盲目の人々が列をなして、喜捨を待っている。片足のない男や、下半身のない男が手を差し出している。無数の蝋燭の火が揺らめいている。お香の煙が舞う。犬が四肢を伸ばして気持ちよさそうに寝ている。赤い袈裟を着た坊さんがゆっくりと歩いている。五体投地をしながら牛歩で進む女性がいる。
そうした群衆のなかにまぎれて、ぼくもストゥーパのまわりを歩いた。ここでは歩くことが、祈りそのものである。歩き続けることは、祈り続けることである。旅の原型が巡礼にあるとすれば、ボダナートのストウーパのまわりを歩行するという身ぶりは、きわめて原初的な旅の形態をなぞっているということになるだろう。
苦しくなったら、この無心の歩みを思い出せばいい。祈りの先にあるのは、登山の成功などではなく、その瞬間を生きることなのだ、とふと思う。
(石川直樹 いまヒマラヤに登ること)
谷川さんの特集以外にも良い記事がたくさん。
ちなみに写真はヒマラヤではなく北アルプスです^_^;