日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

理系が恋に落ちたので証明してみたと繋がるもの

2022-05-16 16:16:48 | 日記
 理系が恋に落ちたので証明してみたという作品は滅茶苦茶面白いと思うが、実は全く面白くないという人が身近な肉親に存在していて驚きを受けた。だから異性親として昔から合わない訳だよなという思いにもなった。

けれども私自身がこの主人公の雪村心夜の様な見方をしているとは全く想像もしないんだろうなそれに身長も殆ど同じだし(笑)。この様な見方に成ったのは何時頃からだろうかとも思うが、元々あったものが徐々にというのが正確な所だろうか。

 第一段としては小学時代から、歪められて来たのは間違いがない。その時に比の理解の仕方を誤ってしまったという所が事の始まりだったんじゃなかろうか。

それが円の理解ではなく、ブロックでの大きさのものであれば理解の誤りはしなかっただろう。だが未だに甥の教えている様子をみるとそれは続けられていて、此処にも日本人の数学的認知の様子が歪められているんじゃないだろうかと思わずにはいられない。

漸くその辞書みたいな本の読み方が解って来たのだが。数学の認知科学であるが。

 第二段階は爺さんの話か。私が一番爺さん似ていると様々な人に言われて為らば見方も当然そうなるという思いにさせた小学後半時代から中学時代。

中学時代に女子に質問された内容の答えが正に前述の雪村心夜だったもんな。そして次の定量化の話もな(笑)

そして高校時代では結局高校数学では何を問われていたんだと言うのが卒業時に思った事と数列を考えて学習していた時の目の前の暗転だ。

その事からも所謂理系脳という日本での表現に成るんだろうが、日本語でグダグダ表現するより遥かに処理が高速に為るという意味では当たり前の事なんだけどな。数学史を学ぶと良く解ったこと。

そして爺さんが観えた話に続くか・・。

でも一時期自分は文系だと強く思っていたんだよな、でも何が文系か何が理系か解らなかったから自身が文系的でありたいという願望に過ぎなかったという事になるのだが(笑)
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