選択を間違っていたな。小学校の頃の文集を書いた頃の記憶を辿りながら文章を書いて少し気持ちと頭が整理された。どうにも見ないようにしていた思いもあったことに至ったわ為る程。爺さんと同じ職業に就こう。そして心のことができる人になれば良かったんだ。学ぶことが好きな自分に合っている。(微笑)
明日は一人で食事か。昔を思い出すな~。その昔は妹が居たから、何だか同士のような感覚にはなるが。。その妹も家庭を築き子供が3人も居る。
よく生き甲斐だと謂うが、父もそうであったらしいが。母は違っていたように見える。父は勉強をしたかったが、それよりも家族がほしかったらしい。戦争で父私からすれば祖父だがを4歳の頃に亡くし、ぬくもりを知らない。祭りのとき自分だけおいていかれた記憶はあるらしい。いつも一人。その思いが強烈であるとか。自分が壊れそうだったのだろう。
本人は認めないが。
それ故その当時祖母が一緒について居てくれたようだ。それまでの穴を埋めるように。祖母から見ても危なっかしかったのだろう。それでも、あまり父のことには関心が無かったように聞いている。おそらく昔の末っ子の扱いだったのだろう。昔戦前戦中はひどい扱いだったし。
祖母は祖父の恩給も出ず、手に職も亡く、お嬢様育ちで華族であった。戦後GHQにより剥奪。土地も財産も奪われ、戦争で祖母の実家が焼け、そのときに祖母の両親が亡くなり、それまでの使用人が豹変したことに衝撃を受けたらしい。 かなり精神的に追い詰められたんじゃないだろうか。
ただ祖父の救いはユダヤにもあるように、当時日本ではあまり普及していなかった教育が身を助けたところだったのではないだろうか。祖母の母は大奥の3番目に位置するほどの人だったらしい。器量が良かったらしく、祖母の妹の叔母さんはむかし、日劇に出ていたとか。私も、叔母さんに舞台に出てみないかなんて、●●ちゃんなら出られるよ。なんて嘯かれたものだ。(笑)
無理だと話したら何だか寂しそうにしていたのが印象に残っている。
その後祖父と結婚。家が焼けなかったら祖父と結婚は無かったというような話もあったとか無かったとか(微笑)
だが現代では何の意味も無い。全てがカネカネの世の中。
私は米国が町人論理を。イヤ、言葉をうまく表現出来ないが、ビジネスという概念が曲解されている気がしてならない。ただいえるのが、全てが「心地よい」「楽で」「絢爛で」「制御的で」「それが無いものを奴隷に貶め」支配する。文化人類学でその謎が解けたのは「貨幣」の中に取り込まれるということ、これは一見便利そうで居ながら、同じモノを得るときの労力は持たざるモノにとって遙かに大きい労力が必要になる。
大航海時代、イギリス、などはそれまで海を支配していたトルコ商船やオスマンの船から海賊を奨励しその略奪を繰り返し海賊に貴族の称号まで与えている。そして略奪品から、金が金を呼ぶ仕組みを作ったのが資本主義の源流である。資本主義を全く否定するわけでは無いがこういう思想の元、経済圏を広げてきた経緯を見逃してはならない。
アラブなど中東諸国のイスラム圏はその辺りをよく理解している。故に金利という年金利という概念を否定する。イスラムのムハンマドはそれを気付いたのだろう。日本の戦前の天才20カ国以上を話したという井筒俊彦。彼の中でも触れられていた。
キリスト教を広める所以もこの辺りにあるように思う。キリスト教の聖書の中にイエスのタラントのお金を預ける話が出てきたりする。この辺りを羽柴秀吉<羽柴秀長は徐々に気付き始めたように思える。秀長の考えを伺わせる資料があまりないらしいのが残念だが。
思考がどんどん広がってゆく。。
最悪だ~。ウイルスに侵され、完全なバックアップにも失敗しているなんて。化学は難しいし、うわぁ~助けて~って感じだよ。うわぁ。ついでに人生も。何だかjalで働いていた時を思い出すな~。。
ヤハリ駄目に成る。本当に人間は楽な方へ流させるな~。どうでも良い落書きに目が行ってしまうのと似ている。不毛だ。学んでいる方が遥かに楽しいし、身に成るのに。こうして見ていると、医者になっている人って、自分の欲求を迷いなく直感・直観的に把握し、更に相手との対話などの場合、満足な結果が得られない事が間々在るが、そういう場合は相手の気付いてないコトを引き出す質問などを投げかけられる人が多いようにも見える。訓練も受けてはいないのに。そして自分の内なる不満の芽にも事前に無意識的か意識的か対処する術を持っている。そして信念か。
大したもんだ。自分は己に付いては混乱し、己を失い、方向性も失い、更には自暴自棄になったり、自己否定もし、自分を殺そうともした。所謂、自殺念慮から自殺願望そして自殺決心。まで行った自分。あと一歩で超えそうになった。方法と場所。場所は決めていた。犬吠埼と。だから実際は方法だけだった。当時の自分は流浪に剣心の蒼紫に共感し心酔していた。
そんなような者と比べようもしないが、現在でも想像もつかない心境になる。親戚の女の子もこんな風に頭が明瞭だったんだろうか。。
その子の母が私のような人と結婚し為さいと娘に話していたが、私には不相応に思えるのだが..。その時に好きな人なんて誰もい無いと話したら、物語でも良いというので、当時流行って居たxファイルのスカーリーだと答えた。彼女の信念と慈愛そしてモルダーが何を言っても呆れず、嫌がらず、暖かく接して冗談で返してくれたり、理論的に返したり、何が返ってくるか分からない様が、昔、幼い頃4歳か5歳の頃一人で孤独でレンズ遊びをしている時に見た「暴れん坊将軍」の町娘が長崎へ医の道へ憧れながら、お金が無く毎年短冊へ願いを書き大岡越前が恋をする話の大岡のようになり、現代だったらそんな姿を想像してしまったからだった。
彼女の家庭も混乱はしていた。親戚の伯父さんの事をゴミとか奥さんぐるみで罵倒したりしてもいた。
確かに甲斐性は無い人では在ったが、そこ迄いう事は無いだろうと感じてしまう。戦後のアイディンティティブロークン世代は辛い世代だろうと思うし。
自分について漸く努力出来る様にはなった。しかし、歳が若くは無い。これは致命的か。要求するレベル迄の年齢で達する事が出来るのか。北条早雲は60歳から国を起こした。起こせたのは時代が要求していたせいもあるだろうが、それまでずっと現れなかったんだから、誰でもなれるわけではないだろう。57歳までずっと学問をしていたというんだからこれもまた凄い。現代はこんな風な時代では無いので厳しいだろう。
私は「年金」というお金は支給せず、食べられるだけの土地をあげればいいのじゃないかと思う。モノ支給であるから財政などは関係なくなるし、仕事も出来る。それが嫌であれば、其れまでの人生でお金を貯めておけば良いのであるし。
そんな事を考えてしまう..