風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ダニール・トリフォノフ ピアノリサイタル @サントリーホール(2月10日)

2023-02-13 22:38:45 | クラシック音楽




チャイコフスキー:子供のためのアルバム Op. 39
シューマン:幻想曲 ハ長調 Op. 17
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K. 475
(20分間の休憩)

ラヴェル:夜のガスパール M. 55
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第5番 Op. 53
J.S.バッハ(M.ヘス編):コラール「主よ、人の望みの喜びよ」BWV147(アンコール)


9日に続き、10日のサントリーホール公演に行ってきました。
両日とも、kajimoto恒例、演奏前のご本人アナウンスがありました。
ただポゴレリッチのときのような耐震構造の案内ではなく、「こんにちは、ダニール・トリフォノフです。今日皆さんのために演奏ができてとても嬉しいです。楽しんでいただけますように」という簡潔な内容でしたが。
トリフォノフって声が若々しいんですね。いや実年齢も若いんだけど(31歳)、達観したような風貌だから
客席には、社長の隣に奥様らしき方の姿がありました。

今夜もピアノはファツィオリ。
だけど昨夜よりも音がまろやかというか、私が知っている他メーカーのピアノに比較的近い響きに感じられました。
ホールと席が変わっただけでこんなに音の印象が変わるものだろうか?と不思議だったのだけど、kajimotoのtwitterによると「今夜は曲に合わせてピアノを変えるかも?」とのことだったので、変えたのかも。
ただ今夜も「音の色」が薄めなことは同じでした。

チャイコフスキーの「子供のためのアルバム」、初めて全曲通して聴いたけど、温かくていい曲ですねえ。「四季」にしても、チャイコフスキーはこういう小品もとてもいいな。
ただトリフォノフの演奏は、予習で聴いたプレトニョフや、「四季」が素晴らしかったヴィルサラーゼのそれとは異なり、やはり音色のロシア味は薄い。
あまり音が語らないというか、歌わないんですよね。音の体温が薄めというか。
もっとも、トリフォノフ独特の個性のようなものは、わかりました。
たとえば「人形のお葬式」→「ワルツ」のガラリとした空気の変化とか、「ナポリの踊り」のような演奏と(上手いなあ!これ聴くとバレエ観たくなる)、「ママ」や「甘い夢」のような演奏の二面性とか。
ファツィオリって鍵盤が軽いのかな。「ナポリ」の終盤、ピアノであれほどの同音連打ってできるものだろうか。楽しかった これを聴いて後半の「スカルボ」が楽しみになりました。

続いて、シューマンの「幻想曲 Op. 17」と、モーツァルトの「幻想曲 K. 475」
どちらも決して悪くはない。悪くはないのだけれど。
フレイレやヴィルサラーゼで聴いた表情豊かなシューマンの同曲や透明感のあるモーツァルトの同曲の演奏と比べてしまうと・・・。
過去に聴いた名演と比べても、それと異なる個性で感動させてもらえることって沢山あるじゃないですか。だから演奏会に通い続けるわけだけれど、この2曲では私はトリフォノフからそういうものはもらうことはできず・・・(素人がエラそうに本当にすみません)。
そういえば私は気づかなかったけれど、今日のモーツァルトでも暗譜がとんでいたそうで。ツィメさんやポゴさんのように楽譜を使えばいいのにねえ

休憩を挟んで、ラヴェルの「夜のガスパール」
「オンディーヌ」と「絞首台」は、ごめん、やはり大好きなポゴレリッチのそれと比べてしまうと「悪くはない、悪くはないのだけれど・・・」状態で聴いてしまった。。。
「オンディーヌ」の水の音とかすごく綺麗で、ファツィオリと合ってるなあとは感じたけれど、ポゴさんのを聴いたときのように胸が苦しくなるような感覚はなく。
「絞首台」も同様で、この曲に欲しいあの独特の暗さがなく。
結局、ここまでは「フレイレはトリフォノフのどこにそれほど惚れ込んだのだろう」と、このピアニストの魅力がわかるようなわからないような、だったのだけれど。

「スカルボ」。
いやあ、凄かった。。。。。
これにはポゴレリッチのガスパールが大好きな私も、感動しました。
なんだあの音のコントロール、というかコントロールさえ意識せずに弾いてる感じ。トランス状態というか憑依系というか。
素晴らしいテクニックなのにそれをひけらかそうという意識は感じられず、彼の中に流れている音楽が聴いている側に直接的に伝わってくるような。
トリフォノフ、こういう演奏をさせると無敵ですね…

演奏後は本人も満足そうに袖に引っ込んで、すぐに戻ってきて、前曲の勢いのままスクリャービンの「ソナタ5番」
彼の十八番なんだろうな、ということがよくわかる演奏でした。
何も言うことないです。こんな弾き方なのに、不自然さはゼロ。鍵盤を見ていてもどうやって弾いてるんだか全くわからん。
彼の中に流れている音楽がほぼ同時にピアノの音となって表れているような。
こういう「血」で弾いている感じ、フレイレを思い出すな…。
こういう自在な音の演奏を聴けるのって、すごく貴重です。

しかしファツィオリってこんなにしっかり鳴るんだねえ。そしてどんなに強音でも音が濁らない。
今はまだ決して好きなピアノとは言い難いけれど、このピアノ独特の良さがあることは理解できた気がしました。

今日は客席のマナーもとてもよくて、本人も満足そうだった(袖に帰るときに表情がよく見える席だったので)。サントリーホールがあそこまで静謐になるとは。
アンコールは「主よ人の望みの喜びよ」を弾いてくれないかなあ、絶対合うと思うの、と思っていたら、弾いてくれました
今夜はアンコール仕様なのか、昨夜よりもゆったりと静かな静かな音で奏でられました。
クールダウンのように弾かれた、祈りのような、鎮魂のような、静かで崇高で優しい響きのバッハ。美しかった。。。今夜聴きに来て本当に良かったです。
そしてスクリャービンの後にこの音楽がこれほどしっくりくることに、改めてバッハという作曲家の懐の深さを感じました。

そうそう、今夜はP席をすべて空席にしていました。
時々こういう演奏会に出会うけれど、どういう理由によるのだろう

トリフォノフ、日本でのソロリサイタルはなんと8年ぶりだったとのこと。
次回はそれほど遠くなく来日して、今度はショパンを弾いてほしいな。
フレイレは「最近の若い人達はショパンは速く強く弾けばいいと思っている」と不満を述べていたので、トリフォノフのショパンはそうではないということだろうか。聴いてみたいです。

※2023.1019追記:
ファツィオリジャパン代表取締役の方が、ファツィオリの音色の特徴について話されている記事を見つけました↓。
これを読んで、私がファツィオリを苦手な理由って、この透明感なのかも、と。
人間でも世の中でも、純化させすぎる傾向が苦手で、汚い部分や雑味もある方が自然の姿じゃないか、と感じてしまうんです。
だから、こういう雑味が整理された純化された音に無意識に抵抗を感じてしまってるのかも。
じゃあなぜ主よ人の望みの喜びよはあんなに良かったのだろう?と思い返すと、すごく純粋に美しく聴こえたんですよね。静かに祈るような音でした。
そういう雑味のない純粋に美しい部分も、やっぱり人間の一部じゃないですか。普段表には出ていなくても。
そういう部分だけを掬い上げられる良さは、ファツィオリの美点なのかも、とも。

──メーカーによってピアノの音色が違うと伺いました。ファツィオリの音色は、どんな特徴がありますか?

「音楽の特徴」という言葉はあまり好きじゃないけれど、一番良いところは「非常に透明なクリアな音」です。技術的な説明は別として、一般の人にもピアノの音のクリアさがすぐに感じられるピアノです。

──音が澄んでいるということですか?

いちばん有名なピアノメーカーはスタインウェイですね。スタインウェイは、倍音(※ある音に共鳴・不随して同時に出ている音のこと)がいっぱいある。ヤマハのピアノも倍音が非常に多いですが、ファツィオリは倍音を非常に整理しています。緻密な造り方をしていることで、余分な倍音を整理し、濁らない非常にクリアな音を可能にしています。演奏の時に、多くのピアノはたとえるなら“雲みたい”な感じがありますが、ファツィオリは一音一音が別々の粒のようです。演奏すると、よくわかると思います。

(ジャズやポップスのピアニストも支持!新興ピアノメーカー『ファツィオリ』人気の秘密)







Nelson Freire: Robert Schumann - Fantasy in C major, Op. 17 (1983)
フレイレのシューマンの幻想曲。
フレイレのピアノだけが感じさせてくれるこの空気、もう二度と体感することはできないのだな。。


ダニール・トリフォノフ ピアノリサイタル @東京オペラシティ(2月9日)

2023-02-13 00:43:10 | クラシック音楽



J.S.バッハ(ブラームス編):シャコンヌ BWV1004
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080(全曲)
(*コントラプンクトゥスXIIとXIIIは基本形と転回形を両方、またXIVはトリフォノフによる完成形を演奏)
J.S.バッハ(M.ヘス編):コラール「主よ、人の望みの喜びよ」BWV147
C.P.E.バッハ:ロンド ハ短調 wq.59-4(アンコール)
W.F.バッハ:ポロネーズ第4番 ホ短調 F12-4(アンコール)


以前フレイレがインタビューで好きな若手ピアニストを質問されて「トリフォノフのショパン」と答えていたのを読んで以来、いつか聴いてみたいと思っていたピアニスト。
今回は残念ながらショパンは聴けませんでしたが、9日の東京オペラシティと10日のサントリーホールの両公演に行ってきました。
まずは9日の感想から。

本日はオールバッハプロ。
何よりまず、冒頭から私の知っているピアノの音(スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ヤマハ、カワイ)と全く違うことに戸惑いました。どこのピアノ??と。
3階席からはメーカーの文字までは見えず、今回も休憩時間に一階まで降りて確かめたところ
「FAZIOLI(ファツィオリ)」
名前だけは知っていたけれど、こんなに個性的な音のピアノだったとは。。。
チェンバロぽいというか、純正律ぽいというか(←専門知識皆無の素人の勝手なイメージです)。
和音になっても音が混ざらず、各音がどこまでも真っすぐに届くような。
記憶が遠くなってきているけど、バレンボイム・マーネの音に少し近いかも。
ただ異なるのは、ファツィオリからは「音の色」が全くと言っていいほど見えないこと。
その点では、ファツィオリとファツィオリ以外に分けてもいいくらい、他のメーカーと違うように感じる(あ、ベヒシュタインは未聴です)。
もしこれがピアノの個性ではなくトリフォノフの個性なのだとしたら、ロシア系のピアニストでは非常に珍しい。彼の師匠のババヤンは、音の色がはっきり見えるタイプだったのだけれど。
今日の演奏、アンデルシェフスキのときと同じくらい色が見えませんでした。
でもなんとなく今回は、ピアノのせいが大きいような気がする
この答えはトリフォノフが別のメーカーのピアノを弾くのを生で聴ける機会がくるまで、おあずけかな(私の場合はネット配信だと色が見えにくいので)。
帰宅してから知りましたが、トリフォノフはファツィオリを好んで弾くピアニストなんですね。ショパコンでも、過去の来日公演でもそうだったと。

今日はこのピアノの音の個性に耳が慣れるまでに時間がかかってしまい、というよりも最後まで慣れたとは言い難いけれど、初めて聴いた「シャコンヌ(ブラームス編)」、とてもよかった。左手だけで弾いていること、全く忘れて聴いていました。昨年ババヤンで聴いたブゾーニ編のような華やかさはないけれど、素朴で誠実な感じのこの編曲、私はとても好き。バッハ、ブラームス、シャコンヌと私の「好き」が勢ぞろいしているので、好きじゃないわけがないですが。

シャコンヌから拍手を挟まずに「フーガの技法(全曲)」へ。
なんとこれも暗譜。
どういう頭の構造してるんだろう。私なら順番を間違えたり、一曲とばしたりしちゃいそう。と思いながら聴いていたら、途中で暗譜が少しとんだ(主題が不自然に崩れて、しばらく音が彷徨っていた)ように聴こえたのだけれど、気のせいだろうか
聴き慣れてる曲ではないので自信ないけど、一応自分用覚書として書いておきます。
いずれにしても、今日のトリフォノフはあまり本調子ではないような印象を受けました。
※追記:この曲に詳しいトリフォノフのファンの方が「11曲目で半端に休憩が入ったのが悪かったのか、13曲目で暗譜が怪しくなり、14曲目のコラール部分は丸々すっ飛んでいた」とツイートされていました。

また今日の演奏は、抑制的というか客観的というか、聴く者が高揚感を覚えるような感じの演奏ではなく。静かな高揚感という感じもなく。
これがトリフォノフの個性なのかな?とこの時は思ったのだけど、翌日のサントリーホールでの彼は別人二十八号だったのでありました(その感想は改めて)。

一度舞台袖に引っ込んでから弾かれた、本編最後の「主よ人の望みの喜びよ」。個人的には、この曲が最も今日のトリフォノフとファツィオリの魅力が出ていたように感じられました。
どこまでも純粋な響きの音がまるで教会にいるようで、とても美しかった。
この曲も、フレイレが来日で弾いてくれた曲だったな。フレイレ、「これからは沢山バッハを弾きたい」って言っていたのにな。。。

アンコール2曲は「バッハぽいけどバッハぽくない。誰の曲だろう?」と思っていたら、バッハの子供達の曲だったんですね。とても美しい演奏でした。
今日の本編の曲とともに、トリフォノフのアルバムに収録されているそうです。

ところでトリフォノフって、演奏を終えると、最後の響きがホール内で消えきるかどうか微妙なうちにすぐに立ち上がってしまうんですよね・・・。聴く側としてはもう少し余韻がほしいところです・・・。
意外と気難しいピアニストなのかも、とも。



Daniil Trifonov – Bach: Cantata BWV 147: Jesu, Joy of Man’s Desiring (Transcr. Hess for Piano)
ここではスタインウェイを弾いていますね。