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『梅ちゃん先生』に文句があるヤツはかかってこい!

2012年09月13日 21時26分11秒 | 俺のそれ
我が家的には、非常に素晴らしいドラマとして絶大な人気を誇る、『梅ちゃん先生』に不満がある人々が大勢いるらしい。


>http://www.news-postseven.com/archives/20120908_141636.html


酷評が多い、というわけだが、何が悪いのかが全く理解できない。
まあ、かなりの数の人がダメなドラマだ、と感じているということかもしれないが、オレ的にはまるで賛同できんな。


文句なんて、いかようにもつけられる。
最たるものが、梅ちゃんが医者には見えない、ってやつだ。現実にそんな「美人先生はいない」「カッコよすぎる先生はいない」みたいなことは、誰が演じてたって言える。だって、俳優さんや女優さんだから。

けど、西川先生みたいな、どう見ても医者には見えない芸能人だっているわけで。現実は、医者じゃん。医者だな、と思えば、どんな役者さんだって医者に思えるよ。そう思って見ない、というだけ。自分の中にある、つまらない先入観に支配されている人は、その「自分が抱く医師像」みたいなものから、離れなれないんだよ。そんなに言うほど、医師について詳しく知っている人なんて、そう多いとも思えない。


リアリティがない、とか言うのも、ほぼ全てのドラマや映画で使えるわ。どんな作品でも、ツッコミどころを探せば、何だってあるっての。


「赤ちゃんが真横で泣き続けてもまったく気付かない母なんてありえない」

→ 確かに、普通はそうだよ。だけど、夜勤の連続とかでヘトヘトになってみ?おれは実際目が覚めなかった経験があったよ。自分でも信じられなかったが、まるで起きれなかったことがあった。それくらい梅ちゃんが疲れていた、ってことを表現してるんじゃないか。どうしてそれが素直に受け止められないのかが疑問。


「生後数か月の育児は、こんなもんじゃない」

→ じゃあ、ドラマの殆どを「子育て地獄」みたいな感じで延々と詳しく演じればよかったのか?そんなドラマを大勢の人たちが期待しているとでも?そんなに子育てが大変だとか言うなら、親と同居でもしていればいいんだよ。家を出たいとか言わないで、3世代同居したらいいじゃないの。


「適当な発想で子育てを描くことが不快」

→ 要するに、「わたしはこんなに苦労して塗炭の苦しみを味わっているのに、梅ちゃんはのんびり楽ちん子育てしているのが、腹立たしく気に食わない」ということなんだろう?適当も何も、子育ての一部がドラマに出てくるだけで、子育てに特化したドキュメンタリーじゃないんだから。主人公がプロのスポーツ選手という設定とかで、一部に練習シーンとかあったら、「あんなもんじゃない」とか言い出したらキリがないっての。話の展開上、出産した、という事実が描かれていればいいんだよ。子育て上の苦労を全部正確に描写せよ、とかいうドラマじゃないんだってば。


「苦労もなく手に入れたラクラク人生なのに、地域医療とか嘘くさい」

→ 苦労もなく、って、じゃあ空襲に遭ったことがあるか?水道のない生活とか洗濯機のない洗濯をしたことがあるか?鉛筆やノートもろくになくて勉強をしたことがあるか?何がラクラク人生だ。梅ちゃんの方がはるかに苛酷な人生だったろうよ。嘘くさいのがダメなら、家族の半分くらいは大空襲で焼け出されて、死亡させておけばよかったのか?悲惨な人生がお望みということか?嘘くさい、って昔の医療機関そのものが少なかった時代だから、急病センターもなかったし、大変だったはずだ。それの何が気に入らないってのかねえ。


「庭の梅の木はいつも枯れていて季節感がない。花が咲くと造花にしか見えない」

→ そりゃすまんかったな。大道具さんとかに文句言えってことか?見るに堪えないSFXだか特殊効果だか、そういうのもいっぱい存在してきたのだが、細かいことを言えばどんなドラマにだって穴はあるだろうに。それに、本筋には何ら影響ない。梅の花は、たまにしか咲かなくていいんだよ。意味のある場面だけ、咲いていればいいの。



要するに、他人を呪いたい連中が多い、ってだけなんじゃないの?
うらみつらみが多すぎるんだろうよ。他人が楽しているように見える、というだけで腹が立つようなまことに「不幸な」連中なんだろう。「私の苦労なんて、こんなもんじゃないわ」的な苦痛表現を好む人たちなんだろう。子育てが喜びなんじゃなく、まるで過酷な労働か拷問か苦行のようなものであるとして「描いてほしい」ということかもな。子育て地獄、これを描け、と。

そんなドラマなんざ、みたかないね。
誰がそんなつまらんものをみたいと思うわけ?
ああ、文句を散々言ってる人はそれがお望みなわけね。


記事を書いてる人は次のように言う。


『梅ちゃんの母親役(南果歩)も母親に見えないし、義父役(片岡鶴太郎)も職人に見えてこない。一言でいえば、生活のシーンどれをとっても、話し方、手つき、表情、雰囲気などの「リアルさ」が欠如している。お話の「土台」となる前提が崩れている。だから、視聴者であるこちらもフィクション世界に没入できない、というわけです。』


母親役に見えない、ってさ、どういう見地なの?
戦前だから、20歳くらいで産んだのは普通だろう?3人目だから、20代後半なのかもしれんが、梅ちゃんと25歳違いだとすると、50歳ちょっとくらいでは?現在に比べて、多少若かったとしても、普通だろう?イマドキの初産が30代後半とか40歳くらいという感覚だから、ダメなんじゃないの?

鶴太郎の職人役は、結構好きだけど?
おれがガキの頃の家族イメージって、あんなもんだったような感じだけど(親父は職人ではなかったが)。ああいう、ガサツな感じの家族だった、ってことだよ。江戸弁の工場(こうば)のオヤジなんて、あんなもんじゃないの?詳しくは知らんけどさ。

ステテコ姿とか、腹巻き姿とか、あんなもんだろう?
口の悪さとか、適当なことを言う調子のいい感じとか、よくありがちだろう。ちょっと芝居がかった大袈裟なところはあるけれど、あれは意図的にそういう感じの「江戸弁オヤジ」としてやっているんだろうよ。

リアルさの欠如というのが、具体的にどの部分がどうなのか、というのが全く分からない。だったら、あんたが監督なり演出家なりをやってみな、って話だわな。『生活シーンどれをとっても』、って、それはドラマのほぼ全部だろう。生活シーン以外のシーンなんぞ、昔の回想部分で記録フィルムなんかが出てくるくらいだわな。料理を作るシーン、食ってるシーン、作業場で仕事をしているシーン、色々あるが、どれがどうダメなのかね。


梅ちゃんの一番いいところは、梅ちゃん自身の「成長物語」だよ。主役の堀北さんがこんな大役できるかしら、という不安で頼りなげな所と、梅子先生が医師となって成長してゆく過程が、まさにぴったりと符合しているところがいいんだよ。梅子が成長してゆく様を見守るのと同時に、ドラマそのものが成長してゆく様を見守るというところがいいんだよ。

我が家としては、非常に共感できるドラマなのだ。
まるで我が子を見守るが如きドラマだから、だ。


昔はさ、ああいう他人にストレートな所が多くて、人間同士の関係も濃くて、いちいち他人の問題や話にも首を突っ込んできて、ちょっとした事件や出来事なんかは近所の連中がみんな知っていて、というようなことだったわけだよ。暑苦しい関係だった。面倒でもあるけれど、人情もあった。


梅ちゃんの一家や周囲の人たちは、ほのぼのとさせてくれる。
ケンカしたり、つまらない言いあいをしたりもするけれど、笑っていればいつかはどうにかなるんじゃないのかな、ってことでいいでしょうに。最後は丸く収まるって、一番いいじゃん。
ポワンと「困ったわ」と言って、いずれどうにかなるなら、それでいいじゃん。梅ちゃんの一家は、大体いつかはどうにかなってるもん。失敗もあるけれど、笑って過ごせば、どうにかなるってことを信じたいでしょ。


そんなにギスギスした人生を歩まなくたっていいじゃないか。
文句を言っている人たちは、結局あの「ポワン」としたほのぼの感が、憎々しいということなんだろうと思うよ。もっと困れ、みたいな。現実世界で、笑って済ませられないようなタイプの人たちが、他人を恨んだりするから、それをドラマにさえ持ち込もうとするだけ。他人が苦しんだりする姿にこそ、喜びを感じているんだよ。怨嗟の感情から解放されることがないのだ。


文句を言う方向性が、なんか空しい。
話の筋として矛盾してるとか、いきなり突飛な展開だとか、理解できない描写とか、そういうのはあるかと思うが、否定的意見が殺伐としているのは、何だか寂寥感が溢れるな、と。

オレにとっては、幸せ気分に浸れて、いいドラマなのにな。


今年のお気に入りドラマとしては、最高がやっぱり『リーガル・ハイ』で、次が『梅ちゃん先生』ですな。今後、古美門弁護士の特番でもあれば、と期待していましたがね。



※16日追記:

コメントへのお答えとして、昨日書いた記事も参照下さい。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/4d41a5571f3f8e5bbb4438695a7a44aa



W杯最終予選~イラク戦

2012年09月13日 14時05分35秒 | いいことないかな
ちょっと間があきましたが、一応。野暮用だったもので。


ご存じの通り、勝利をものにした。
ホームで確実に勝ち点3をゲットし、ぶっち切りの単独トップに立ったことは非常に喜ばしい。早々に本大会出場進出を決めてしまいたいのは当然だ。


この試合で判ったことがある。
監督の基本的な考え方、である。ザッケローニ監督は、チームについてどのように考えているか、ということである。

それは、チームとして熟成すべし、ということだ。考え方はほぼ固まりつつある、ということだろうと思う。そして、今後も「冒険はしない」という基本路線は守られるであろう。


だから、先日拙ブログ記事で書いたような、やや奇をてらったスタメン予想などというものは、全く必要ないものだった。申し訳ない。当方のような、その時その時の思いつきのようなもので、チームを作り上げていっているわけではないから、ということがよく判りました。


構想としては、これまでの形というのが尊重された。
基本形としては、これかな。

前田
香川、本田、岡崎
遠藤、長谷部
長友、吉田、今野、内田


左右のサイドバックとしては、今回の駒野や酒井宏などが競う、といったことだ。
中盤では、今回の清武は右でも左でも入れる、というのが成果だった。岡崎も左右どちらでもいいが、監督構想の中では基本的に右で使う、ということなのだろう。だから今回でも、右に岡崎を入れたままで、香川の位置に清武ということだった。運動量の多い長友が左に入っている時には、岡崎を右で使いたいというのがあるのかもしれない。岡崎も走れるから。
流れを変えたい時には、憲剛を入れたり、前田の位置にハーフナーや李を入れてみたり、ということを過去にも試してきたわけだ。


心配されていた長谷部は、本番に間に合わせてきた。長谷部に対する監督の信頼はかなり大きく、キャプテンとしての長谷部を尊重したものだった。遠藤と長谷部がいることに馴れ過ぎると、やや心配ではある。存在が大きければ大きいほど、抜けた場合の戦力ダウンというものが気がかりになるから。


ザッケローニ監督は、チームとしての熟成を最も重視しているのだろう。より完成度を上げてゆくことを求める、と。それは連携のスピードを上げる、攻撃パターンの種類を増やす、といったことだ。だから、あまりポジションをいじることはせず、最もしっくり来るものをベースに、故障、怪我や累積で抜ける場合には、そこに誰かを手当てする、といったことにしたものと思う。


これまでのW杯最終予選では、前半戦で苦労することが多かったような印象があり、出場が不安視されたりして監督人事(更迭など)の話まで及ぶことがあったりしたものだ。今回はそういうのがなく、無敗かつ単独トップということで大きく抜け出しているから、安心感が違う。それだけ日本のサッカーは強くなった、レベルアップした、ということだと実感できる。前回大会では、4勝3分1敗だった。今回は、既に3勝ですから。


ここまでは、とてもよい戦いをしてきた。欲を言えば、もうちょっと得点できていたなら、なおよし、ですが(笑)。
あとは、日本のサッカーが強豪国にどのくらい通用するか、というのが見てみたい。五輪代表はスペインを破ったので、フル代表も上を目指してもらえればと思う。