小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

三橋貴明の経済理論

2015-11-11 21:38:39 | Weblog
三橋貴明氏は、国債に関して、

「日本政府の借金は、そもそも日本国民の債務ではなく、国民はむしろ債権者」

と言っている。

彼によると、1000兆円を越している、政府の借金の国債が、国民一人当たりにかかる、700万円を超す、借金ではなく、財産だと、言っている。

これは、明らかに、おかしい。

国(政府)も、一つの家庭(家計)と、見ることが出来る。

1年ごとに、その年の、収入があって、支出がある。

荒削りに言って、国債とは、政府が、発行している、金券である。

だから、政府は、自分が発行した金券である借金(国債)を返さなくては、ならない。

そもそも、貸し手、借り手、の定義からしても、明らかである。

政府の借金の、債権者は、定義からすれば、確かに、国民である。

しかし、はたして、政府の借金の、債権者は、(定義ではなく、実質的に考えた場合)、国民であろうか?

もし、そうなら。

じゃあ、今の子供が、将来、大人になったら、国に、「私は、国に700万円貸しているから、国に対して、700万円の債権者だから、700万円、返して下さい」、と、言ったら、国は、700万円、国民に返す、というのか?

そんな、バカなことが、行われるわけがないじゃないか。

これが、どうして、「日本政府の借金の債権者は国民である」、ということになるのか?

もちろん、政府が、公共事業のために、国債を発行するのは、一般市民が、事業を始める資金のために、都市銀行に、融資を求める場合とは、全然、違う。

公共事業のための、国債の発行は、政府の、経済方針であって、政府は自由に国債を発行する。というか、できる。

ただ、国債を、むやみに発行した場合、それによって、行われる公共事業で出来た、道路や競技場で、多大な収益が出た時は、別として、国債を乱発すれば、紙幣の価値が下がり、下手をすると、紙幣が、紙クズになりかねない。

そのことを、政府も、知っているから、政府の収入の、一部を、毎年、少しずつ、政府の支出として、国債の償還の一部に充てているのじゃないか。

だから、貸し手、借り手、の定義とは、別に、実質的に考えると、政府が、日本の経済が、メチャクチャにならない、ようにするために、政府が、毎年、少しずつ、国債を、返している、ということである。

それでは、政府が、発行した借金(国債)を、返す方法は、何か、と言えば。

それは、政府が、企業から吸いとる法人税、や、国民の、市民税、県民税、(これらは、地方税だが、結局は、国へ納める税金と言っても、間違いではない)から、吸い取る、税金である。

だから、政府が、国債を発行すれば、それを、支払うのは、国民であるのは、当たり前である。

そもそも、荒削りに、家計、企業、政府、の役割を考えれば、簡単にわかることである。

商売をして、品物を売り、利益を得ているのが、「企業」、であり、その品物を買っているのが、「家計」であり。政府は、商売もしていないし、品物を買ってもいない。政府の役割とは、経済の調性である。

それ以外でも、彼の経済理論には、明らかに、おかしいことが、多すぎる。

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