あれはまだ、私が一人っ子だった頃…
叔母が離婚して看護学生寮の寮母をしていた時だった。
寒い札幌の郊外を母と二人訪ねた事がある。
若い頃、大病を患った叔母には子供がなく私を可愛がってくれていた。
まだ、字も読めない頃から欠かさずクリスマスカードを送ってくれたのも叔母。
そんな叔母が「おかあさん」と若い看護師の卵達から慕われ
自分の場所を作っていた。
若い頃から文学に親しんでいた叔母が
「見せたいものがある」と取り出した一冊の冊子。
それはお世話になっている病院の有志が創っている文芸誌。
短歌の特選に自作の句が選ばれたと嬉しそうに母に告げていた。
まだ小学2年の私には内容も理解出来なかったが
何故か今でも 「…爪染めてみる五十路の吾は」
と言う下の句だけはっきり覚えている。
今、その時の叔母の年に近づきマニキュアの手を翳しながら
心中に思いを馳せてみる。
叔母も母も とうに向こうの世界へ旅立っている。
以前は苦手だったマニキュアで重だるい指先が
近頃は嫌いじゃない。
ご訪問ありがとうございます
叔母が離婚して看護学生寮の寮母をしていた時だった。
寒い札幌の郊外を母と二人訪ねた事がある。
若い頃、大病を患った叔母には子供がなく私を可愛がってくれていた。
まだ、字も読めない頃から欠かさずクリスマスカードを送ってくれたのも叔母。
そんな叔母が「おかあさん」と若い看護師の卵達から慕われ
自分の場所を作っていた。
若い頃から文学に親しんでいた叔母が
「見せたいものがある」と取り出した一冊の冊子。
それはお世話になっている病院の有志が創っている文芸誌。
短歌の特選に自作の句が選ばれたと嬉しそうに母に告げていた。
まだ小学2年の私には内容も理解出来なかったが
何故か今でも 「…爪染めてみる五十路の吾は」
と言う下の句だけはっきり覚えている。
今、その時の叔母の年に近づきマニキュアの手を翳しながら
心中に思いを馳せてみる。
叔母も母も とうに向こうの世界へ旅立っている。
以前は苦手だったマニキュアで重だるい指先が
近頃は嫌いじゃない。
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