シュルツ氏の魅力と詩を書く自身を投影して、次のようにも話した。
「僕、詩を書く人間だから、物語に弱いんですよ。物語は作れない。その点、俳句のように“何も言わない”で読んだ人に考えさせるみたいな、アンダーステートメントのようなものが、シュルツさんにはあると思うの」
その中で気が付いた、PEANUTS作品の本質は「明るいさみしさ」だった。
「明るいさみしさっていうのは、割と人間の本質として誰でも持っているんじゃないかなと思うんです」
「シュルツさんも、コミックを描きながら、どこかに孤独感とか、さみしさとか、なにか不足な感じとか、そういうものを持っている。だから、深い世界が出るんだなって」
谷川さんに「寂しさがあると、深い世界に行けるんですか」と聞くと、大きくうなずいて、こう言った。
「もちろん、そうですよ。違う?」
さらに「寂しいと悲しくなってしまうのかなって思うんです」と聞くと、少し考え、また頷いて話した。
「悲しくなるのが、深い世界に行く道だもん。よく、四六時中はしゃいでいる人っているけど、疲れちゃうでしょう。それは、自分とか、他人とかの深いところに触らないように、はしゃいでいるのかもしれない。そんな感じがします」
スヌーピーたちの日常には、誰かと誰かがつながりを持つときの深い心情のやり取りや、変わらないでいてくれる安心感が漂っている。
「PEANUTSは、時代によって変わる部分っていうのは割と少ないけど、確かにある。だけど、ほとんどがアメリカとか日本とか、他の国とかを問わず、地球上の人間全体の、普遍的な在り方みたいなものが基本にあるから、いつまで経っても古くならない」とゆっくり目線をあげた。
(Huffpost:スヌーピーと育ったすべての大人たちへ。詩人・谷川俊太郎が語る、PEANUTSの「明るいさみしさ」とは)
人間明日は何があるかわからないので職場のPCの中身を整理していたら、ブックマークにこの2019年の記事が入っていたのでご紹介。
人が誰でも持っている(かもしれない)本質的なさみしさというのは、一体どうして、どこから来るのだろう。
「さみしさ」という言葉を持たなければ、私達はその感情をもう少し違ったものとして感じられたろうか。
あるいはその言葉を持てたことで、私達の心は少しは救われているのだろうか。
「どこかに孤独感とか、さみしさとか、なにか不足な感じとか、そういうものを持っている。だから、深い世界が出る」。
さみしさなんて持たないに越したことはない感情だけれど、これは谷川さんが仰るとおりかもしれない。
少なくとも私が心動かされる芸術作品の根底には、孤独感や寂しさが見え隠れしていることが多い。