統料理。
これもとても美味しかったけど、私はもう少しビーツ味が濃い方が好みかも。


「仔羊のシャシリク」
ジョージアや南ロシアの郷土料理。
自家製アジーカ(コーカサス風 唐辛子と野菜の辛口ソース)と一緒にいただきます。
これ、すっごく美味しかった
私が羊肉好きなせいもありますが。
付け合わせの野菜は、ディルの味。前菜のサラダにもボルシチにもディルが入っていて、本当にロシア料理はディルとサワークリームだらけだな


「ロシア紅茶」
ロシアではこんな風に紅茶にジャムを入れるのではなく、ジャムを別に舐めながら紅茶を飲むのが一般的なのだとか。
それはそれとして、このロシアンティーもとても美味しかったです。ブランデーの風味がいい(そう、私は酒飲み)。
ジャムを自分用のお土産に買って帰りました。
歌舞伎座から近いので、また歌舞伎観劇の際に伺おう。次回はアラカルトメニューを試してみたいです。
一方で六本木の『バイカル』や錦糸町の『スカズカ』など、現地の味に近いと言われている店も試してみたいな。また吉祥寺のロシア&ジョージア料理の『カフェロシア』も美味しいと評判なので、井の頭自然文化園にフェネックを見に行くついでに行ってみたい。
しかし本当に昔に比べて街からロシア料理店が減りましたよね。どうしてなんだろうか…。




観劇後は、歌舞伎座裏のウクライナ人オーナーによるロシア食品店『赤の広場』で、1年ぶりにお買いもの。
関西系ロシア人オススメのソーセージ、冷凍ヴァレニキ(ジャガイモとキノコ入り)、向日葵の種を買いました。全てロシア産。オープン一周年とのことで、可愛らしいチョコレートをくださいました。



というわけで、ある日のブランチ。
★余談ですが、写真のお皿はどちらも英国の「ポートメリオン」のもの。ここの食器は丈夫で電子レンジも使用できて使い勝手がとてもいいので、オススメです。マグカップはフィンランドの「イッタラ」のもので、こちらも丈夫で可愛いのでオススメ。
ソーセージ(RATIMIR社製)は、ボイルしてから軽く焼きました。スモークの風味が強くて驚いた。12本で1200円だったけど、一本でも満足感があるので高くないかも。しっかりスモーク味なので、マスタードなどは不要です。
店員さんのオススメに従ってサワークリームをかけたヴァレニキ(MIRATORG社製)も、美味しい
店のホームページによると「ウクライナの伝統料理ヴァレニキは、ぺリメニ(ロシアの水餃子)より少しサイズが大きめで肉以外の具材を包んだ料理」とのこと。
・・・しかしこの味はものすごく記憶にあるな。
絶対に過去にどこかで食べている。しかもそんなに昔じゃなく。
どこで食べたんだっけとしばし考え、思い出した。クラクフで食べた「ピエロギ」だ
調べたところ、「ヴァレニキ」「ピエロギ」は同じものとのこと。「ヴァレニキ」はウクライナ語で、「ピエロギ」はポーランド語。
以下、クラクフで食べたポーランド料理の写真です。オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)から戻って夜遅くなっていたのでお腹がペコペコで、食べ始めてから慌てて写真を撮ったので汚いですが


「ピエロギ」
同行者と分けたので、実際はこの倍量ありました。


「キノコソースのロールキャベツ」
これ、すんごく美味しかった。


「ジュレック」
ポーランドの伝統料理で、ライ麦を発酵させた液体から作る酸味のあるスープ。ディルがたっぷりで、サワークリームも使われています。

この他にビールとマッシュルームスープも頼んで会計が一人60ズロチ(1800円)だったのだから、やはりポーランドの物価は衝撃的に安かったのだな。
そして改めて見返して、ポーランド料理、ウクライナ料理、ロシア料理が似ていることがよくわかる。ロールキャベツは、ロシア料理ともポーランド料理ともされている料理ですね。

周囲を6カ国に囲まれたポーランドは、長い侵攻を受けた歴史から、他国の食文化がパッチワーク的に組み合わさった国とも言えます。・・・ポーランドは、ドイツ、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニアの6カ国に周囲を囲まれています。じゃがいもやライ麦、小麦、大麦、甜菜などの農作物が多く収穫される一方、もともとは騎馬民族であるために、平野部では牛や豚、山麓では羊が飼育されており、乳製品も豊富です。寒い国なので煮込みやスープ料理が多く、ライ麦、小麦が豊富に収穫されることから、粉物文化も発達してきました。第二次大戦ではドイツ、ロシアの侵攻を受けましたが、それ以前も侵略されてきた歴史は長く、他国の食文化が複雑に入り混じっています。
(「ポーランド料理はパッチワーク」朝日新聞)

ほぅ。
食に歴史あり、ですね。影響を受け、影響を与え。
では同じスラヴ民族のチェコはどうなのだろうと調べてみたら、似ているといえば似ているけど(スメタナを多用したり)、そこまででもない感じ。

スラヴ語の共通性を基盤とするスラヴ全体の共通性を強調する態度は汎スラヴ主義と呼ばれ、国民楽派、第一次世界大戦と民族国家、旧東欧の概念などの重要な主体性ともなったが、文化・宗教面ではスラヴ各民族ごとに異なる主体性を持っており、過去何度も繰り返されたポーランド・ロシア戦争のほか、近年では1990年代のユーゴスラビア紛争や2010年代〜20年代のウクライナ紛争などのように血を流し合って対立する矛盾した面を持っている。
(wikipedia「スラヴ人」)

チェコ料理はドイツ、オーストリアの食文化の影響を強く受け、「より田舎っぽくしたドイツ料理」に例えられることもある。逆に、チェコの食文化はオーストリア料理にも影響を与えた。
(wikipedia「チェコ料理」)

なるほど。料理というのは民族的な影響よりも地理的、政治的な影響の方が大きいのかも。特にヨーロッパの国々では。そもそもスラヴ民族の定義が一つの民族を指すのではなく、言語学的な括りとのことだし。
チェコには昔行ったけど、なぜか食べた料理の記憶がない。写真もない。東京にはチェコ料理店が2つあるようなので(代々木上原の「セドミクラースキ」と四谷三丁目の「だあしゑんか」)、いつか行ってみたいです。


食事の写真はなかったけど、チェコで買ったお土産の写真が出てきたので、可愛いからあげておく(撮影はウィーンのホテルですが)。木の人形はチェスキークロムロフで、他はプラハで買いました。写真にもありますが、プラハでは音楽会のチラシが街の至るところで配られていて感動したことを覚えています。2004年なので、もう20年近く前の話。

最後に、オマケでもう一つ。



岩手にある日本人経営のロシア料理店『トロイカ』のロールキャベツ。
歌舞伎座向かいの岩手のアンテナショップで買いました。
以前購入した同店のボルシチが美味しかったので(ビーツ不使用だったけど、それも日本のロシア料理店らしくてまたよし)、今回はロールキャベツを購入。
右のホルモンはトロイカとは関係ありませんが、やはり以前アンテナショップで買って美味しかったので


上野の桜 2

2022-04-06 01:59:31 | 日々いろいろ




 戦争の真ッ最中にも桜の花が咲いていた。当り前の話であるが、私はとても異様な気がしたことが忘れられないのである。
 焼夷弾の大空襲は三月十日からはじまり、ちょうど桜の満開のころが、東京がバタバタと焼け野原になって行く最中であった。
 私の住んでるあたりではちょうど桜の咲いてるときに空襲があって、一晩で焼け野原になったあと、三十軒ばかり焼け残ったところに桜の木が二本、咲いた花をつけたままやっぱり焼け残っていたのが異様であった。
(中略)
 三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いたりした。
 まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない。ただもう桜の花ざかりを野ッ原と同じように風がヒョウヒョウと吹いていただけである。そして花ビラが散っていた。
 我々は桜の森に花がさけば、いつも賑やかな花見の風景を考えなれている。そのときの桜の花は陽気千万で、夜桜などと電燈で照して人が集れば、これはまたなまめかしいものである。
 けれども花見の人の一人もいない満開の桜の森というものは、情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。
 ある謡曲に子を失って発狂した母が子をたずねて旅にでて、満開の桜の下でわが子の幻を見て狂い死する物語があるが、まさに花見の人の姿のない桜の花ざかりの下というものは、その物語にふさわしい狂的な冷たさがみなぎっているような感にうたれた。
 あのころ、焼死者と焼鳥とに区別をつけがたいほど無関心な悟りにおちこんでいた私の心に今もしみついている風景である。

(坂口安吾『明日は天気になれ  ~桜の花ざかり』昭和28年)



上野の桜 1

2022-04-05 23:32:13 | 日々いろいろ



先日、こんなニュースがありました。

「ソメイヨシノの原木にもっとも近い1本、ゲノム解析より判明」(Mynavi 2022年3月25日)

ソメイヨシノは1本の木が原木となり、すべて接ぎ木して増やされたクローンであることは有名な話。
一斉に咲き一斉に散るのも、同じ遺伝情報をもつクローンだから。
そんなソメイヨシノのルーツについて、2015年に千葉大のチームが「元祖の1本は東京の上野公園にあった」とする研究成果を発表しました。
そして先日、かずさDNA研究所が「もっとも祖先のゲノムに近い一本」を確認したとのこと。
その場所がこちら↓



上野動物園の正門に向かって左手にある広場ですね。
当初は136番の木が原木と考えられていたそうですが、今回の解析の結果、133番の木がもっとも祖先のゲノムに近いものであると確認されたそうです。



これは先月29日にババヤンのピアノリサイタルに行った際に撮ったもの。花曇りだったので暗めの写真になっていますが、写真右手の全体が写っている木が133番の木です。
この一本の木から日本中に、そして世界中にソメイヨシノが広がっていったのかもしれないと想像すると、感慨深いですね
たとえその脇にどでかいゴミ箱が置かれていようとも(東京都なんとかしなさいよ!!)

諸説あるソメイヨシノの起源の中で「江戸時代の植木職人が品種改良によって生み出した」という説をもとに木内昇さんが書いたのが、『茗荷谷の猫』という連作集の中の「染井の桜」というお話。



この本(単行本)は、表紙がとても美しいのです。
久しぶりに読み返そうと思ったら、実家に置いてきてしまったみたい。。


2022-04-02 01:26:00 | 日々いろいろ




一年に一度、名残惜しく過ぎゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。

その回数を数えるほど、人の一生の短さを知ることはないかもしれません。

(星野道夫『旅をする木』より)

私自身の人生の時間だけでなく、この風景をあと何回大切な人と一緒に見ることができるのだろうということも、思わないではいられません。
無窮の時の流れの中で私達の短い一生の時間が重なるということ自体が奇跡のようなことなのだと、自然はさりげなく教えてくれる。
未来を心配しすぎることなく、過去を後悔しすぎることなく、今の時間を大切に過ごさなければいけないと改めて感じる、2022年の春です。


ディルの使い道

2022-03-27 01:56:35 | 日々いろいろ


ボルシチやニシンの酢漬けを作った後に余ってしまうディル。その使い道を、毎回考える。
ディルって個性的な風味なので、なんにでも使える感じではないし。
先日作った「サーモンソテー 炒め玉ねぎとディルのサワークリーム添え」は、とても美味しかった。

今回は、「ホタルイカとディルのペペロンチーノ レモン風味」を作ってみました。
フライパンにオリーブオイルを入れてニンニクと鷹の爪で香りを出し、玉葱とホタルイカを入れて軽く炒める。そこに茹でたパスタを投入し、軽く和えて火を止める。微塵切りのパセリとディルを投入して、塩胡椒で味を調整し、最後にレモン汁で和えて完成。
塩はしっかりめが美味しい。
パセリはたまたまあったので入れたけど、ディルだけでもいいかと。
爽やかで美味しかった

【気になるレシピ】
ディルとホタルイカの炊き込みごはん
これ、気になるけど、どうなんだろう。味の想像がつかない。失敗したら悲惨なことになりそうなレシピだけど、ホタルイカが売っているうちに一度作ってみたい。

「サーモンの塩漬け」

これも作ってみたいけど、一人暮らしだからなあ…。小さめの柵が売ってたら作ってみたい。

サーモンのディルマリネ
こちらの方が手軽そう でもこれならIKEAのレストランに行けば食べられるな。

ブリヌイ
ロシアに行ったら絶対に食べようと思っていたブリヌイ。今では夢のまた夢となってしまったので、仕方ない、作ってみるか…。しかし本場の味を知らないので、正解の味がわからん。

ディルって今まで買ったことなかったけど、使ってみると楽しいハーブですね。


【スウェーデン大使館シェフのおつまみ】ニシンの酢漬けディルクリームソース

2022-03-22 22:28:59 | 日々いろいろ

【スウェーデン大使館シェフのおつまみ】ニシンの酢漬けディルクリームソース


先日見つけたこのレシピ、作ってみました

クリスプブレッドやポテトや雑穀パンなどと一緒にいただくといいと思いますが、私はなかったので食パンで。
白ワインとよく合って、爽やかで美味(上の写真は翌日のランチ時のものなのでカフェオレですが)
大使が飲んでるアクアビットという北欧のお酒は、飲んだことがないので飲んでみたいな。夏季だけIKEAで販売しているようなので、気にしておこう。

基本的に動画のレシピどおりに作りました。
違うところは、生ニシンではなく北欧産のニシンの塩漬け(いつもの山安さんの冷凍のです)を使ったので酢に漬ける時間を短縮したこと、ディルとパセリをフードプロセッサーを使わず包丁で微塵切りにしたこと(タラゴンはなし)。
ディルはたっぷり入れた方が美味しいですよ。



この紫色のボウル、可愛くないですか??
フライングタイガーで300円也。


スミルノワ、ヴィシニョーワ、ババヤン

2022-03-18 16:59:36 | 日々いろいろ

ヤフーに「名門ボリショイ・バレエ団のスター、戦争を批判しオランダに移籍へ」という記事があったので誰かな?と思ったら、スミルノワか…。
Olga Smirnova: Ballerina leaves Russia for Netherlands after denouncing war(BBC)

スミルノワさんは3月に入り、「現代の見識ある世界においては、文明社会は平和的な交渉によってのみ政治問題を解決することを期待している」などとする文章を公表。
「ロシアを恥じることになるとは思わなかった。才能あるロシアの人々、私たちの文化、運動面での業績をいつも誇りに思ってきた」、「しかし今や、以前と以後を区別する線が引かれたと感じている。人々が死んでいき、頭上の屋根を失ったり家を後にせざるを得なかったりしているのは痛ましい」とした。
そして、「数週間前、こんなことが起こると誰が予想しただろうか。私たちは軍事紛争のただ中にはいないかもしれないが、この世界的大惨事に無関心ではいられない」と書いていた。
オランダ国立バレエ団は声明を出し、スミルノワさんの移籍を歓迎。彼女はその言動により、「生まれた国で働くことが不可能になっている」とした。

同じ記事では、シクリャローフやヴィシニョーワの言葉も紹介されていて、ヴィシニョーワについては、
マリインスキー・バレエ団の元プリンシパルダンサーで、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場のソリストをつとめたディアナ・ヴィシニョーワさん(45)は、「私たちは戦争といかなる暴力行為にも反対を表明する。悲しみ、無念、支援の言葉、同情で、私たちの心はいっぱいだ」とした。
と。
ヴィシニョーワについて過去形で書かれてあるので(BBCの原文でも)「ヴィシ様、いつの間にマリインスキーを退団してたの」とマリンスキーの公式ページを確認したら、普通にprincipalsに名前があった。シクリャローフも。
自らバレエ団を去る人達はともかく、残るつもりはあるトップダンサー達(ヴィシニョーワ達に残るつもりがあるかは別として)を政府批判したという理由だけでプリンシパルから外したり退団させるような処置を万が一ロシア政府がするなら、それは完全にロシア側にとって一方的な損失となり西側にとって一方的な得となるだけとしか思えない。頭脳の海外流出も痛いだろうけど、文化の海外流出も同じかそれ以上に取り返しがつかないことになると思うがなあ。
プーチン大統領は海外の要人が訪ロしたときはいつもバレエやオペラやクラシック音楽の演奏会に連れて行っていたと聞く。そういう時に誇らしげに紹介できる音楽家やダンサー達がロシアからいなくなってしまったら一番困るのは自分ではなかろうか。

ボリショイで踊るスミルノワをもう見られないことはすごく残念だけど、なんとなくスミルノワがこういう選択をしたことはすんなり理解できる気がするのでした。
個人的な印象だけど、彼女の踊りにはロシアの空気が薄いように感じられたし(悪い意味ではなく)、これまでのインタビューの受け答えの感じでも彼女は西側のバレエ団の方が合っているような気がする。
彼女の未来を応援しています。
しかしこれでチュージンと踊るグリゴロ版白鳥完全版を二度と見られなくなったな…。

話は変わって、先ほど春祭からこんなお知らせが。


春祭事務局、今日の開幕記者会見で全公演のプログラムをライブストリーミング配信すると言ったばかりなのに、何があったの?と思ったら、公式ページに詳しく書かれてありました。
「出演者本人より、昨今の世界情勢により精神的に落ち着かない状態が続いており、今回は演奏に集中するためにも、カメラ等の設置を避けられないかと相談を受け、協議の結果、誠に残念ながら配信を中止することといたしました。」
そうか、そうだよね…。愛弟子のトリフォノフともども大変な状況なのだろうなと想像する。ババヤンはロシア人ではないしアメリカで教授職にある人ではあるけれど、ゲルギエフとよく共演していた人でもあるし…。
なお曲目変更は、以下のとおり。作曲家自体が変更になったのが赤字部分で、作品だけ変更になったのが青字部分。

【旧】
ペルト:アリーナのために
リスト:バラード 第2番 ロ短調 S.171
J.S.バッハ:《平均律クラヴィーア曲集》 より(抜粋)
リャボフ:幻想曲 ハ短調 op.21 《マリア・ユーディナの思い出に》
ラフマニノフ:
 練習曲集《音の絵》 op.39 より 第5曲 変ホ短調
 楽興の時 第2番 変ホ短調 op.16-2
 楽興の時 第6番 ハ長調 op.16-6

【新】
J.S.バッハ(ブゾーニ編):無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004 より シャコンヌ
シューベルト(リスト編):
 《美しき水車小屋の娘》S.565 より 第2曲 水車小屋と小川
 《12の歌》S.558より
  第8曲 糸を紡ぐグレートヒェン
  第2曲 水に寄せて歌う
ラフマニノフ:
 練習曲集《音の絵》op.39 より
  第5番 変ホ短調
  第1番 ハ短調
 《楽興の時》 op.16 より
  第2番 変ホ短調
  第6番 ハ長調
リスト:バラード 第2番 ロ短調 S.171
シューマン:クライスレリアーナ op.16

私はアルヴォ・ペルトやウラディーミル・リャボフという名前を今回のプログラムで初めて知ったようなクラシック音楽初心者なので(現代音楽の作曲家なんですね)、変更後のプログラムの方が親しみやすいことは確かですが。
いずれにしても今は無事来日して、無事演奏会が開催されればそれだけでいい


老化。。。

2022-03-17 14:13:35 | 日々いろいろ


ブランデンブルク門©共同

前回、我が市の市庁舎がウクライナ国旗の色にライトアップされている話を書きました。
その関連ニュースの中に、こんなニュース↓があったのですが。
『ライトアップで連帯表明 仏独首都、国旗の色に』
これを読んだときに私が最初に感じたことは、

「ドイツの首都ってボンじゃなかったっけ?」

でした。
恐ろしいことに本気でそう思ったんですよ。
この記事間違えてるんじゃない?とまで思って、「ドイツ 首都」とググることまでしたんですよ。
そしたら。

ドイツでは、1990年の東西ドイツの統一を機に旧西ドイツの首都であったボンからベルリンへの首都機能移転の議論が本格化し、1991年の連邦議会のベルリン移転決議を経て、1999年9月に移転が実施されました。
(国土交通省)

・・・うん、そういえばそうだったよね・・・。
別にドイツの首都を知らなかったとか忘れていただけならどうってことないんですよ。
何が恐ろしいって、ワタシ、この直後(たしか2000年)にベルリンに行ってるんですよ。ちょうど東ベルリンの街並みが西側のように変わる前に見ておいた方がいいと言われていた時期で。
そのときは当然首都だと認識して行っていて、それからン十年、ドイツの首都=ベルリンと当然に認識していたのに、今回ググるほどまで本気で「ボン」と思ったことが恐ろしすぎる
これって、今でも思わずロシアをソ連と言ってしまうのとは意味が違う(実は今でも5年に一回くらい言い間違う。が、さすがに「いやソ連のはずでしょ」とググったりはしない)。

先日も書きましたけど、英単語もそうなんですよ。むかーしちゃんと覚えて、それからずっと知っていた単語のはずで、しょっちゅうではなくても使っていた単語のはずなのに、最近本気で忘れてるんです。

老化って、ただ記憶を忘れていく一方向パターンだけじゃなくて、真ん中の数十年がそっくり抜けて昔の時間に戻っちゃうブーメランパターンもあるんですかね。。。
私、まだ45なんですけど。。。


アトランタ、ヘルシンキ、ワルシャワ、オデッサ

2022-03-15 20:11:56 | 日々いろいろ



写真は、今朝の朝食です。
地元の有名なドーナツ屋さん🍩が最寄り駅で期間限定出店していたので、買ってみました。
シナモンドーナツなんですけど、ブラックコーヒーとよく合って美味しかった
先日旅先で買ったお土産を見るとその場所の空気が一瞬で蘇るという話を書きましたが、食べ物もそうですよね。
20歳のときに数ヶ月ほどアメリカ南部で過ごしたことがあって、週末によく国内旅行をしたのですが、学生でお金がなかったので泊まったのはいつもモーテルでした(アメリカのモーテルはこういう感じの、よく映画とかに出てくるアレです。日本のラブホの意味はありません)。
アトランタのモーテルでは朝になるとロビーにコーヒーとドーナツが置かれてあって、それがセルフサービスの朝食でした(無料)。特別美味しいドーナツでもコーヒーでもないのですが、20歳の私は「アメリカだな~〜〜♪」と感じて、楽しい気分になったのを覚えています。ン十年前の話ですが、今もドーナツとコーヒーを食べるとアメリカの朝の空気を思い出す。

シナモンロールも、食べる度にヘルシンキを思い出す食べ物です。
特別好きなお菓子ではないけれど、あの街の空気を思い出せるので、日本でもときどき買ってしまいます。
旅行中にホテル近くのヘルシンキ中央駅の構内を散歩していたら、モスクワ行きの列車が普通に停まっていて、「これに乗ったらモスクワまで行けるのか」と不思議な気がしたものでした。初海外からン十年たっても、いまだにそういうことに感動してしまう島国育ちの私。




ヘルシンキ中央駅

ところでヘルシンキの街に着いたときの私の第一印象は、「ロシアの街みだいだな」でした(ロシアには行ったことないけれど)。
隣の国だから街も似るのかな?とその時は深く考えなかったのだけど、先ほど試しに「ヘルシンキ ロシア 街並 似ている」とググってみて、こんな事実が。

ヘルシンキはロシアの支配下にあったときに置かれた首都で、街並みは「サンクトペテルブルクに似ている」と倉方さんは言う。「ロシアは伝統的にドイツ人建築家を登用してきた国で、ヘルシンキでもドイツ人建築家が公共建築をつくっています。新古典主義的な建築が多く残っています」。
その代表的な例がドイツ人建築家カール・ルードヴィッヒ・エンゲルが設計したヘルシンキ大聖堂(1852年)だ。デザインはサンクトペテルブルクの大聖堂を参照しているとされる。
フィンランド人のルーツは中央アジアにあるといわれる。フィンランド語はウラル語族に属し、インド・ヨーロッパ語族のスウェーデン語やノルウェー語とはまったく異なる構造を持つ。独自の文化を持ちながらも、フィンランドはスウェーデンとロシアという大国に挟まれて翻弄され続けてきた。
「ロシアの支配下にあった19世紀半ばに、口承文学を収集した叙事詩集『カレワラ』が出版されました。フィンランドに豊かな文化の伝統があることが世に示されたわけです。それを元にシベリウスが交響詩『フィンランディア』を書き、民族意識が盛り上がって、独立へとつながっていきました。そういう意味でフィンランドは、北欧の中でも最も熱いナショナル・ロマンティシズムが沸き起こった国といえるでしょう」。
Lifull Home's Press

へ~
あの街並みにはちゃんと理由があったんですね。
ロシア帝国の支配下にあったときに首都になった街だから(1812年)。なるほど。1809年にフィンランドはスウェーデンからロシアに移譲されています。
ポーランドもですが、ヨーロッパの小国が辿ってきた歴史というのは、海に囲まれている島国の我々には想像できない凄絶さがありますよね…。まあ我が国も他人事ではないかもですが。


フィンランド航空でヘルシンキに行ったときのflight map。
世界地図を見ていると、フィンランドの隣国であるロシアが日本の隣国でもあることがよくわかる。そして中国と北朝鮮。日本って海に囲まれてはいるけど、実は地理的に相当ヤバイ場所にあるのよね。過度に恐れる必要は全くないけど、いざとなった時に冷静に対処できるよう、選択肢は時間のあるうちに議論&準備しておく必要はあると思うな。もちろん感情論は排して。
そういえば今はヨーロッパ線の航空機はロシア上空を迂回しているので、通常より+2~4時間の飛行時間になっているそうで↓

©Inpress Watch
JALは北回り、ANAは中央アジア。Google Earthで見る「ロシア上空を避けたルート」
「北周りはかつてのアンカレッジ経由と同様のルート」とあるけど、アンカレッジ経由って北極の真上を突っ切るわけじゃなかったのか

そして今、こんなニュースを見ました。
ロシア人の隣国フィンランドへの出国相次ぐ (NHK)
ロシアからフィンランド行きの列車は満席だそうです。
のんびりしていたヘルシンキ中央駅の構内も、今は全く違う光景になっているのでしょうね…。

こちらは、ポーランド。
ポーランドに脱出 170万人超 首都人口15%が避難民に 受け入れは“限界”に...(FNN)
道に迷ったりダブルブッキングがあったりと色んな意味で思い出深いワルシャワ中央駅。数年後にこんな光景を見ることになるなんて…。

そして、こんなニュースも……。
【速報】ロシア「南部ヘルソン州を制圧」 重要都市オデッサに迫る(FNN)
Odessa Opera House Members Sing & Prepare for Attack(Operawire, Mar 13, 2022)
ギレリスの生まれ故郷で、リヒテルが3歳から住んだ街、オデッサ。
ギレリスが13歳で初ソロリサイタルを行い、リヒテルが15歳からコレペティートルとして働いたオデッサ歌劇場では、今月ヴェルディの『アイーダ』『イル・トロヴァトーレ』、チャイコフスキーの『イオランタ』と3つのオペラの上演が予定されていましたが全てキャンセルとなり、ミュージシャン達は街に残った市民達と共に土嚢を積み上げ、予想される攻撃に備えているそうです。歌手達は応急処置のトレーニングを受けたりライフルの使い方を学んでおり、また市民を楽しませるために、一週間を通して劇場前で野外コンサートを行っているとのこと。12日には劇場の建物を守るために設置されたバリケードの前で、歌劇場の楽団と歌手達によりウクライナ国家やヴェルディのオペラ『ナブッコ』の“Va Pensiero”などが演奏されたそうです。コンサートは「FreetheSky」と題され、「ウクライナ上空を飛行禁止区域とすることを世界各国に呼びかけるのが目的」であると。


写真は、オデッサ歌劇場の公式ページより。「ウクライナ最古のオペラハウス!」とあります。
この美しい建物は1887年築。
街の重要部分であるためオデッサの「Cultural Heart(文化の中心)」と言われていると、上記Operawireの記事にありました。
ギレリスもリヒテルもロシアが誇る音楽文化にこれ以上なく貢献したピアニスト達なのに、その大切な故郷の街がロシアにより破壊されるかもしれないなんて…。

オデッサの姉妹都市である我が市の市庁舎も、ウクライナ国旗の色にライトアップされているそうです。4日にはオデッサ市から我が市へ応援メッセージをもらいたいとの連絡が届いたそうで、両市長による会談も行われたと…。

今日のブログはドーナツの明るい話題にしようと思っていたのに、すみません。最初は「ドーナツとコーヒーとアメリカ🍩」っていうタイトルにしてたんですけど…。


ディルとサワークリームの使い道

2022-03-01 14:31:57 | 日々いろいろ




先日のボルシチのために購入したディルとサワークリーム。
余ってしまった分をどうしよう?とググってみたところ、こんなレシピを発見。
サーモンソテー 炒め玉ねぎとディルのサワークリーム添え(サントリー)

美味しかった(写真はなんかキモい感じになってるが)
ディルとサワークリームとサーモンの組み合わせは、最強ですね~。
生のディルって今回初めて買ったんですけど、イケアのマリネで知っていた味そのままで感動してしまった。

サワークリームの使い道としては、これも美味しかったです。
新じゃがとベーコンのサワークリーム和え(Nadia)
どちらも「お酒に合うレシピ」と書かれてあるな。。。そう、私はそういう料理が大好き。つまりお酒が大好き

ところで、写真の青の花柄のウィッタードのお皿はロンドンで、ミイの人形はヘルシンキで買いました(ミイが乗っている切株のコースターはダイソーです笑)。
旅先でお土産を買わないタイプの人も多いけれど、私は断然買うタイプ。特に海外では迷ったら買う。
旅行って、形あるものは何も残らないけど、心の思い出が一生の財産になるじゃないですか。そして何十年たってもその時に肌で感じた感覚を現地の空気ごと思い出させてくれるのが、小さなお土産。
悪くはないお金の使い方だと思うのです。


【スウェーデン大使館シェフのおつまみ】ニシンの酢漬けディルクリームソース|作り置きレシピ|魚料理|北欧の味|クリスプブレッド|オムニポロビール

今見つけた、ディルとサワークリームを使ったレシピ。
これ絶対美味しいやつだ。。。イケアの鰊の酢漬けをこのソースで食べたい!鰊の塩漬け(以前ご紹介した鎌倉の山安で買えるノルウェー産のアレ)と和えても美味しそう。
この動画で使っているサワークリームは、今回私が買ったのと同じ中沢乳業のものだな。