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ちょっぴりおひさしぶりです。
皆さま、お元気でいらっしゃいましたか。
というわけで、まずは3月の歌舞伎座の感想から。
友人はたぶん、私の翌日の8日に行っていたはずです。急にチケットが取れたから今歌舞伎座にいる!ってお母様に嬉しそうなメールが入っていたそうです。二人で今月の感想を楽しく言い合ったのが12日。最後に彼女に会ったのが14日の午後。そして15日は彼女は出勤することなく、夜、この世界から旅立ってしまいました。43歳でした。
24日に行ったときは、まだ今月の公演は当たり前にやっているのに、写真を一緒に撮った桜だってまだ散っていないのに、彼女だけがこの世界にいないことがひどく不思議でした。もう絶対に歌舞伎座で会うことはないのだということが実感としてわかりませんでした(今も実感はありません)。彼女がもうお金を気にせず存分に座っていそうな一階席前方の花横の辺りを思わず探してしまいました。きっとこれからも、目に見えないだけで、最高席で存分に楽しんでいるに違いないと思っています。
以下は、いつもの調子で感想を。
この凄み、この軽み。南北の空気~~~
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そして、女形との相性。
もう本物の夫婦にしか見えない仁左衛門さん&玉三郎さんの喜兵衛&お六は、本当に奇跡のカップルであるなあ、とニザ玉コンビのその意味を改めて強く実感いたしました。
最後の花道のカゴを担いだお二人、なんてカワユイんでしょう!なんて楽しいんでしょう!なんという見応えでしょう!
【神田祭】
と思ったら、幕間の後にはさらなる超ド級が・・・
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「完璧な世界」だった・・・・・・。
先月の『井伊大老』に続いて舞台の上が100%完成されていて不足するものが何もない凄みさえ感じて、先月と同じく、少し心配にもなってしまった。数年前なら「きゃ~玉さま~ニザさま~
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お二人に限らず今のこの世代の役者さん達は殆どの舞台を一世一代のおつもりで演じておられるであろうことは想像に難くないけれども。
しかしほんっっっとうに美しいお二人・・・・・・・。杮落しの吉田屋でお二人がそれぞれお顔を見せたときに客席の照明が一瞬でぱあっと明るくなったあの錯覚を思い出しました。
あのときはふんわり上方ボンボンの仁左さまとふんわり儚げ花魁の玉さま。今回は粋なほろ酔い鳶頭の仁左さまとスッキリ芸者の玉さま。どちらも素敵すぎて辛い・・・・。
お二人が頬を寄せ合うじゃらじゃら最高潮な花道は、客席のすべての仁左玉ファンが心の中でありがたやありがたや…と手を合わせていたに違いない。ありがたいは有難い。滅多に現れないからこその奇跡のカップルと同時代に生きられた幸福をしっかりと心と目に焼き付けた夜でございました。
【滝の白糸】
鏡花作品には、『天守物語』、『夜叉ヶ池』、『海神別荘』、『高野聖』のような幻想的な異界が舞台の作品もあれば、『日本橋』、『婦系図』、そして『滝の白糸』のような花柳界など現実の世の中を背景にした、写実的な感覚の作品もありますが、どちらも、”純粋な魂の在り方”を描いていることは共通している、と思って演じてまいりました。…『滝の白糸』という作品も、とても耽美な作品ですが、滝の白糸と村越欣弥は、時間や距離を超え、それぞれの最善の方法で相手にひたむきに尽くし、最後には魂がともに昇華するのです。
(坂東玉三郎。今月の筋書きより)
ここで玉三郎さんが仰っていることは、私が鏡花作品を好きな、そして玉三郎さんが演出する鏡花作品が好きな一番の理由です。
今回の舞台、「救いがなさすぎる」という感想を見かけるけれど、鏡花はその正反対のことを言っているのだと私は思うのです。滝の白糸は心の清廉さを求める欣弥の言葉を受け入れ、正直な告白をした。そして村越欣弥は彼女が自分のために罪を犯したことを承知していて、彼女にその罪を認めさせた。彼ら二人が「純粋な魂」であり続けるには、二人ともが死ぬあのラスト以外にはないのだと思う。二人はそうすることで、この世界の誰よりも気高い場所にいられるのだと思います。それがこの物語で鏡花の描く「救い」の形なのだと思う。私達下界の視点から見ればそれは悲劇かもしれないけれど、鏡花の視点から見れば決して悲劇ではないのだと思います。あまりに純粋すぎる、極端すぎる、と多くの人は感じるであろうけれども、その極端なほどの純粋さが鏡花作品の魅力であり、私が(おそらく玉三郎さんも)鏡花に惹かれる理由です。
で、7日→24日で大きく進歩していたように感じられたのが、この『滝の白糸』。
7日はまだ演技や台詞にぎこちなさが感じられて、鏡花な空気って本当に難しいのね・・・と実感しちゃっておりました。皆さんまだ台詞を台詞としてしゃべっている感じ(歌六さんでさえも)で、観ていてちょっと疲れてしまった。壱太郎の声質にも私の耳が慣れず。台詞の言い方が玉さまぽいのに吃驚したけれど、歌舞伎役者さんはまずは完コピが基本のようなので、これはこれでよいのだと思います。そして場面転換が多い上に幕間10分を2回挟むので、ひどく長く感じられてしまう(これは24日でもそう感じました)。そして思ったのが、この作品は夜の部の一部としてやるのではなく、新派のようにこの演目だけで出した方がいいのではないかな、と。あと、水芸はこれでいいの・・・?とか
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が、24日はほんっとうに進歩していて、とてもよかったです。
全体の流れがスムーズになって演技や台詞が役者さんに馴染んでいたのに加え、なにより主役二人(松也&壱太郎)がとってもよかった。夜の卯辰橋の場面の美しさと愛らしさと愛おしさよ。
今の時代(私は時代は関係ないと思っているのですが)の人達にとってはひどく唐突に感じられるであろう鏡花の主人公たちの行動に説得力を持たせるのは、役者にとって結構難しいことなのではないかと思うのです。でも24日の二人には、自然にその説得力がありました。私の大好きな『外科室』と同じく、世間一般の感覚では恋愛とさえ呼べないような僅かな触れ合い、接点しか持たない二人が、命を懸けるほどの強い何か(恋愛とかそういうものも超えた何か。魂の最も純粋な部分)で繋がっている。そのことを無理なく感じることが出来た、二人の演技でした。決してそれほど濃い演技をしているわけではないのに、不思議。二人の現代的+古風さが同居している空気も、瑞々しい鏡花でとてもよかった。
私は原作を読んだことがあったけれど、友人は読んだことがなかったとのことで、「(神田祭で)すごくいい!!ってなった後、あの演目で。あのラストには吃驚してしばらく呆然としちゃって、呆然としたまま家に帰って思い返して、『でもいい話だった気がする』と感じた」と言っていました。「裁判所の場面は、松也が「失礼します」と退場しちゃって、おいおい~自分の言いたいことだけ言って退場ですか~?と思っていたら、あの展開で。呆然としていたら幕が下りてきて、拍手していいのかどうなのか、と
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「壱太郎がすごく上手になっていて、松也は最後に本当に涙を流してて渾身の演技で、若者がんばれ~!っておばちゃん目線で応援したくなっちゃった」って、少し興奮気味にとても楽しそうに話していました。それが12日です。
24日の閉演後の客席。
彼女とは出会ってから今日まで、数え切れないほどの同じ舞台をここで観て(一緒に約束して観たわけではないのです。でも二人とも特に仁左衛門さんのファンだったから必然的に同じ演目を観ることが多かった)、数え切れないほどの感想を話してきました。24日の『滝の白糸』の裁判所場面の幕切れが近付いてきたとき、不意に「彼女と全く同じ舞台を観るのはこれが最後なのだな」と強く感じ、言葉にできない寂しさを覚えました。いつか同じ配役で再演があったとしても、それは今月の舞台とは違うものだから。
2013年の杮落しのときは私が開場3日目に行ったので、新しい客席からの舞台の見え具合を写真に撮って送ってあげたりして、楽しかったなあ。歌舞伎座の前で擦れ違ったこともありました。あのとき声をかければよかったな、とか、誘ってくれたときに一緒にお弁当を食べればよかったな、とか今更考えても仕方のないことを考えてしまったりしています。
※ようこそ歌舞伎へ:坂東玉三郎
※坂東玉三郎公式ホームページ 4月のコメントより抜粋
2月には私も仁左衛門さんと8年振りの「七段目」で「お軽」を務めさせていただきました。そして3月公演でも「於染七役」で「土手のお六」と「神田祭」の「芸者」で仁左衛門さんとご一緒させていただきました。「於染七役」での二人は、若い時からご一緒させて頂いておりましたので、お稽古をしなくても自然と台詞が出てくるのでした。二番目には「神田祭」を踊らせていただきましたが、これも20年ほど前に初演しまして、そのままの振り付けで上演させていただきました。公演最中にも仁左衛門さんと色々とお話しもしながら、色々なことを懐かしみながら、大変に嬉しい2月と3月の公演でございました。…
思い返しますと、仁左衛門さんと初めてお目にかかりましたのは、私が玉三郎を襲名致しました14歳の時でございました。その後17歳の時に、御園座の山本富士子さんの公演で、「春夏秋冬」という舞踊の「春の巻き」で、二人で「男雛女雛」を踊らせていただきましたのが舞台の上では初めてでした。それから約50年間にわたりご一緒してまいりました。私が20代には、6月の花形歌舞伎や、南座での若手歌舞伎公演で、御先代の仁左衛門さん、そのご子息の片岡我當さん、秀太郎さん、仁左衛門さん(当時の孝夫さん)とご一緒に様々な役柄を勉強させて頂いたことで、現在を迎えられているという実感があるのでございます。30代にはアメリカ公演やパリ公演で「桜姫」をやらせていただいたり、パリでは「かさね」を上演させていただいたり、本当に言葉では尽くせないほの思い出がございます。お父様の時代から、現在に至るまで舞台上では家族のような間柄でございます。…
(坂東玉三郎)