季語・七月2 平井照敏/七月の夕闇ちちもははもなし

2020-07-16 14:25:55 | 青萄の第六絶滅期俳句

 

 

 

 

 

 

 

ムラサキセンダイハギの種子↑梅雨茸↓

 

 

 

 

ん(  -_・)?何?

 

 

いろんなもんが風雨で飛ばされてくる↑ん(  -_・)?これは何?蟷螂に見えたが…木の樹皮である😅蛾も飛ばされて↓

 

 

 

 

虹も立つし↑アメリカイヌホウズキ❔も↓

 

 

 

 

 

 

変容すいのちの末の花くずも/青萄

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (青萄)
2020-07-16 20:18:23
平井照敏さん編の復刻版「新歳時記」が気に入って、主として使わせていただいている。歳時記として、また氏本人にも全幅の信頼を寄せているわけで🎵
野菜の季語では料理の仕方や美味しい食べ方まで、詳細に書いてある稀有の書であり、それを参考にして作ってみたりもしている😅
私は今年からの愛読者だが、高山れおな氏によれば、彼はこの文庫版を初学の頃に使っていたと聞く。へ~🐧初学の頃にね~🐧
いやいや話が横道にそれました😆ショウビン氏はつくづくすごい人なんだけど…論評に比して俳句は少し甘いような気もする?「ちちもははもなし」はありがちなフレーズに感じるのだけれど…七月の夕闇、ここが肝だろうか…とも思う🐤いずれにしても平井照敏、もう故人ですが好きなんだよなぁ☺

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Unknown (青萄)
2020-07-17 20:58:00
「西瓜」について。
平井照敏さんの歳時記では、西瓜の花は夏に、西瓜は秋に分類されている。
〈本意〉西瓜は秋のものとされていたが、最近は早くから出回るようになった。六月頃に花が咲き、受粉して花が落ちてから1ヶ月で果実がとれる。

要するに早生種などは晩夏が盛りと言える。時代は常に変化しているわけで。その時代を巻き戻して何がなんでも暦通りに、文法通りにしなければいけない、と短絡するのは無理が有るのではないだろうか?
辞書に載っていない、確たる用例がない、ということで過去にまで遡り、名句を葬り去るのは如何なものであろうか。
文法も暦も大事だけれど、時代の流れに並走し少しずつすり合わせて行くことも大事と思う。俳句が文学であるのなら、感覚的であっても何ら差し支えないような気もする。
話は違うが、藤井新棋聖は理詰めで指しているばかりではなく、そこに歩があると将棋の景色が良くなるなぁ、という感覚的把握も大事にしていると聞く。

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