前回投稿した理系が恋に落ちたので証明してみたと繋がるものの続編とたる。そこで書いた続きで爺さんが観えたものに学習した物事に付いて二つのものになっているという話をしていたそうで、一つ目が記号的なものと二つ目が図形的なものということだった。
これが未だによく解らない私の中での課題の一つでそれぞれは数学で言えば代数学的と幾何学的な話という事に為るのだろう事は解るのだがどうしてそうなるのかが未だに解らない。それは当時聞いた伯父にも解らないという話でその事を私に問われた。
祖父は飛び抜けて頭が良かったらしく、そこに戦前の誠があった教育が合ったのだろうと思う。戦前の教育で感覚と理論の融合を中心とした教育という事で、学習中に何回かこういう事なんじゃないかと思う瞬間が訪れソレを強め重ねていくとする事が行なわれていたという。
正に人間の在り方を中心とした教育だと思ったものだ。現在こそそう言う修得主義型教育が特に必要なんじゃないだろうかと思う。個性を重視しつつ更には情報機関が必要なんて言っているんだからね。
最近矢鱈と防衛省戦略企画課企画官という募集の宣伝が入って来るのだが何か意味があるのか?(笑)
これが未だによく解らない私の中での課題の一つでそれぞれは数学で言えば代数学的と幾何学的な話という事に為るのだろう事は解るのだがどうしてそうなるのかが未だに解らない。それは当時聞いた伯父にも解らないという話でその事を私に問われた。
祖父は飛び抜けて頭が良かったらしく、そこに戦前の誠があった教育が合ったのだろうと思う。戦前の教育で感覚と理論の融合を中心とした教育という事で、学習中に何回かこういう事なんじゃないかと思う瞬間が訪れソレを強め重ねていくとする事が行なわれていたという。
正に人間の在り方を中心とした教育だと思ったものだ。現在こそそう言う修得主義型教育が特に必要なんじゃないだろうかと思う。個性を重視しつつ更には情報機関が必要なんて言っているんだからね。
最近矢鱈と防衛省戦略企画課企画官という募集の宣伝が入って来るのだが何か意味があるのか?(笑)