私は幼少時代に、東京都品川区平塚に住んでました★
その当時、高度成長期真っ只中★
この周辺、いや東京中が毎日道路舗装工事や地下鉄工事、特に、首都高速の工事は連日激しいものでした★
その頃の遊びは、ビー玉、メンコは勿論、ベーゴマ、等々、昭和の懐かしい遊びと言われるものはすべてやってました★
そういう遊びの中でも、この辺の子供たちは工事中の首都高速に進入するサイクリングをしてたんですよ★スリルがあって、とても楽しいものでした★
中原街道からの入口、現在の桐ケ谷坂上から進入!★そうです2号目黒線の入口ですよね★
(その頃の中原街道は、車も殆ど通らず、道路の真ん中を歩いて、武蔵小山商店街まで行けたものです☆車が人を避けて走っていた時代ですから、、)★
首都高速の入口には立入禁止の立て札のみ★今と違って、当時は見張りもいませんから、皆でその脇からスイスイ入っていってました★都内でも未舗装の道路がまだ多かった時代に、綺麗にアスファルトで舗装された首都高速は、とても乗り心地が良いので、毎日のように自転車を漕いでました★
道路に侵入して、暫くすると、五反田と目黒の間の山手線の橋の上に着きます★車ならあっという間ですが、当時の私たち子供にとっては、かなりの距離です★大概この辺りで休憩を取ってました★
そこからを坂道を一所懸命漕いで天現寺へ★工事はここまでで、この先はまだ道路が繋がってなかったんです★
ここまで来ると、作業をしている工事関係の人達が大勢いますので、怒られる前にUターン★
こんな毎日を過ごしていたのですが、今では絶対にできない事ですから、少し自慢かもしれません(笑)★
先日、後輩と車に同乗して同じルートを通った時にこの話をしたのですが、まったく信じてくれませんでした★
そりゃそうでしょうね、後輩が生まれる前の話ですから★★★
最後に、
小沼君、木村君、島崎君、浜野君、梅沢君、小島君、古瀬君、高橋君、中尾君、樽見君、矢吹君、、、
京陽小学校の同級生たち☆もし、この記事を見ていたら、、、
もう一度、首都高速をサイクリングしようぜ★