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福島第一原発事故の衝撃~繰り返される東京電力の慢心と馴れ合い原子力行政

2011年03月16日 12時11分13秒 | おかしいぞ
今回の事故について、経過について詳細に検討しなければならないことは確かである。今も最悪の事態を回避すべく、命懸けで活動している方々がおられることには、感謝以外ない。そのことと、東京電力や行政の責任は別である。むしろ、危機的状況を招いた最大の責任は両者にあることは疑う余地はないであろう。


①事態の過小評価

恐らく災害当初、原子炉が停止したので、これほどの大事になるとは思ってはいなかったのではないか。

予想されるのは、東電の内部的な評価として、初期には「あまりおおごとにはするな、無闇に騒ぎ立てるな、穏便に処理せよ」みたいな発想があったのではないか、ということだ。重大な結果を招くかもしれない、ということを真剣に考えていたのか。放射線が今ほど漏れていたわけではなかったから、作業の容易さなどは比べものにならないのではないか。

原子炉を後から使えるように、といった色気を出してはいなかったのか。安全を最優先にして判断したのか。そういった疑問はあるわけである。最初から全力で取り掛かっていたなら、ここまでの悪化となっていなかったかもしれないのである。もっと取り得る手段はいくつか残されていたかもしれない、ということだ。事態が進展してしまい、悪化してゆけば残された選択肢は狭まる、ということは、日常でもよくあることだ。

根底にあったのは、保身、責任逃れ、悪い状況をひた隠しにして何とか穏便に済ませようといった態度ではなかったのか。

福島第一原発事故~昨年の事故教訓を無視した東電の責任は重大


②過少戦力での対応

前項にも通じるが、全戦力を投入して、抜けのないようにしておくべきだった。東電にとっては、福島第一原発だけではなく、第二原発や他の火力発電所などにも問題を抱えていただろうが、対応が遅れたことが今の事態を招いたように思える。

例えば電源車やポンプ車等、用意できるものは最大限集めておくのが当然だったのではなかったか。つまり準備の段階で、苦戦が決定付けられてしまったということである。そうして事態が悪化し、他の原子炉にも危機が飛び火してゆくことで、更なる人員不足やリソース不足を招いてしまったのではないか。


③指揮系統の不在、混乱

前線(現場)と司令部(中間指揮所、参謀本部)との間で、情報がきちんと整理され伝わっていない、ということがあったのではないか。それは記者会見や行政への報告という点でも、遅れや不正確さなどがあるということと繋がるわけである。

現場に正確な指示、命令を伝えられるようなシステムが存在してこなかった、ということではないか。それは、こうした危機がなかったからだ、ということはあるかもしれないが、実際には上記参考記事に挙げたように、昨年6月には同様の燃料棒露出事故が発生していたのであり、そうした教訓を生かす努力をしていたなら、もっと違った対応となっていたかもしれない、ということである。


WSJ記事で指摘があったと思うが、同じように災害を受けた女川原発ではこうした事態となっていない、ということをどのように考えるか、ということだ。



これは東電という電力会社の体質とも言うべき問題なのではないか。
それは原子力行政と一体となった、安易な運用が行われてきたということだ。2月には原発の171機器の点検漏れが報じられていたばかりだった。福島第一原発においても、33機器の点検不備が報告されていたということらしい。

原発というハードの持つ問題点と、それを運用する人間側の問題というものについて、よく検討し、反省すべきである。改善がなければ、教訓とはならないのだから。