ロシアの音楽界ってなんて複雑なんだろう、と最近改めて感じている。
それと比べると、日本の音楽界のなんてシンプルなこと。シンプルでいられたということは平和な国であった証拠でもあるな、とも。
最近、チャイコフスキーがウクライナ系であることを殊更に強調する文章をSNS等でよく見かける。そしてロシアの作曲家ではなくウクライナの作曲家とするのが正しいのだと、ロシアの音楽ではなくウクライナの音楽とすべきだと、それらは言う(チャイコフスキーはウクライナ人だと言い切っているものさえある)。これなんかもそれ系の記事。
チャイコフスキーは祖父がウクライナの人で、自身もウクライナを愛してウクライナにしばしば滞在し、ウクライナ民謡を自身の作品に取り入れたりした。彼の音楽はロシア的というよりも西欧的である。しかしそれでもチャイコフスキーはあくまでロシア人であり、そのことで彼の音楽の価値が損なわれるわけでもなければ、ウクライナの人々が彼の音楽を深く愛してきた歴史がなくなるわけでもない。
「ウクライナをとても愛したロシアの作曲家」「ロシアでもウクライナでも愛されている(愛されていた)ロシア人の作曲家」では何故いけないのかと思う。
一方で、西側の音楽界ではチャイコフスキーの一部の作品の演奏が中止になったりもしている。ウクライナの人々の心を害するかもしれないから、と。
チャイコフスキー一人をとっても、ロシアに纏わる音楽事情は複雑だ。
そんなこともあり、「ロシアの音楽」とは何だろうか、と考えていたら、2018年のこんな座談会の記事を見つけた。
亀山郁夫×駒木明義×林田直樹『音楽から見るロシアの今~プーチン、ショスタコーヴィチ、ドストエフスキー~』(ontomo)
今読むととても悲しい気持ちになる内容だけれど、ロシアとウクライナ、プーチンとゲルギエフ、ロシア音楽などについてわかりやすく話されているので、以下に一部を抜粋。
林田: ところで、去年ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフにインタヴューしました。かつて前衛音楽の闘士でしたが、最近では耽美的なまでにメロディアスな作品をたくさん書いていて、まるでショパンやブラームスやラフマニノフのようでさえあります。でも、その静かな祈りのような精神性は、どこか現代的で、アルヴォ・ペルトにも近いものがあると思っています。
そんなシルヴェストロフに、プーチンの名前を出したところ、怒髪天をつくように怒りだしたんです。
亀山: もちろんプーチンの行なったクリミア併合は、ウクライナから見れば領土を失ったわけですから、反ロシアの感情は非常に強いです。でも、今われわれの話しているロシアはウクライナも含むものなんです。ブルガーコフだってゴーゴリだってウクライナの作家だし、多くのウクライナ出身の芸術家がロシアで学んで活動すると言うことを考えると、ウクライナとロシアを別々に考えることはできないと思います。時間はかかるけれど、いつかこの2国が大兄弟として和解できる日がくると信じています。
林田: ソルジェニーツィン(ロシアのノーベル賞作家)が「甦れ、わがロシアよ」(木村浩訳 日本放送出版協会)のなかで「ウクライナはロシアと離れるべきではない、なぜならウクライナはロシアの弟なのだから」と書いていますね、と言うと「違う違う、ウクライナが兄で、ロシアが弟なんだ!」と。
亀山: ロシアというのはキエフから起こっていますから。
林田: そうなんです。すべてのヨーロッパの文化は、ウクライナを通ってロシアに行った。ロシアはウクライナを通してそれらを学んだんだとシルヴェストロフは言っていました。
(中略)
林田: シルヴェストロフはとてもきれいなメロディを書きますが、彼によれば、チャイコフスキーはウクライナ的な作曲家であると。チャイコフスキーはウクライナ人ではありませんが、ああいう美しい旋律はウクライナ的なものでもあると言っています。ではロシア的なものはというと、最初に聴いていただいたショスタコーヴィチに代表されるようなアクの強いものかもしれません。
亀山: チャイコフスキーはとてもヨーロッパナイズされています。先ほど話題に出たようにヨーロッパの文化というのはウクライナを通ってロシアにやって来るわけですから、ウクライナ的というよりも、無意識のうちにウクライナ的なものがヨーロッパ的な要素に取り入れられていると言ったほうがいいかもしれません。
(中略)
林田: いずれにせよ、こういうふうに国の内部に外部を抱え込んでいることが、ロシア音楽の豊かさだという気がします。ポーランド、ウクライナもそうですし、ジョージアの音楽もそうですね。
駒木: ロマの音楽もありますよね。そういうもの抜きには、ロシアは成り立たない。外部から入って来たものを取り除いて、どんどん純化していったら、それはもうロシアではなくなってしまうんです。
そして「ロシアの音楽」を一言では表せないように、「ロシアのピアニスト」も一言では表せない。
В день рождения Святослава Рихтера / Оn Sviatoslav Richter's Birthday
これは、今月20日にモスクワ音楽院で開かれたリヒテルのバースデー演奏会の映像。
ピアノ協奏曲のソリストは、ヴィルサラーゼ。ヴィルサラーゼは以前インタビューで「音楽や芸術のうえで特に夢中になった人」を尋ねられて、まずリヒテルの名前をあげている。そして「でも、私はあまりにも彼の近くにいたので、彼のことをどう語ってよいかわからないのです」とも(『ピアニストが語る』)。
リヒテル(ウクライナ)もヴィルサラーゼ(ジョージア)も、モスクワ音楽院の卒業生。というかギレリス(ウクライナ)もアシュケナージ(ロシア)もレオンスカヤ(ジョージア)もアファナシエフ(ロシア)もポゴレリッチ(クロアチア)もモスクワ音楽院の出身。
ギレリスとレオンスカヤは、ユダヤ人の家庭で生まれた。1978年にウィーンに亡命したレオンスカヤは、「なぜあなたはそんなにソ連を離れたかったのですか?」という質問に、「ユダヤ人がソ連でどんなに酷い目に遭っていたかを知ったら、あなただって離れたいと思いますよ!」と答えている。
一方、リヒテルの父親はドイツ人で、スターリンによってドイツのスパイ容疑をかけられ処刑されている。オデッサの路上での銃殺だったと。そのスターリンの葬儀でリヒテルは演奏させられた。そのことに触れながら、アファナシエフ(1974年に亡命)はこんな風に書いている。
ピアノ演奏におけるロシア楽派について、私はしばしばいろんな質問を受ける。こうした質問にはいつも答えられるわけではない。というのも、私の意見では、ロシア楽派なるものは存在しないからなのだ。ソヴィエト連邦時代にあったのは、ほかに比較しようのない一つの人生の学校だった。殺されることがなければ、真の芸術家になれていた。舞台裏に死が待ち受けているというような生き方から、人生について学び、人生が豊かになっていた(「私を殺さないものは、私をいっそう強くする」とニーチェも言っている)。私たちが日々感じている苦痛がゆえに、コンサートホールで耳にする音が痛切なものになっていた。演奏の強さは人生に、その強度に一致する。流れに身を委せるのではなく、流れに逆らって泳がなければならなかった。リヒテルのような演奏家のエネルギーは、必ずしも彼の天賦の才能のみから来ていたのではなかった。それは外部から、抵抗からやって来ていた。リヒテルはスターリンの葬儀で演奏した。そのとき、彼は何を感じたろう。人生の学校、死の学校。
(ヴァレリー・アファナシエフ 大野英士訳『ピアニストのノート』)
彼らの演奏からは、はっきりと「ロシアの音」が聴こえる。同じ種類の音が聴こえる。でも、その「ロシア」はひとつの国ではないのだということを痛感する。国も違い、人も違う。またアファナシエフが言っていることについても、わかる気がする。
このさきロシアの音楽はどんな風になっていくのだろうか。強く「ロシア」を感じさせるヴィルサラーゼのモーツァルトを聴きながら、そんなことを思う。近所のホールで彼女の演奏を聴いたのはほんの2年前なのに、随分昔に感じられるな…。再び聴ける機会はあるだろうか…。そういえばあのホールはリヒテルが「東洋一の響き」と評したホールだった。
ところで、ロシアの音楽界では今週こんなニュースがありました。
「モスクワ発 〓 グネーシン音楽大学の教員とキーシン、トリフォノフら卒業生がプーチン支持のホフロフ校長に抗議声明」
また、西側の音楽界ではこんなニュースも。
「ロンドン発 〓 ラトルら世界的な音楽家119人が嘆願書、ウクライナ侵略戦争の即時停止、ロシアのアーティストの一律ボイコットに反対の訴え」
さて、ようやく週末ですね。
皆さん、今週もお疲れさまでした。来週は新年度。早いなあ。。。
よい週末をお過ごしください。
※チャイコフスキーの生涯をたどる旅(前編)
※チャイコフスキーの生涯をたどる旅(後編)
※上記嘆願書の全文は以下のとおり(Change.orgより)
Stop the war and counteract the blanket boycott of Russian and Belarusian cultural workers
There is absolutely no justification for the ruthless war that Putin's totalitarian regime has unleashed against sovereign Ukraine, with Russian tanks and missiles targeting innocent civilians. The bombing and attacking of civilian objects such as hospitals, schools, theaters, universities, libraries or churches are war crimes, crimes against humanity that must be condemned without exception and unequivocally. Many artists, musicians, composers and theater workers in Ukraine, our colleagues, are deprived of the opportunity to practice their art freely due to the war. The suffering of all those affected by this war of aggression is immeasurable and we understand
We unreservedly support the sanctions and diplomatic pressure used against the Putin regime and its cronies, against its supporters, propagandists and information manipulators, and against any person or entity whose ties to Putin and his government are clearly documented. But not all Russians and Belarusians, and certainly not all cultural figures from these two nations, support this terrible invasion. Thus, we consider it unfair to condemn Russians or Belarusians in a sweeping manner for the actions of the dictator and his supporters when there is no direct evidence of their involvement. Excluding a cultural worker from an event because of their nationality, while at the same time not wanting to harm the artist personally, as has now happened several times, is not possible. Nationality should not matter - no one would have to justify their origin or nationality.
Not everyone feels able to testify clearly, because such a testimony could potentially cause significant harm to the person himself or to his family, friends and work colleagues in Russia or Belarus. Many currently feel like hostages in their own country. Before invading Ukraine, Putin was already invading his own country, silencing all opposition and ideologically brainwashing the population. But we can defeat his hate-mongering disinformation campaigns by standing together. Therefore, all cultural workers who do not support this illegal war and the responsible regime, whether publicly or privately, should be allowed to continue their artistic activity.
We expressly raise our voices against the arbitrary exclusion of Russian and Belarusian persons solely on the basis of their nationality. Such measures are not only unworthy of a society striving to eliminate all forms of discrimination, but also serve to feed Putin's dangerous propaganda narratives.
We demand an immediate end to the war against Ukraine and urge fairness and justice towards Russian and Belarusian citizens who are not affiliated with Putin's regime.