新潮文庫から安部公房の新刊が出てたので読んでみました、2024年8月28日発売。
1992年に発行されたエッセイ集「死に急ぐ鯨たち」に、「もぐら日記」を追加して文庫本化したものです。わたしはいずれも読んでなかったので、ちょうど良いです。
というか安部公房のエッセイは初めて読みますよ、小説と戯曲しか読んでいなかったです。
こちら内容紹介。
目次その1。
目次その2。
死に急ぐ鯨たちは I~IV と別れていて、それぞれ興味深いテーマが書かれています。
ここでもガルシア・マルケスが登場します。ドナルド・キーンが、安部に対し「(百年の孤独は)あなたが読むために書かれたような小説だ」ともちかけ、百年の孤独を読んだ安部はこの作品を絶賛しています。
正直なところ、百年の孤独は最初は安部公房がそこまで持ち上げるような小説だということがわたしには理解できていなかったのですが、本書の右脳左脳のアナログデジタル変換の話を読み進めるにつれ、なるほどガルシア・マルケスは右脳で読まねばならぬのだ、わたしの読み方は左脳に偏っているのだ、ということが理解できたような気がします。もういちど、百年の孤独を読み直してみよう。
もぐら日記は、最初はつかみどころがない感じで読み始めました。これはシンポジウムのための原稿を創作するときの思考過程を記したもので、内容は生物学と言語論の話です。ローレンツ(ノーベル生理学、医学賞受賞のコンラート・ローレンス)批判が多いですが、パプロフの言語レベルでの高次な条件反射、チョムスキーの生成文法など興味深い話もありました。
三島由紀夫の「小説家の休暇」もそうでしたが、どうも文学者の日記というものは、読み難い、理解しづらい内容が多いです。おそらく、人に読ませることを第一義にはおかずに、自身の思考の整理という目的で書いているせいだと思うのですが、作者と同レベルの知性がないとすんなりと頭に入ってこない文章だと思います。
また、本書は「方舟さくら丸」の自作解題と、自作「スプーン曲げの少年(飛ぶ男)」の構想についても記されています。これを読んで、「方舟さくら丸」を読み返してみたくなりました。
作者プロファイル。
書誌事項。なんとなく初版の文庫を読むと気分がいいですね、たいした意味はないですが。
p.s. 中3日で体重増加、2300引いて残りなし。
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