コメントをいくつか頂戴しましたので、特に以下のコメントについて少々返答を書いてみたいと思います。
>『梅ちゃん先生』に文句があるヤツはかかってこい!
(コメントを再掲)
そりゃあまりにクタクタで子どもが泣いていることに気づかないということもあり得るでしょう。でも、それ程梅子が必死で頑張っているようには見えない。梅子が一から苦労して本気で地域医療のために取り組んでいるのであれば、患者さん達との触れ合いがあれば、観てる人々の心を鷲掴みにすると思いますよ。成長物語って、どこが成長しましたか?
自分は父親に一から十まで依存しているくせに、他人に対しては上から目線。
私がこのドラマに共感出来ないのは、時代考証がどうのこうのとか、子どもの泣き声で起きないからどうのこうのではないのですよ。
ヒロインに人としての魅力が感じられないから。これにつきます。
こんな人間、一番敬遠するタイプですね。
父親のコネで(日頃は煙たがっているくせに、ここという時はチャッカリ利用する)、大学病院に就職。金もないくせに「先生」とチヤホヤされたくらいでその気になって開業を思いつく。そして平気で実家を担保に入れる。そこまでして開業したのに、必死で働いてる様子もない。看護師の給料も払えないのに「診療代はキャベツでもいいですよ」という見栄っ張りぶり。
もう、今ではまともに観てないけれど、「みんなの感想」を見ればわかります。やっぱり成長してないんだな…と。
私は「梅ちゃんファンサイト」(そんなものがあるのかどうかもわかりませんが)に書き込んだりはしません。せっかく梅ちゃん大好きな方々が集っているところに批判的な意見を載せても、気分を害させてしまうだけですから。
たまたま見つけたこのブログ、「かかって来なさい」と書かれてありましたので、私の考えを書かせていただきました。
長文、乱筆乱文失礼いたしました。
========
もし、このコメントを一言で要約すると、「ヒロインに人としての魅力が感じられない」ということでしょう。これは、主観ですから、仕方がないことですね。喩えて言えば、佐々木希でも綾瀬はるかでもいいんですが、「女性としての魅力を感じない」と宣言してしまえば、その意見は誰にも覆すことはできない、ということです。
コメントのピックアップ順が前後しますが、当方の話の進め方の都合上ですのでご容赦下さい。
(以下、引用部を>> で示します)
>>父親のコネで大学病院に就職
これは若干語弊があるかと。他の皆と同じ試験を受けたのですから、コネ入社みたいなものとは違うかと思います。そこで特別な取り計らいがあった、ということでもあるならコネだと断罪できますが、そうではないんじゃないかな、と。
親と同じ学校に進むことは、そう珍しいことではないんじゃないでしょうか。大学入試や就職試験ならいざ知らず、インターンの行き先だったわけで、昔は希望先にはほぼ入れたんじゃないでしょうか。インターンは、今でいう研修医制度と似ており、研修期間が終われば自分で新たな就職先を探す必要があります。終身雇用の採用試験じゃないんですから。ただ、慣例的にインターンが終わった後も同じ医局にお世話になることが多かったものと思いますけれども。そのインターン採用試験がそんなに難しかったとは、考え難いでしょう。コネを使うほどの試験でもなかったんじゃないのかな、というのが当方の推測です(実態はどうだったか知りません、あくまで”推測”です)。
>>チヤホヤされたくらいで…開業を思いつく
バイト先での経験があったから、でしょう。話の筋を忘れてしまわれたのでしょうか?おだてられたから、ではないですよ。大学の医局というのは、ドラマでも出てきましたが、研究は重要な位置を占めています。少なくとも、研究・教育が大きな地位を占めている、というのが事実であり、その余を臨床に充てる、ということになってしまうわけです。ドラマ中でも研究成果が出てきて、論文を書き上げるくらいにまで来ていたのに、町医者になる選択をするのかと父親に非難されていました。開業医になるということは、「臨床に特化する」ということに他ならない、ということです。そういう選択をした、ということです。同僚の松岡さんや同級生の女医さんなんかが大学に残っているのは意味があるのです。
>>実家を担保
何の資産も後ろ盾もない人に、銀行が簡単に金を貸してくれるわけないですから。医院を建てるのに大金が必要です。もしも実家がないとか、担保もない、ということなら、確かに開業できなかったのかもしれません。その場合には、大学に残って給料をもらっていたことでしょう。
>>必死で働いている様子もない
まあ、ドラマの全部を医院の毎日ということで描くと、また違った面もあるかもしれませんね。患者さんが列をなして来ている、という状況でなければ、空き時間があるのは仕方がないのでは。実家で酒屋を営んでいる店があって、1分たりとも休みなく客が来ているかというと、そうでもないのでは。それを見た人は、「お前の店は怠けている」と非難するのでしょうか?
>>診療代はキャベツ、看護師の給料も払えない
まず、看護婦さん(当時は看護婦と呼んだはず)、給料なんて二の次、というのはずっとそうだったと思いますよ。今ほど、医療界の中で地位が確立していたわけではなかったでしょう。給料は安かったはずだし、あのベテラン婦長上がりの素晴らしい看護婦さん(当然我が家では大人気)であっても、金より治療を優先、患者さんを優先、と思ってやってきたはずです。それに、国民皆保険になったのは、昭和30年代に入って以降だったと思います(制度が出来ても、必ずしも加入率が100%に行くはずもないでしょう)。医療費の自費で全額負担が、想像できますでしょうか?たった今、あなたの保険はなくなって、10割負担だとしたら、どうでしょう?払えないことは珍しくないと思いませんか?
国民健康保険ができる前は、サラリーマン以外の農家や漁師さんや自営の方々には、健康保険はなかったはずです。だから、本当に野菜や魚を持ってきて、これで診てくれ、なんてことはしょっちゅうあったはずです。平成年代でも、田舎の医院なんかに行くと、野菜や魚なんかをもらったりする医師は珍しいものではなかったと思いますよ。国民健康保険が始まっても、自己負担は5割でした。だから、病院にかかるというのは、昔は大変だったろうと思います。所得が低い上に、保険制度が十分整っていたわけでなく、自己負担も多い、今でいえば中国の医療環境に似ていたのかもしれません。イメージとしては、そういう感じ、ということです。
偽善でもなければ見栄でもない、現実に患者さんには「払える金がなかった」し、医師の側としても取りようがなかった、半ばボランティア的にでもやらなければ、医療を満足に受けさせることができなかった、そういう時代だったということです。払えない人は診ない、なんてことは、医師として到底できるものではなかった(これは現代であっても同じです)、だからこそキャベツでも海苔でもいいとしか言えなかったのです。
>>梅子が一から苦労して
全て一からやったのですよ。医師の数も少なかった時代に、女医さんなんてもっと少なかった。そういう中で、自分の力で一から築き上げていったんです。そもそも女性の就業者、すなわち「職業婦人」は社会的に蔑視されるような中でも先人として道を切り開いていったのです。医学界という封建的世界で、女医さんが極めて珍しい中で、医療に貢献していったのです。
>>「地域医療のために」「患者さんとの触れ合い」
地域に住んでる人たちのことをよく知っているではありませんか。まさしく「家庭医」としての役割を果たしていますよ。患者さんとの触れ合いだって、多く描かれていますよ。学校検診や職場検診など、公衆衛生の黎明期で必死に取り組んでいたじゃありませんか。ドラマですから、そういう中に、笑い話を盛り込んでいるようにしていますが、実際に検診事業などをやってゆくのは容易ではなかったでしょう。患者さんとの触れ合いというのも、患者さんの家庭環境や背景まで含めて、考えるべきことです。日常的に顔を合わせたり、近所の事情を知っているということだけでも、役立つことはたくさんあるはずです。地域というのは、単にそこに存在するということだけではありません。そこにいる人々の生活をつぶさに観察している、ということです。地域医療というと、そこに何を求めておられるのかが判りませんが、人々の生活を知っているということは大変重要なことである、ということです。何も楽している、ということにはなりません。
>>どこが成長しましたか?
梅子は学生だった時代から、医学に進み、卒業して父と同じ大学に残り、開業して、結婚し出産しました。これの何が不十分だと?一人の子供を産むことができた、そのことだけでも十分価値のある成長物語ではないですか。
私は結婚式に呼ばれて、花嫁さんの生い立ちなんかを聞かされてきましたが、そんなに強烈な物語をもっている人なんて、見たことがないですよ。大抵の方々は、小中学校、高校、短大だの大学だの専門学校だのと、進んで、就職して、馴れ初めがあったりして、結婚式に到達しているわけですね。これこそが、その人の成長物語ではないですか。それ以上の何が必要だと?そこに、何らかの証明のようなものを求めているのでしょうか。平凡な人生を進んできた人に、「あなたは、何ら成長などしていない」と非難するつもりなのでしょうか。そういう気持ちになったことがないので、全く理解できませんね。
人が大きくなってゆく、学校に行き、就職し、結婚する。それは、人生であり、成長の足跡だ。そういう生活の中に、人間として何かを掴んだり、学んだり、獲得したり、色々なことがある。特別な人生など歩まなくとも、誰しも成長を続けてきてはずなのだ。これを否定する気にはなれない。
別に、感動のスーパードクターみたいなことはなくても、心を鷲づかみにするような治療をしてなくとも、普通に人生を歩んでいる梅子先生の姿を見ているだけで満足できる。
ああ、きっとこういうことってあったんだろうなあ、とか、ささいなことでも感心できるし、自分の記憶などからも共感が生まれる。
長々と書いてしまいましたが、ご批判があることは承知しました。
当方の一方的考えを書いてみただけですので、今後のドラマを理解する上で役立つか判りませんが、頭の片隅にでも置いて頂ければと思います。
>『梅ちゃん先生』に文句があるヤツはかかってこい!
(コメントを再掲)
そりゃあまりにクタクタで子どもが泣いていることに気づかないということもあり得るでしょう。でも、それ程梅子が必死で頑張っているようには見えない。梅子が一から苦労して本気で地域医療のために取り組んでいるのであれば、患者さん達との触れ合いがあれば、観てる人々の心を鷲掴みにすると思いますよ。成長物語って、どこが成長しましたか?
自分は父親に一から十まで依存しているくせに、他人に対しては上から目線。
私がこのドラマに共感出来ないのは、時代考証がどうのこうのとか、子どもの泣き声で起きないからどうのこうのではないのですよ。
ヒロインに人としての魅力が感じられないから。これにつきます。
こんな人間、一番敬遠するタイプですね。
父親のコネで(日頃は煙たがっているくせに、ここという時はチャッカリ利用する)、大学病院に就職。金もないくせに「先生」とチヤホヤされたくらいでその気になって開業を思いつく。そして平気で実家を担保に入れる。そこまでして開業したのに、必死で働いてる様子もない。看護師の給料も払えないのに「診療代はキャベツでもいいですよ」という見栄っ張りぶり。
もう、今ではまともに観てないけれど、「みんなの感想」を見ればわかります。やっぱり成長してないんだな…と。
私は「梅ちゃんファンサイト」(そんなものがあるのかどうかもわかりませんが)に書き込んだりはしません。せっかく梅ちゃん大好きな方々が集っているところに批判的な意見を載せても、気分を害させてしまうだけですから。
たまたま見つけたこのブログ、「かかって来なさい」と書かれてありましたので、私の考えを書かせていただきました。
長文、乱筆乱文失礼いたしました。
========
もし、このコメントを一言で要約すると、「ヒロインに人としての魅力が感じられない」ということでしょう。これは、主観ですから、仕方がないことですね。喩えて言えば、佐々木希でも綾瀬はるかでもいいんですが、「女性としての魅力を感じない」と宣言してしまえば、その意見は誰にも覆すことはできない、ということです。
コメントのピックアップ順が前後しますが、当方の話の進め方の都合上ですのでご容赦下さい。
(以下、引用部を>> で示します)
>>父親のコネで大学病院に就職
これは若干語弊があるかと。他の皆と同じ試験を受けたのですから、コネ入社みたいなものとは違うかと思います。そこで特別な取り計らいがあった、ということでもあるならコネだと断罪できますが、そうではないんじゃないかな、と。
親と同じ学校に進むことは、そう珍しいことではないんじゃないでしょうか。大学入試や就職試験ならいざ知らず、インターンの行き先だったわけで、昔は希望先にはほぼ入れたんじゃないでしょうか。インターンは、今でいう研修医制度と似ており、研修期間が終われば自分で新たな就職先を探す必要があります。終身雇用の採用試験じゃないんですから。ただ、慣例的にインターンが終わった後も同じ医局にお世話になることが多かったものと思いますけれども。そのインターン採用試験がそんなに難しかったとは、考え難いでしょう。コネを使うほどの試験でもなかったんじゃないのかな、というのが当方の推測です(実態はどうだったか知りません、あくまで”推測”です)。
>>チヤホヤされたくらいで…開業を思いつく
バイト先での経験があったから、でしょう。話の筋を忘れてしまわれたのでしょうか?おだてられたから、ではないですよ。大学の医局というのは、ドラマでも出てきましたが、研究は重要な位置を占めています。少なくとも、研究・教育が大きな地位を占めている、というのが事実であり、その余を臨床に充てる、ということになってしまうわけです。ドラマ中でも研究成果が出てきて、論文を書き上げるくらいにまで来ていたのに、町医者になる選択をするのかと父親に非難されていました。開業医になるということは、「臨床に特化する」ということに他ならない、ということです。そういう選択をした、ということです。同僚の松岡さんや同級生の女医さんなんかが大学に残っているのは意味があるのです。
>>実家を担保
何の資産も後ろ盾もない人に、銀行が簡単に金を貸してくれるわけないですから。医院を建てるのに大金が必要です。もしも実家がないとか、担保もない、ということなら、確かに開業できなかったのかもしれません。その場合には、大学に残って給料をもらっていたことでしょう。
>>必死で働いている様子もない
まあ、ドラマの全部を医院の毎日ということで描くと、また違った面もあるかもしれませんね。患者さんが列をなして来ている、という状況でなければ、空き時間があるのは仕方がないのでは。実家で酒屋を営んでいる店があって、1分たりとも休みなく客が来ているかというと、そうでもないのでは。それを見た人は、「お前の店は怠けている」と非難するのでしょうか?
>>診療代はキャベツ、看護師の給料も払えない
まず、看護婦さん(当時は看護婦と呼んだはず)、給料なんて二の次、というのはずっとそうだったと思いますよ。今ほど、医療界の中で地位が確立していたわけではなかったでしょう。給料は安かったはずだし、あのベテラン婦長上がりの素晴らしい看護婦さん(当然我が家では大人気)であっても、金より治療を優先、患者さんを優先、と思ってやってきたはずです。それに、国民皆保険になったのは、昭和30年代に入って以降だったと思います(制度が出来ても、必ずしも加入率が100%に行くはずもないでしょう)。医療費の自費で全額負担が、想像できますでしょうか?たった今、あなたの保険はなくなって、10割負担だとしたら、どうでしょう?払えないことは珍しくないと思いませんか?
国民健康保険ができる前は、サラリーマン以外の農家や漁師さんや自営の方々には、健康保険はなかったはずです。だから、本当に野菜や魚を持ってきて、これで診てくれ、なんてことはしょっちゅうあったはずです。平成年代でも、田舎の医院なんかに行くと、野菜や魚なんかをもらったりする医師は珍しいものではなかったと思いますよ。国民健康保険が始まっても、自己負担は5割でした。だから、病院にかかるというのは、昔は大変だったろうと思います。所得が低い上に、保険制度が十分整っていたわけでなく、自己負担も多い、今でいえば中国の医療環境に似ていたのかもしれません。イメージとしては、そういう感じ、ということです。
偽善でもなければ見栄でもない、現実に患者さんには「払える金がなかった」し、医師の側としても取りようがなかった、半ばボランティア的にでもやらなければ、医療を満足に受けさせることができなかった、そういう時代だったということです。払えない人は診ない、なんてことは、医師として到底できるものではなかった(これは現代であっても同じです)、だからこそキャベツでも海苔でもいいとしか言えなかったのです。
>>梅子が一から苦労して
全て一からやったのですよ。医師の数も少なかった時代に、女医さんなんてもっと少なかった。そういう中で、自分の力で一から築き上げていったんです。そもそも女性の就業者、すなわち「職業婦人」は社会的に蔑視されるような中でも先人として道を切り開いていったのです。医学界という封建的世界で、女医さんが極めて珍しい中で、医療に貢献していったのです。
>>「地域医療のために」「患者さんとの触れ合い」
地域に住んでる人たちのことをよく知っているではありませんか。まさしく「家庭医」としての役割を果たしていますよ。患者さんとの触れ合いだって、多く描かれていますよ。学校検診や職場検診など、公衆衛生の黎明期で必死に取り組んでいたじゃありませんか。ドラマですから、そういう中に、笑い話を盛り込んでいるようにしていますが、実際に検診事業などをやってゆくのは容易ではなかったでしょう。患者さんとの触れ合いというのも、患者さんの家庭環境や背景まで含めて、考えるべきことです。日常的に顔を合わせたり、近所の事情を知っているということだけでも、役立つことはたくさんあるはずです。地域というのは、単にそこに存在するということだけではありません。そこにいる人々の生活をつぶさに観察している、ということです。地域医療というと、そこに何を求めておられるのかが判りませんが、人々の生活を知っているということは大変重要なことである、ということです。何も楽している、ということにはなりません。
>>どこが成長しましたか?
梅子は学生だった時代から、医学に進み、卒業して父と同じ大学に残り、開業して、結婚し出産しました。これの何が不十分だと?一人の子供を産むことができた、そのことだけでも十分価値のある成長物語ではないですか。
私は結婚式に呼ばれて、花嫁さんの生い立ちなんかを聞かされてきましたが、そんなに強烈な物語をもっている人なんて、見たことがないですよ。大抵の方々は、小中学校、高校、短大だの大学だの専門学校だのと、進んで、就職して、馴れ初めがあったりして、結婚式に到達しているわけですね。これこそが、その人の成長物語ではないですか。それ以上の何が必要だと?そこに、何らかの証明のようなものを求めているのでしょうか。平凡な人生を進んできた人に、「あなたは、何ら成長などしていない」と非難するつもりなのでしょうか。そういう気持ちになったことがないので、全く理解できませんね。
人が大きくなってゆく、学校に行き、就職し、結婚する。それは、人生であり、成長の足跡だ。そういう生活の中に、人間として何かを掴んだり、学んだり、獲得したり、色々なことがある。特別な人生など歩まなくとも、誰しも成長を続けてきてはずなのだ。これを否定する気にはなれない。
別に、感動のスーパードクターみたいなことはなくても、心を鷲づかみにするような治療をしてなくとも、普通に人生を歩んでいる梅子先生の姿を見ているだけで満足できる。
ああ、きっとこういうことってあったんだろうなあ、とか、ささいなことでも感心できるし、自分の記憶などからも共感が生まれる。
長々と書いてしまいましたが、ご批判があることは承知しました。
当方の一方的考えを書いてみただけですので、今後のドラマを理解する上で役立つか判りませんが、頭の片隅にでも置いて頂ければと思います。