好きになるタイプ、
引かれる異性というのは
潜在意識の中に
インプットされているのでしょうか?
僕の書いた次の記事(『レンゲさんがすばらしい人とめぐり合えるように!』)にSO-NETのアヤキングさんから次のようなコメントをもらいました。
こんばんは、ayakingです。

先日、短大時代の友人に久しぶりに会いました。
その友達の歴代彼氏はだいたい知ってるのですが、いつもちょっと変わった人と出会ってしまうようです。
ちょっと女性的な感じの人。
なよなよっとした人という意味で女性の心を持ってるという意味ではないです。
2年くらい前の彼はとってもわがままで仲良く遊んでると思えばちょっとした一言で逆上するような人でした。
その彼は実家の九州に戻ると言って去っていったそうです。
友達を連れて(結婚する)戻ると思ってたのですが、独りで帰りました。
今回の彼もちょっと変わった人で友達が熱を出して寝込んでるときに
「連絡のひとつのくれないのはおかしい、他の男と会ってるんだろ?」
と言ってくるような人です。
ayakingはそれは怖いタイプの人だから別れたほうがいいと伝えました。
まだ付き合って3ヶ月って言ってたので。。。
こういった人って逆上するとなにするかわからないから怖いですよね。
好きになるタイプ、引かれる異性というのは潜在意識の中にインプットされているのですかね?
ayakingは独身時代、苗字と住所(町の名前)は絶対に男性には教えませんでした。
付き合っていってから素性が分かったら教えました。
だから家まで送ってもらうなんて絶対しなかった。
遠い駅で降ろしてもらってタクシーで帰ってました。
年齢と住んでる町が分かれば卒業アルバムからバレてしまうのです。
以前は住所と電話番号が載ってましたから。
今は載ってないみたいですよ。
苗字と住所がわかると電話帳でばれてしまうのです。
これは自分が怖い思いをしたから身に付けた防御策です。
友達は家は知られてると言っていたので心配です。
by ayaking (2005-11-12 21:48)
アヤキングさん、いつもインスピレーションを与えてくれるコメントを書いてくれてありがとう。
最近は、“公開抗議文”だとか、“ブログ削除”だとか、“公衆便所の落書き”だとか。。。
インスピレーションを掻き立てるような話題がなかったので、サビシ~思いをしていたんですよ。
そういう時に、上のようなコメントをもらったので砂漠を歩いていてオアシスを見つけたような気分です。
スキップしたくなってしまいました。

例によって全文を引用させてもらいました。
僕の理解しやすいように改行などした箇所があります。あしからず。
コメントを読んだ最初の印象は、
アヤキングさんが“石橋をたたいて渡るように”慎重な男女関係を持つ人なんだなああああ、と感心したり驚いたりでした。
しかし、考えてみれば、レンゲさんのように衝動的に“幼児的な触れ合い”を求めるようにして関係を結ぶよりも“石橋をたたいて渡る”方が失敗は格段に少ないですよね。
近頃は“出会い系の恋愛”がはやっているようですからね、10代や20代の人には、ぜひとも“石橋をたたいて渡”って欲しいですね。
これまでに出会い系で出会って、挙句の果てに殺された女性がかなり居ましたからね。
僕の個人的な経験で言えば、僕は身元の分からない女性とは付き合ったことがないですよ。
だから付き合う女性にはクラスメートだとか、同じ職場の女性が多かったですね。
また、親戚を通じた家族ぐるみの付き合いから、従妹の友達やその友達などが僕の家に遊びに来たり、また相手の家に遊びに行ったり、そういうような形で付き合いが始まりましたね。
だから相手のお父さんやお母さん、兄弟姉妹まで知った上での付き合いになる事が多かったですよ。
そういうわけで、アヤキングさんが“石橋をたたいて渡る”ような事は初めからありませんでした。
僕の妻は従妹が大学時代の友達だった女性です。
ところで、高校時代の恩師が良く言っていたんですよ。

“君たちもやがては結婚するだろう。見合いか恋愛か、それは人それぞれだろうが、一つだけ君たちのために言っておきたい事がある。”
僕は男子校の生徒でした。
普段女の話などしない先生がそういうことを言い出すものだから、クラス50人の生徒が、一瞬シーンとして先生が何を言うかと固唾(かたず)を呑んでじっとしていたのを、今でも鮮明に覚えていますよ。
“お母さんをじっくりと見ることだよ。
年を取ったら、そのお母さんのようになる。
女の子はお母さんをモデルにして育つからね、お母さんがダメだったら、やめておいたほうがいい”
“先生、母親と結婚するわけじゃあないでしょう”と茶化した奴が居たけれど、僕は“なるほど~”と感心して聞いたものでした。
従妹と僕の妻は東京の女子大で学んだのですが、僕の妻の実家は京都でした。
僕の実家は埼玉です。
従妹と一緒に2度ほど妻の実家に行ったことがありました。
その当時僕はもちろん現在の妻と将来結婚しようとは思っていませんでした。
ただし、高校時代の恩師の言葉が頭にこびりついていたんですね。
だから、僕は妻の挙動よりも妻のお母さんの方に関心が向いたわけですよ。

このお母さんがたいした女性なんですね。
僕は歴史馬鹿ですから、京都という“古都”に対する“憧れ”のようなものがどこかにある。
つまり、紫式部だとか清少納言だとか、そのような昔のすばらしい女性たちが、なんとなく京都に住んでいたというような思い込みがあるわけです。
そのすばらしい昔の女性たちと妻のお母さんを重ねているようなところがあった。
それには理由があるんですよ。
そのお母さんたるや書道が3段。
活花は免許皆伝。
お茶は表千家の免状を持っている。
しかも、和歌もたしなむ。
それで美人なんですよ。
僕は当時年上の女性、というより熟女に憧れのようなものを持っていました。
だから、このお母さんに近寄りがたいものを感じるとともに、どうしようもなく惹きつけられるものをも感じました。
このお母さんと居ると僕は緊張の連続でしたよ。
でも、この人は、もの当たりの柔らかい、例えれば38歳ぐらいの八千草薫さんという感じなんですね。
人の接し方にそつがない。
しかも京都言葉で、なんとなく品がいい。
それに、家にしろ庭にしろ京都の旧家だけあって格調がある。
こういう雰囲気の中で浅黄色の着物を着て、何やかやと僕をもてなしてくれるわけです。
一度、京都のキツネうどんを出されました。
はっきり言って薄味で“関東の濃い味”に馴染んでいる僕の舌には、実に不味いんですよ。
でも、このお母さんが作ったものだと思うから、“これが本当の上品な味というものなのかあああ~”と妙な感心の仕方をしてしまう!
(ずっと後になってから妻にボロクソに言われましたよ。
“あなたは、うちのおかあはんが作るものなら何でもおいしいおすの?
おかあはんのオナラも、きっと香水のようないい匂いがするのでしょうね?”)

従妹と僕と(独身時代の)妻の3人で喫茶店に入ります。
当然、妻は僕よりも従妹と話がはずみます。
僕は、そういう妻の横顔を見ながら、“ああ~、この人は、あのお母さんの娘なのかあああ~”
そう、しみじみと眺めた事が何度かありました。
ところで、これはあとで妻から聞いた話なんですが、
“京都のオブ”というのがあるんですよ。
つまり、関東の者が、通りがかりに京都の町屋の前で知り合いに出会ったとします。
その町屋のおばはんが“オブでもどうですか?”と言います。
お茶でも召し上がっていきませんか?と言うわけです。
関東でなら、これは、“立ち話もなんですから、どうぞ家の中に入ってお茶でも飲みながらゆっくりとお話しましょう”と言う誘いの言葉になるのです。
でも、京都ではそうならないと妻は言います。
つまり、“用事が他にもありますので、この辺で失礼させていただきます”と言う婉曲な断りの言い方だというのです。
僕は京都の女性というのは妻が初めてでした。
大阪の女性も、関東の女性も、結構ざっくばらんな人が多いものです。
つまり、率直にモノを言う人がかなり居ます。
素直で正直で率直なレンゲさんは大阪人です。
関西人でも、京都の人と大阪の人は違いますね。
僕はそんな印象を持っています。
いずれにしても、妻はレンゲさんとはかなり感じが違います。
十二単(じゅうにひとえ)を着た女。
そんな印象ですね。
つまり、1枚や2枚着物を脱がせたところで、肌を見せない。
僕は心のことを言っていますよ!へへへ。。。。
妻が言うには、僕は全くそのような世間知らずな“関東人”だったと言います。
“おかあはんは私を売り込もうと、ああしてあなたをもてなしたんやわ。普段は、あんなにニコニコする人やおまへん。実に厳しい人ですわ”
要するに世間知らずの“関東人”だった僕は、まんまとはめられたと言うわけです。
ここで、本題に立ち戻ります。
好きになるタイプ、引かれる異性というのは潜在意識の中にインプットされているのでしょうか?
僕は全くその通りだと思います。

僕はこれまで何度も母親の事を書いています。
僕は幼児の頃、母親に抱かれた肌のぬくもりだとか、母親のオッパイを口に含んだときの乳首の感触だとか。。。そういうものが今だにおぼろながら記憶の片隅に懐かしく残っています。
僕にとって母親との関係は、この上のジューンさんの絵のようにまさに懐かしくも思いで深い、心の温まるものなんですよ。
つまり、僕の“幼児的なふれあい”というのは幼児の時に充分に満たされているんですよ。
母親とのスキンシップを充分に感じましたからね。
だから、僕には「幼児的なふれあいへのあこがれ」と言うのはないんですよ。
もう、“幼児的なふれあい”は“たくさんです”よ、“ご馳走さんでした”と言う気持ちなんですよ。
そういう僕でしたから、18才の時に父離れ母離れして自分ひとりで暮らし始めました。
それ以来、父母と一緒に暮らした事はないんですよ。
僕がこの文章を引き合いに出して何が言いたいかと言うと、“人がふるさとを懐かしむように、母親というのは男にとって女のプロトタイプ(prototype)です”
男が母離れしても、妻の中に“母親の原型”を投影しているところがある。
このような意味で「好きになるタイプ、引かれる異性というのは潜在意識の中にインプットされている」と僕は思っています。
つまり、相手の女性の中に母親像を探している。
でも、こんな単純なものではないですよね。
それは、僕が妻の母親に惹かれたことに良く現れています。
要するに、僕は自分の母親にはないモノを妻の母親に見出したのです。
だから、その母親の娘だから、妻も同様な気質と才能と性格を兼ね備えているに違いない。
僕の高校時代の恩師の“教え”が頭にあったわけです。(しかし、現実にはズレがある!娘は母親のコピーじゃない!)
僕の母親は農家の出身でした。
高等教育は全く受けていません。
書道は無段。
活花はやった事もない!そんな暇がなかった。
苦労が多かった。
家の家計を助けるために、若い頃には女中奉公までさせられた程です。
お茶は番茶を入れるだけ。
でも、どこで勉強したのか和歌を作れるのには驚いた!
小さな頃見た母親は美人に見えることもあったけれど、
世の中には自分の母親より美人が多いのに驚いた!
でも、利巧な人です。
こういう母親を見ていただけに、心のどこかで別のタイプの女性を求めている部分もあった。
ちょうど、僕が日本を飛び出して、海外20カ国を放浪したのに似ています。
その“外国”が一言で言ってしまえば妻の母親だったと言うわけです。
そして僕の恩師の“法則”から、“そういう母親の娘なら、きっと娘も母親のように。。。”と思ったわけです。
でも現実にはズレがあった。
いづれにしても、「母親とは違ったタイプの女性を求めている、ということも潜在意識の中にインプットされている」と僕は思っています。
それでは、母親のタイプと母親とは違タイプと言う事だから、女性のタイプすべてと言うこと?。。。そう、あなたは僕に尋ねるかもしれませんね。
僕が言おうとしているのは、自分の母親のすばらしい部分と、母親にはなかったすばらしいものを求めていたと言う事です。
母親になかったすばらしいモノとは?
古都に住んでいる女性の奥ゆかしさ上品さ。。。

一口で言うなら、そのようにあいまいで、とりとめもないものです。
歴史馬鹿の僕には、それが妙に魅惑的なものに感じられるんですよ。
では、レンゲさんの場合はどうなのか?
残念ながら、レンゲさんの場合にはプロトタイプとなる母親像、父親像が小さい時に持てなかった。
幸せな家庭ではなかった。
崩壊した家庭に育った。
レンゲさん自身がそう思っているのです。
反面教師としての母親。
反面教師としての父親。
レンゲさんは、そう捉えてしまっています。
そこに問題があると僕は思っているのです。
要するに、
「好きになるタイプ、引かれる異性というのが強く潜在意識の中にインプットされていない」
では、何がレンゲさんを異性の元に追いやるのか?
小さい頃に持てなかった“幼児的な触れ合い”です。
僕は、そう理解しているのです。
あなたはこれまで僕が描いたレンゲさん像からどう思いますか?

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