青山繁晴の話しぶりはどうしてこんなにも解り難いのかと不思議に思っていた。この様な事は私の中では放ってはいけない事柄で、此れは多く人と接すると不思議と結構な割合で生じ、解り難い現象がなぜ生じるのか疑問だった。
解決しなければ、私の認識に一般性を持たせる事が出来ないので、必ず必要な事で、そんな折徐々にだが何か観えて来た気がしていた。それもあり、最近達成した記号論理学の抽象化から、一般化、そして具体化の例を漸く終了して、成程と得心が入ったことがある。
そういう事かと言えば青山繁晴の話し方は前提が抜けている事が多く、その前提条件に依って論理の背反事象が発生し前後し、その前後から考えようとする何とも解り難いものだったということ。普通話す場合は起点の即ち基準を置き、証明して終了したら、次の段階の背反や継ぐモノへと進んで重ねていくが、頻繁にそれが入れ替わるという事。
入れ替わるのにそれも、前提が抜ける事も多く、証明の必要な整序が前後して居たりする事も多く、急に感情の話が挿入されていたりして余計に混乱させようとする。
成程という感じ。基準の話は数学史を学習すれば解る事で、父が青山繁晴は無駄話が多いと言って余り観ない理由が解るな。
記号論理学で数学概念を利用した凡そのものから、確信の函数へと昇華出来そうだ。これから一つの手法とライティング以外の日本語の厳密性へと認知が入って行ける訳だ楽しみだ。
解決しなければ、私の認識に一般性を持たせる事が出来ないので、必ず必要な事で、そんな折徐々にだが何か観えて来た気がしていた。それもあり、最近達成した記号論理学の抽象化から、一般化、そして具体化の例を漸く終了して、成程と得心が入ったことがある。
そういう事かと言えば青山繁晴の話し方は前提が抜けている事が多く、その前提条件に依って論理の背反事象が発生し前後し、その前後から考えようとする何とも解り難いものだったということ。普通話す場合は起点の即ち基準を置き、証明して終了したら、次の段階の背反や継ぐモノへと進んで重ねていくが、頻繁にそれが入れ替わるという事。
入れ替わるのにそれも、前提が抜ける事も多く、証明の必要な整序が前後して居たりする事も多く、急に感情の話が挿入されていたりして余計に混乱させようとする。
成程という感じ。基準の話は数学史を学習すれば解る事で、父が青山繁晴は無駄話が多いと言って余り観ない理由が解るな。
記号論理学で数学概念を利用した凡そのものから、確信の函数へと昇華出来そうだ。これから一つの手法とライティング以外の日本語の厳密性へと認知が入って行ける訳だ楽しみだ。