松本清張の「古代史疑(昭和48年)」と岡田英弘の「倭国」を借りて読んだ。
今の時点で正確には後者は読み途中である。
私が日本古代史にほんのちょっと関心があるのは、やはり我々日本人はどこからやってきたかという疑問である。
今日現在も邪馬台国九州説も畿内説も決着がついていないし、この2冊を読んでその疑問が解消したわけではない。
ただ、私の仮説もますます怪しくなってきたという印象はある。
私は、日本語と日本人の顔つきの分類から、どこからきたかの疑問が付きまとっている。
それを説明してくれる書物が無いかなということである。
結論を先に言えば、日本民族の基底は南方系すなわち華南・東南アジア系の人たちで、
大和朝廷を築いたのは半島系ないし北方系民族であったという考えである。
人は長い年月の間大河の流れるごとく大陸を、そしてこの列島を流れて行った。
1万年、5千年規模で考えれば、南北双方から多くの人がたどり着き、
あるときは合流し、あるときは海に突き落とし、あるときは押し返した。
縄文人がどこへ行ったか、弥生人はどこから来たかという論争が今の日本人起源論の中心だと思う。
日本列島が大陸と地続きの時代があったとしても、
最初に人類がこの地に踏み込んだ時から日本人は始まっている。
私は島伝いに南から来た民族の方が多かったと想像している。
北からの民族は温暖な方向に流れやすかったはずだが、
いっとき南は沖縄から北は樺太まで南方系民族が広がっていったとみている。
私は琉球民族とアイヌ系はほぼ同一の種族かと思っている。
古代に海を渡るのは危険でほとんど不可能かの様に感ずるが、
海路の移動の方が陸路よりはるかに速く、成功の確率は高かった。
陸路は山川の障害物の上に、民族同士の衝突を乗り越えなければならず困難を極めた。
航海に使われる船が丸木舟であったとしてもである。
海路を南から北上して琉球や九州にたどり着いた南方民族にしてみれば、
さらに北方に海を利用して進出するのはたやすかったのではないか。
((続く))