又しても不意に思ってしまって繋がった事がある。思い出そうと思えば何時でも思い出せる事ではあるが、現実との繋がりが分断し昔から悩ましいことの一つの話であって伯父から色々と小学生時代から炉端で聞いた話の事である。
その中で徳川家康の語った事と爺さんの認知に付いて唐突に繋がる様に思ってしまった事だった。
嘘でも何でもなく徳川家康は千葉方面に来る時は他の場所は点々としていても、必ず私の本家には寄って行ったという話であった。
抜けていたのは徳川家康本人は寿命があればどんな国にしたかったかという話であった。磯田道史の言う様に何重にも平和への安全装置を用意していた。
けれども、それは結果的にそうせざる負えなかったという事が抜けているなというもの。どういう事と言えば日本人全員に武士に為って欲しいというもの。侍ではなくね。
徳川家康のその時の様子も聞いている。悩んでいるでは無いが何か溜まっている様子で、毎回来る時はそうだったということだった他にも色々あるが。
当時の私は武士と侍の違いが何とか解りかけていた時だったからギリギリ理解し憶えているという所だろうか。当時もギリギリ解るという感覚があってそれは今でも鮮明に憶えている。
そのギリギリ解る理由は何と時代劇の桃太郎侍を観ていたから解ったという所だろうか(笑)。
しかし、私の世代周辺が大東亜戦争の実態を知っている人の話を聞けた最後の世代だと思うけどそういう事に関心のない人も大勢いるだろうからな。祖父の話は次か。
その中で徳川家康の語った事と爺さんの認知に付いて唐突に繋がる様に思ってしまった事だった。
嘘でも何でもなく徳川家康は千葉方面に来る時は他の場所は点々としていても、必ず私の本家には寄って行ったという話であった。
抜けていたのは徳川家康本人は寿命があればどんな国にしたかったかという話であった。磯田道史の言う様に何重にも平和への安全装置を用意していた。
けれども、それは結果的にそうせざる負えなかったという事が抜けているなというもの。どういう事と言えば日本人全員に武士に為って欲しいというもの。侍ではなくね。
徳川家康のその時の様子も聞いている。悩んでいるでは無いが何か溜まっている様子で、毎回来る時はそうだったということだった他にも色々あるが。
当時の私は武士と侍の違いが何とか解りかけていた時だったからギリギリ理解し憶えているという所だろうか。当時もギリギリ解るという感覚があってそれは今でも鮮明に憶えている。
そのギリギリ解る理由は何と時代劇の桃太郎侍を観ていたから解ったという所だろうか(笑)。
しかし、私の世代周辺が大東亜戦争の実態を知っている人の話を聞けた最後の世代だと思うけどそういう事に関心のない人も大勢いるだろうからな。祖父の話は次か。