このブログはいったいどこへ向かっているのでしょうか?じつは私もよく分りませんが、「俳句の海」という大海に、大きく舵を切っているのは明らかであります。ブログも生きもの。
さて、雨降りで白鳥の姿は定かではありませんが、一応2家族ほどが鬼怒川に飛来していました。撮影写真は3月1日、すでに2日後には姿がなく帰ったもよう。
(※位置関係を訂正 3/6)こちらは藤原方面から流れの来る鬼怒川↑春雨で霞みまくっています^^;
こちらは塩谷を通って上河内方面に向かう鬼怒川↑この先にある立入禁止(私有地)に接する砂洲を、彼らは塒としているようで、その姿を目にできるポイントは僅かにここだけなのであります。昨年は50羽ほども飛来、今年は10数羽と激減。
雨のため全体が煙っており↑「雰囲気だけでどうも失礼しました~」という写真です(汗)
こちらは1羽だけですが、ウォーキングコースに寄ってくれました↑マガモたちが傍へ寄り、戯れに遊んでおりましたが^^
鷺の向うには点景として白鳥一羽↑氷雨のなか、これもすでに帰ってしまいましたね。
さて3月3日の下野新聞に、一月に送った葉書俳句が入選していました↓ベタな句ですね、私も地元では気弱に?(笑)病弱をアドバンテージにはしたくなかったのですけれど、まぁ事実ですしね、いまさら隠すようなことももう疲れたのでや~めた。
七草や病弱なるも今生きて 萄子 (木島松穹選)
七草粥を口にしながら、ふと脳裡を過(よ)ぎった思い。病弱で長年苦しんできたであろう作者の、つぶやきが聞こえるようである。その感慨と、感謝の念とが一体となった作品である。俳句は将(まさ)に、生きるための詩である。(木島先生より)
その夜お風呂に入りながら、木島先生の「俳句は生きるための詩である」との句評を反芻、もしかして私の句を「詩」と認めてくれた? 思いもよらず落涙しそうになりました。まぁたまにはね、先達の俳句の先生に弱音吐いたっていいじゃない、ってことで(笑)
ぼくもまあ、子どもの頃から身体が強くないのに、あんなに働かせる業界へ入って、ぼろぼろになって復活できなくなる寸前に辞める決断ができたようです。
空見 さんは、こうして俳句をほめられていらっしゃるけれど、そういうものもないしなあ…。
まぁ遠くからでも少し見れればいいや、くらいに思って、写真は本当に雰囲気のみ、冬の終わりの鬼怒川を見ていただければ(笑)
ディックさんは学究の道を選ばずにね、あの過酷な業界で。美術館の学芸員さん、なんてのも似合う気がしますけれど・・。
ひょっとして、私の事かなー?なんて思いました。
考えてみれば、書かれている様なコメの入れ方してるし。
透き通った山の姿が、綺麗ですね。
いえいえ違いますよ~ブログ記事の内容いかんにかかわらず、とりあえず何でもほめとけばいいんだ、と勘違いしている人もいるんです。それも毎度コピーしたようなコメントで、自分さえ気分良くボランティアすればいいのさ、みたいなね、それが残念でした。こちらにすれば、ず~っと軽くバカにされている気分でしたよ・・。でももう関係ありません、私はこれからも誠実にコメントバックを書くつもり。欄の表示これから大丈夫ですから~^^;