平野啓一郎の「高瀬川」を読みました。
作者みずからが実験期と呼んでいる時期の作品で、概念的な作品あり、前衛的な作品あり、とタイプの違う4つの短編からなります。正直なところ、作者の意図があまりよくわからい作品の方が多かったです。
つまらない、面白い、という二元的な感想ではなくて、わたしでは理解が及ばないことが多い、といったところです。
「清水」は、実存と非実存の概念の境界について書かれた(と思われる)難解な短編。
「高瀬川」は、詳細な男性心理と性の描写が作者の試みでしょうか。物語の最後でペットボトルを落とすという男の行為は、女性のトラウマに寄りそった男の優しさ、だったと思うのですが、果たしてその行為は女性の立場からみて優しさを感じる行為なのか、という疑問が残りました。題名から、森鴎外の高瀬舟を意識した作品かな、とも思ったのですが、その要素は全く無いようでした^^;
「追憶」は難解です。はっきりいってまったくわからない。音楽的表現や絵画的表現を文字を使って実現しようとした冒険的な作品なのか?とも思ったのですが、どうもそうではないよう。
筆者のサイトの解説、『どうしてもストレートに父の死のことを書けなかった僕が、詩の形式を借りて書いた作品です。まず、父の死の情景を比喩的に語った一編の詩を書きました。そして、その言葉をランダムに抽出しながら、あるいは再比喩化し、またあるいは通常の叙述の文に解きほぐしながら、文章を何度も再構成しています。そうすると、非常に不思議なことですが、すべての言葉を再編成し終わった時には、最初のテキストを物語的に一層、深化させた全体ができあがります。これは、なぜそうなるのか、説明が難しいのですが、ともかく、非常に成功しました。』を読んでもなお理解できませんでした。
[氷塊」は上下2段組の紙面で、別々のキャラクターが同じ時間軸により、それぞれのストーリーが進んでいく形式の小説。
これを見て思い出したのは、「対決/青春(激闘)七番」という棋書でした。
対決/激闘七番の写真は下のもの。
2段組の紙面にて、同じ対局を2人の対局者(谷川浩司と田中寅彦)がそれぞれ自戦記を書いています。同じ将棋ながら、微妙に感じ方が違うのが面白い一冊です。
と、古い本のことを思い出したのですが、「氷塊」の方は同じ事象から異なる心理が描写される小説で、ときおり事象が統合されつつも、エンディングに近づくにつれ緊張感がどんどん高まり、この2段組の形式は成功しているのではないか、と思いました。これは面白かった。「マチネの終わりに」に通じる、スレ違いの妙、があるようにも思えました。
平野啓一郎の実験期作品については、もう少し読んでみようと思います。
作者プロフィール。
書誌情報はこちら。
p.s. いい感じのバランス。カリウムは少なすぎてもダメなので帳面合わせしないと。
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