新宿の酒場でたまたま出会った、「女王様」たちのことを、今日は書こうと思う。
あれは、このブログで少し前に登場した「モテる先輩」に連れて行ってもらった、穴倉のような地下にある酒場だった。古い木製の、重くて分厚いドアを開けると、ワーンとさざめく声が反響していて、何も聴こえないような、喧騒のルツボ。
階段を降りてゆくと、照明を落とした、暗くて、広い洞窟状の空間が出現する。中央に大きな馬蹄型の頑丈そうな銘木のカウンターが、根が生えたようにドーンと居座っている。カウンターの中では、若いのにベテラン風のバーテンダー数人が、手際よくお客の注文を捌いている。
相当の人数、詰めれば40人くらいが座れるようだった。その周辺には、小さなテーブル席もあったが、そこは、こみ入った話をする人たちや、酔いつぶれた人たちが、いつも占領していた気がする。その辺は、余計に暗くてデンジャラスなので、トイレに行くために通る時も、私はあまり見ないようにしていた。
入り口近くには、生バンドが演奏する事もあるようで、小さなステージがあり、ドラム、ベース、ギターなどのセットが置いてある。腕に覚えのある人は、頼めば歌わせてもらえた。たまに、ドラムを叩く人もいたが、ほとんどは、ギターの弾き語り。
飲みに来ている人たちは、けっこう耳が肥えているので、ここで飛び入りで歌うとなれば、そこそこの水準でなければ、たいへんな恥をかいてしまうのだ。
今のように、宴会場のカラオケで、傍若無人に、がなりたてて歌う人のようであっては、いけないのである。
そこでは、先輩たちと2、3度来た後、私は気に入って、秘かにひとりで通っていた。気分転換と取材を兼ね、自由でラクでお洒落な雰囲気を楽しむためである。
そこでまた、隣り合って話した青年と、よく顔をあわせるようになって。。。彼の身の上話を聞いてみると、はたして、元は家出してきた少年だった。やはり、ここは大都会・東京か…。家出少年も多いのだろう。
年は、私と同じ20歳くらいだったが、ワケアリだった。私の性格からして、多少、説教めいた事も言った気がするが。彼は両親に対して、特に父親に対しては、憎悪の激しさからか、話していても興奮するほどだった。
まぁ、それ以外の時は、陽気できっぷも良くて、悪くない人だったけれど。高校生の頃、地元で少しだけ、バンドをやった事があるという。ある日、「オレは、今日は歌うよ!」と言って、お店の人にOKを貰えたので、ギターの弾き語りを始めた。
当時、人気だった、長渕剛の「順子」を真剣な顔で歌った。まぁまぁ、上手いほうなのだろう。私は、長渕じたいをそれほど好きではなかったので、これもお義理で拍手した気がする。周囲で飲んでいた知らない人たちも、好意的にそこそこ拍手してくれたので、彼は満足がいって嬉しかったのか、ニコニコしていた。
少し遅い時間になると、そろそろ、女王様が来るのを、皆が待っている。周囲の気配が、妙にそわそわとしている。
いうなればこれから、叶姉妹を上品にして、肌を露出させない、美人姉妹が登場するのだ。彼女らは、実の姉妹だという。いつもイスラムの女性のように身を隠した黒の服装で、後光を放つが如く、仕事の終わりごろにココに寄るのだった。常連中の常連である。
彼女らが入り口に現れると、映画「十戒」のように、正面のカウンターまでの道が、スーッと光が差し現れて、二人がカウンターの椅子に座るまでを、皆がホーッと見惚れている。座り終われば、また何事もなかったかのように、それぞれの会話に戻る、という感じだった。
この美女二人は、お店に来た嫌なお客の鬱憤を、ココで吐き出したり、ミニ・ミーティングのような事をひそひそ話したりするのだ。我々は、それとなく、聞いているだけ。素人には珍しい話なので、けっこう面白い。
今の時代なら、お姉さんたちは、ホストクラブで憂さ晴らし~、なのだろうが、当時はそんな風潮もなくて、至って真面目でした。しばらくすると、お姉さんたちは、河岸を変えます。近場に座っている人たちに、付いて来たい人は付いてらっしゃいね、なんて誘ってくださる。アナタもどうぞ、いいよ、と言うので、私も2回ほど付いて行った事がある。
新宿の夜の街を、多い時で7、8人がぶらぶら歩きながら、あるいは笑い戯れながら、次の店へと行く。
女王様たちは、その時に付いて来ている顔ぶれを見て、行くお店を二人で相談して決めているようだった。
行き先は普通のスナックだったり、普通の?オカマバーだったりした。支払いは、すべてお姉さんたちである。
我々は気に入らなければ、途中で黙って帰っても良いし、何の制約もオトガメもなかった。飲んでいても、お姉さんたちは二人で話していたし、我々は、誰かとテキトーに話したりしている。
誰も、名前も年齢も仕事も、何処から来たのかなんて、知ろうともしないし、聞こうともしない。
ただ、楽しく、笑いさざめいて、お酒を飲んでいた。危険だけれど、あんな、自由な世界にいたのは、あの時だけだったと思う。
新宿の夜の女王様たちは、苦界であえぎながらも、必死に生きていた。断片的な話を総合すると、親の借金を返すために、夜の蝶となって働いているとか。飛び切りの美人なので、指名が多く、たいへんな高収入を得ているようだった。
しかし、彼女たちは、いつも疲れ切って、淋しそうだった。自分の仕事に誇りを持ってもいなかった。男は金のなる木、と割り切ってはいても、男に媚を売る仕事が、大嫌いな様子だった。
そんな酒場には、行き場のない、彼女たちのため息が、薄いモヤのように充満していた。ある日、女王様の一人が、ろくに会話したこともない私に向かって、「アンタはすごく真面目そうだし、こんなところでフラフラしてちゃ、ダメなんだよ。私たちと、こんなところにいるような子じゃないよ」と言った。
私は、そんなに真面目でもないけれど…と思いながらも、その後、酒場めぐりからは足が遠ざかっていったと思う。
あの、美貌のお水の女王様たちは、あれからどうなったのだろう。足を洗って、女性としての幸せな花道を歩けたのだろうか。哀しそうな瞳が、幸せに明るく輝くことを、私は、心から願っていたのだった。
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あれは、このブログで少し前に登場した「モテる先輩」に連れて行ってもらった、穴倉のような地下にある酒場だった。古い木製の、重くて分厚いドアを開けると、ワーンとさざめく声が反響していて、何も聴こえないような、喧騒のルツボ。
階段を降りてゆくと、照明を落とした、暗くて、広い洞窟状の空間が出現する。中央に大きな馬蹄型の頑丈そうな銘木のカウンターが、根が生えたようにドーンと居座っている。カウンターの中では、若いのにベテラン風のバーテンダー数人が、手際よくお客の注文を捌いている。
相当の人数、詰めれば40人くらいが座れるようだった。その周辺には、小さなテーブル席もあったが、そこは、こみ入った話をする人たちや、酔いつぶれた人たちが、いつも占領していた気がする。その辺は、余計に暗くてデンジャラスなので、トイレに行くために通る時も、私はあまり見ないようにしていた。
入り口近くには、生バンドが演奏する事もあるようで、小さなステージがあり、ドラム、ベース、ギターなどのセットが置いてある。腕に覚えのある人は、頼めば歌わせてもらえた。たまに、ドラムを叩く人もいたが、ほとんどは、ギターの弾き語り。
飲みに来ている人たちは、けっこう耳が肥えているので、ここで飛び入りで歌うとなれば、そこそこの水準でなければ、たいへんな恥をかいてしまうのだ。
今のように、宴会場のカラオケで、傍若無人に、がなりたてて歌う人のようであっては、いけないのである。
そこでは、先輩たちと2、3度来た後、私は気に入って、秘かにひとりで通っていた。気分転換と取材を兼ね、自由でラクでお洒落な雰囲気を楽しむためである。
そこでまた、隣り合って話した青年と、よく顔をあわせるようになって。。。彼の身の上話を聞いてみると、はたして、元は家出してきた少年だった。やはり、ここは大都会・東京か…。家出少年も多いのだろう。
年は、私と同じ20歳くらいだったが、ワケアリだった。私の性格からして、多少、説教めいた事も言った気がするが。彼は両親に対して、特に父親に対しては、憎悪の激しさからか、話していても興奮するほどだった。
まぁ、それ以外の時は、陽気できっぷも良くて、悪くない人だったけれど。高校生の頃、地元で少しだけ、バンドをやった事があるという。ある日、「オレは、今日は歌うよ!」と言って、お店の人にOKを貰えたので、ギターの弾き語りを始めた。
当時、人気だった、長渕剛の「順子」を真剣な顔で歌った。まぁまぁ、上手いほうなのだろう。私は、長渕じたいをそれほど好きではなかったので、これもお義理で拍手した気がする。周囲で飲んでいた知らない人たちも、好意的にそこそこ拍手してくれたので、彼は満足がいって嬉しかったのか、ニコニコしていた。
少し遅い時間になると、そろそろ、女王様が来るのを、皆が待っている。周囲の気配が、妙にそわそわとしている。
いうなればこれから、叶姉妹を上品にして、肌を露出させない、美人姉妹が登場するのだ。彼女らは、実の姉妹だという。いつもイスラムの女性のように身を隠した黒の服装で、後光を放つが如く、仕事の終わりごろにココに寄るのだった。常連中の常連である。
彼女らが入り口に現れると、映画「十戒」のように、正面のカウンターまでの道が、スーッと光が差し現れて、二人がカウンターの椅子に座るまでを、皆がホーッと見惚れている。座り終われば、また何事もなかったかのように、それぞれの会話に戻る、という感じだった。
この美女二人は、お店に来た嫌なお客の鬱憤を、ココで吐き出したり、ミニ・ミーティングのような事をひそひそ話したりするのだ。我々は、それとなく、聞いているだけ。素人には珍しい話なので、けっこう面白い。
今の時代なら、お姉さんたちは、ホストクラブで憂さ晴らし~、なのだろうが、当時はそんな風潮もなくて、至って真面目でした。しばらくすると、お姉さんたちは、河岸を変えます。近場に座っている人たちに、付いて来たい人は付いてらっしゃいね、なんて誘ってくださる。アナタもどうぞ、いいよ、と言うので、私も2回ほど付いて行った事がある。
新宿の夜の街を、多い時で7、8人がぶらぶら歩きながら、あるいは笑い戯れながら、次の店へと行く。
女王様たちは、その時に付いて来ている顔ぶれを見て、行くお店を二人で相談して決めているようだった。
行き先は普通のスナックだったり、普通の?オカマバーだったりした。支払いは、すべてお姉さんたちである。
我々は気に入らなければ、途中で黙って帰っても良いし、何の制約もオトガメもなかった。飲んでいても、お姉さんたちは二人で話していたし、我々は、誰かとテキトーに話したりしている。
誰も、名前も年齢も仕事も、何処から来たのかなんて、知ろうともしないし、聞こうともしない。
ただ、楽しく、笑いさざめいて、お酒を飲んでいた。危険だけれど、あんな、自由な世界にいたのは、あの時だけだったと思う。
新宿の夜の女王様たちは、苦界であえぎながらも、必死に生きていた。断片的な話を総合すると、親の借金を返すために、夜の蝶となって働いているとか。飛び切りの美人なので、指名が多く、たいへんな高収入を得ているようだった。
しかし、彼女たちは、いつも疲れ切って、淋しそうだった。自分の仕事に誇りを持ってもいなかった。男は金のなる木、と割り切ってはいても、男に媚を売る仕事が、大嫌いな様子だった。
そんな酒場には、行き場のない、彼女たちのため息が、薄いモヤのように充満していた。ある日、女王様の一人が、ろくに会話したこともない私に向かって、「アンタはすごく真面目そうだし、こんなところでフラフラしてちゃ、ダメなんだよ。私たちと、こんなところにいるような子じゃないよ」と言った。
私は、そんなに真面目でもないけれど…と思いながらも、その後、酒場めぐりからは足が遠ざかっていったと思う。
あの、美貌のお水の女王様たちは、あれからどうなったのだろう。足を洗って、女性としての幸せな花道を歩けたのだろうか。哀しそうな瞳が、幸せに明るく輝くことを、私は、心から願っていたのだった。
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その文にあわせて情景が浮かんできますね。
その当時のトーコさんにも会ってみたいな。
これでお互いにつながりましたね。
がんばりましょう、一緒に。
んで、描写がめちゃうまくってお店のざわめきまで
聞こえてくるようだわ~。
緊張と怠惰が入り交じっていて、時間がない空間だったように思います。
女王様は不思議な存在だったでしょうね。
今の新宿は知りませんが、ひと頃の新宿には、自分を開放させてくれる何かがあった。
同じ空間を共用している者同士の連帯感もあった。
傍で見ている限り、今の新宿は怖い。
女王様のその後も知りたいですが、遍歴中のトーコさんにも興味が湧きましたよ。
もっぱら「コンパ」とか「ハワイ」とかいうような店が流行った時代です。
[コンパ]ではカウンターの中の女の子と話をするのが楽しみでした。
飲み物は主に「ジン」とか「ウオッカ」・・・
強い酒が好きでした。
「ミモザ」というサラダを覚えたのもこの頃です。
レタスにゆで卵の黄味を細かく刻んで降りかけただけのシンプルなものでしたが、美味しかったです。
その当時の私?うふふ。ナマイキ盛りですよ
kaorinさん、今度、新宿の雑踏や、喧騒の酒場、みたいな絵も、描いてみてくださいよ~ ひとつ、エキゾチックなやつをねっ
コメント、ありがとうございました(合掌)
リンク、ありがとうございます。
それにしても、、、「エッセイ」から消えたと思ったら、「お笑い」に転向したのですか?「会社員日記」はどうなったのでしょう?ナゾは深まるばかり…(笑)
毎日の、やたら楽しいブログ更新、ご苦労様です。ヒマなんですか?きゃはっ!
では、今宵もお風呂に浸かりながら、面白ネタをひねり出してくださいませ。コメント、ありがとうございました(合掌)
深刻書、いや申告書、これからですか~?
私、たいへんな見逃しを致しておりました。「租税公課」ですぅ~。固定資産税を入れるのを、すーっかり忘れていました。
くくっ、さすれば当然、去年もその前も忘れていたのを今ごろ思い出しちまって、打ちひしがれているところです。。。ドンマイ私。あ、違う「まいどクン」だったわね
申し訳ありません、瑣末な武勇伝で。そんな書類山積みなのに、コメントをば、ありがとうございました(合掌)
え?新宿?とっても怖いところですよね~今ではTVのニュースで見るだけです。
でも、昔はそう怖くもなかったですけれどね。私が、怖い物知らず?だったかも。。。あはっ!
遍歴というほどの事もないですよ。仕事が次の日休みのときに、いそいそと飲みに行くのです。始発電車が来る時間まで。あはは
後で伺います。コメント、ありがとうございました(合掌)
はぁ、新宿で遊んでいたんですか?知らんな~
私なんか、臆病ですから、先輩が連れて行ってくれたお店しか知りませんよ。人畜無害なところしか…(笑)
そういえば、バーテンダーが、カッコイイ女性ばかりのショットバーみたいのがありましたね。
あそこで、シェイカーを振る、「ミモザ」という名前の女の子を口説いて、あっさり振られていた男性を見かけましたよ
もしや??(笑)ミモザサラダ、ありましたね。そもそも、サラダ、というものがお洒落な感じがしたものです。
懐かしのコメント、ありがとうございました