小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

水戸黄門の矛盾

2015-11-15 00:29:58 | 考察文
テレビドラマで、お馴染みの、「水戸黄門」であるが。

あれは、絶対、おかしい。矛盾がある。みな、気づかないのか?

あのストーリーは、ワンパターンである。

悪代官の悪行を知って、(知ったら、徳川将軍に知らせれば、いいだけである。悪代官は捕縛される)、なのに、なぜだか、格さん、と、助さん、と、水戸黄門までもが、悪代官と、その手下と、戦う。

なぜだか、ヨボヨボの老人である、水戸黄門までも、杖を使って、刀を持った相手と戦える。(これも、不自然)

そして、戦いの途中に、「この印籠が目に入らぬか?」と、言って、葵の印籠を、見せつける。

すると、悪代官と、その手下は、「ははー」、と言って、ひれ伏す。

あれは、絶対、おかしい。

今なら、携帯電話があるから、葵の印籠を、見せつけた時に、徳川将軍に、今、どこの、悪代官と戦っている、と、報告すれば、、「ははー」、と言って、ひれ伏させることが出来る。

しかし、当時は、携帯電話は無い。

だから、悪代官と、その手下は、格さん、と、助さん、と、水戸黄門との、戦いに、勝ち目があれば、殺してしまえば、悪事は、バレないのである。

死人に口なし、である。

だから、私が、悪代官だったら、葵の印籠を、見せつけられても、「だから、どうした?」、と言って、格さん、と、助さん、と、水戸黄門を斬り殺す。



「☆」とは、言ったものの、本当は、それは、正しくはない。

水戸黄門が、あらかじめ、「今、どこどこ奉行の、何々、代官に悪事の疑いがあるから、調べている。もし、私が、いなくなったら、その代官に殺されたものと、考えてくれ」という手紙を、幕府に送っておけば、いいのである。

そして、実際、それは、していることになっているだろう。(しない理由がない。自分の身の安全のためにも)

しかし。葵の印籠を、見せつける時に、いちいち、そういう、安全策をとっているという、口上を述べると、恰好が悪くなってしまう。

さらに。そういう用心深い、安全策を、とらない方が、度胸があって、格好いいのである。

そもそも、水戸黄門は、親の七光り、というか、虎の威を借りていて、ずるい面があるのである。

だから。、「この印籠が目に入らぬか?」、の一言しか、言わないのである。

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