久々にテニスをした。
冬は、血管運動性鼻炎のため、温水プールは、あまり入れない。
トレッドミルだと、頑張りすぎて、その後、筋肉痛になりやす。
なので、一年ぶりに、テニスをした。
もちろん、技術は、落ちていない。
人格は、悪くないが、やはり、コーチは、バカである。
生徒もバカだけど。
オープンスタンスとスクエアスタンスで、打ちわける練習をしたが、こんなの、全く無意味である。
スタンスが、どうなるかは、球が、どれだけのスピードで、どのくらい、離れていて、走って、とらなければ、ならないかで、必然的に決まってしまうことである。
真正面なら、スクエアスタンスで打てるし、(それを、わざわざ、オープンスタンスにするバカはいないだろうし)、少し離れている球なら、オープンスタンスになるし、もっと、遠い球なら、ランニング・ショットになる。
もちろん、トッププロの試合になると、ストローク戦では、双方が、相手を、左右に揺さぶるから、出来るだけ、早く、元の位置にもどらなくては、ならないから、(フォアでは)オープンスタンスが圧倒的に多い。
しかし、テニススクールの生徒レベルでは、ラリーでも、試合でも、打ちあうボールのスピードが、プロほど、速くはないし、基本のスクエアスタンスで、打てばいいのであり、無理に、プロの真似をする必要はない。
コーチに、物申すことは、出来ないから、やはり権威者になると、何も考えなくなるから、どういう練習が生徒に必要か、ということが、全く、わからなくなる。
ちょうど政府と国民の間の関係と同じである。
役人は、机上の論理でものを考えて、国民は、何が必要かを、実感している。
そして、役人は、国民の声を聞こうとしないで、机上の論理でしか、ものを考えない。だから、バカになり、バカげた政策ばかりになるのだ。
冬は、血管運動性鼻炎のため、温水プールは、あまり入れない。
トレッドミルだと、頑張りすぎて、その後、筋肉痛になりやす。
なので、一年ぶりに、テニスをした。
もちろん、技術は、落ちていない。
人格は、悪くないが、やはり、コーチは、バカである。
生徒もバカだけど。
オープンスタンスとスクエアスタンスで、打ちわける練習をしたが、こんなの、全く無意味である。
スタンスが、どうなるかは、球が、どれだけのスピードで、どのくらい、離れていて、走って、とらなければ、ならないかで、必然的に決まってしまうことである。
真正面なら、スクエアスタンスで打てるし、(それを、わざわざ、オープンスタンスにするバカはいないだろうし)、少し離れている球なら、オープンスタンスになるし、もっと、遠い球なら、ランニング・ショットになる。
もちろん、トッププロの試合になると、ストローク戦では、双方が、相手を、左右に揺さぶるから、出来るだけ、早く、元の位置にもどらなくては、ならないから、(フォアでは)オープンスタンスが圧倒的に多い。
しかし、テニススクールの生徒レベルでは、ラリーでも、試合でも、打ちあうボールのスピードが、プロほど、速くはないし、基本のスクエアスタンスで、打てばいいのであり、無理に、プロの真似をする必要はない。
コーチに、物申すことは、出来ないから、やはり権威者になると、何も考えなくなるから、どういう練習が生徒に必要か、ということが、全く、わからなくなる。
ちょうど政府と国民の間の関係と同じである。
役人は、机上の論理でものを考えて、国民は、何が必要かを、実感している。
そして、役人は、国民の声を聞こうとしないで、机上の論理でしか、ものを考えない。だから、バカになり、バカげた政策ばかりになるのだ。