自身の混乱の原因を認識出来なかったのは中学時代かとも思ったが、否、小学時代かもしれない。所謂の見捨てられた世代だが、何かオカシイと言う感覚だけが有り、それは精神の内的にも、外的にもあり内的な事については此処で書いたことがある。
それで今回はその所の精神の外的なオカシイと言う感覚についてと言う事に為るがそのことに付いて書きたい。
その感覚は日々受けていた教育と言うしか無い訳で、歴史がオカシイのは解っていたので、予め排除はしている。それでも、教育の何かがおかしいのは変わらず、分かっては居たが何処がおかしいのか具体的には解らず、何をして良いのかも判らず、棚上げ状態だった。
けれども、現実は自身へ答えを迫って来る。そして考える時間を与えてくれはしない。
後に(追記・修正)知ったときは驚いたが、科目の歴史だけではない歴史的なものとして、数学にも影響があったという事が解るが。もちろん当時は未成熟で且つ、考えるには不向きな状況の貧しい家であり、当然教育に関しても厳しい状況で、更には家庭崩壊に児童期環境の激変も加わる。当然の結果として仕方ないと言えば仕方ないのだが納得も出来ない。
そうした時の最初に再び戻り、混乱していた事を認識できていなかったという事であり、当然混乱しているから、初期の状態では認識すらも認識出来ないと言う事に為るのは当たり前ことで、そのことも在りつゝ見捨てられた世代の厳しい状況でも、気持ち的には投げ遣りでも、状況を変えようとしていた。それでも矢張り状況は厳しい。
今では言葉がある所謂ブラック企業では到底困難な事を身を以って体験する事に為り、睡眠時間は粗1時間半で、月の休みは最小4日だが、シフトの切り替えがその休みとなり休みと言えるようなものでは無かった。試用期間と称して1年近く有休も無ければ年休も無い。
当然肉体的な内容が主なので、その疲労も過重に掛かり全てを自身も含めて破壊衝動に追い込まれた。
浮かんでいたのは「何の感情も分からない、自分自身も、そして周りも、現実も何が何だか解らない。唯、「誰かが見えない力で自分を殺そうとしている。」」そして、その決断を自身に迫って、更には自分に判断を迫っている。と言う事だけだった。
その時に私は日本語に救われた。自殺という言葉に。
そして同じ様な思いを抱えている人と一瞬話せた事で一時だけ正気に戻れた。今と同じ様に、すべてを戻して行こうと。
結局その時の答えはチャーチルに類するモノだった訳だ彼は何と日本は今後100年は復活することはないと言っていたとか。その通りに成っている。
記号論理学とどう繋がるかと言えば認識の負荷か。
それで今回はその所の精神の外的なオカシイと言う感覚についてと言う事に為るがそのことに付いて書きたい。
その感覚は日々受けていた教育と言うしか無い訳で、歴史がオカシイのは解っていたので、予め排除はしている。それでも、教育の何かがおかしいのは変わらず、分かっては居たが何処がおかしいのか具体的には解らず、何をして良いのかも判らず、棚上げ状態だった。
けれども、現実は自身へ答えを迫って来る。そして考える時間を与えてくれはしない。
後に(追記・修正)知ったときは驚いたが、科目の歴史だけではない歴史的なものとして、数学にも影響があったという事が解るが。もちろん当時は未成熟で且つ、考えるには不向きな状況の貧しい家であり、当然教育に関しても厳しい状況で、更には家庭崩壊に児童期環境の激変も加わる。当然の結果として仕方ないと言えば仕方ないのだが納得も出来ない。
そうした時の最初に再び戻り、混乱していた事を認識できていなかったという事であり、当然混乱しているから、初期の状態では認識すらも認識出来ないと言う事に為るのは当たり前ことで、そのことも在りつゝ見捨てられた世代の厳しい状況でも、気持ち的には投げ遣りでも、状況を変えようとしていた。それでも矢張り状況は厳しい。
今では言葉がある所謂ブラック企業では到底困難な事を身を以って体験する事に為り、睡眠時間は粗1時間半で、月の休みは最小4日だが、シフトの切り替えがその休みとなり休みと言えるようなものでは無かった。試用期間と称して1年近く有休も無ければ年休も無い。
当然肉体的な内容が主なので、その疲労も過重に掛かり全てを自身も含めて破壊衝動に追い込まれた。
浮かんでいたのは「何の感情も分からない、自分自身も、そして周りも、現実も何が何だか解らない。唯、「誰かが見えない力で自分を殺そうとしている。」」そして、その決断を自身に迫って、更には自分に判断を迫っている。と言う事だけだった。
その時に私は日本語に救われた。自殺という言葉に。
そして同じ様な思いを抱えている人と一瞬話せた事で一時だけ正気に戻れた。今と同じ様に、すべてを戻して行こうと。
結局その時の答えはチャーチルに類するモノだった訳だ彼は何と日本は今後100年は復活することはないと言っていたとか。その通りに成っている。
記号論理学とどう繋がるかと言えば認識の負荷か。