池田澄子氏が書いておられた「俳人・三橋敏雄」とのやりとりに感銘を受ける。
彼女は40代を目前にして俳句を志し、師事すべき人を探します。見つけたのは、表現に厳しそうな、いわゆる言葉の選び方に煩そうな俳人・三橋敏雄。
しかし三橋は結社を主宰していないため近づく手立てはなく、5年が経過する。
その後一大決心をし、返信用の葉書を入れて封書のお手紙を差し上げる。やがて三橋からの返信の葉書が帰ってきた。爾来池田氏はこれを宝物としてきた。
「ご来旨の件について原則的なことを申しますと俳句は誰かに教えてもらうものではありません すべては自己啓発にかかっています (中略) 先行の作品を一歩でも抜く表現をめざすこと しかし 先行作品の亜流や真似にすぎないものは いくらよく出来ていても 存在価値はないと思うべきです どこに所属していようとも 右のような覚悟さえあれば上達の道がひらけましょう 小生自力でずっとそうしてきました」
わ~カッコイイ!やはり三橋敏雄は別格ですな。結社だとか主宰だとか、そういう権威主義的なものが信用できない私は、俳句は何物にも縛られずに独力で楽しみながら作ってゆけばいいんだ、とまた意を強くする。
今日の写真は「男体山」↓刈り入れの済んだ田の夕暮れ、まだ暑いですが季節は「冬隣」に。
残骸のような残暑や廃校舎 空屋