ん? クラシックと
津軽じょんがら節?

クラシックというのは当然の事ですが大衆音楽ではないですよね。
では大衆音楽というのはどのようなものなのか?
まず民謡があげられるでしょうね。
つまり文字通り英語で訳せば“folk song”ということになりますよね。
“民の歌”です。
でも、“歌”と“謡”の違いとは?
歌はあなたにも分かりきっていますよね。
歌謡曲の“歌”です。
でも、この“歌謡曲”の中にも“謡”が含まれています。
この“謡”とはいったい何なのか?
実は僕も詳しく知りません。
“謡”と聞いて、すぐに連想したのがテレビの大河ドラマで見たシーンです。
織田信長が桶狭間の合戦に出陣する前に、
例の“人間~♪~五十年~♪~。。。”と歌いだして踊るあの謡曲のことでした。
これを歌い終わるや、死を覚悟して奇襲に望むというものでした。
現在の我々には、あまり縁のない、あの唸(うな)るように歌う謡曲です。
ちょっとネットで調べたら次のように説明されていました。
つまり、「能」のセリフとコーラス部分を独自の節に合わせて歌うものの事です。
つまり民謡とは、民話や当時の事件や出来事を物語風にして独自の節に合わせて歌うもののようです。
では、クラシックとは何だろう?
ここで、太田将宏さんの本から引用します。
そもそも、昔は、作曲された音楽はorder-madeであったのだ。
それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、
音楽はprêt à porterとなった。
作曲と演奏が分離、分業になったのは、このころではなかったか。
その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。
現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。
身尺に合わないready-madeのお仕着せに、
どのような音楽を聴いてもambivalentな気持ちがするのは、
私だけではあるまい。
それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。
私は、演奏会や音楽会を提供する側、
製品に付加価値をつけようとする側のarrangement、
つまりprogrameについても同様に感じる故に、
めったに演奏会場に足をはこばないのである。
そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、
自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減される事に私は気がついた。
それ以上を求めるのならば、自作自演をして、
つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。
しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えない、という気持ちである。
だから、私は久しくPacific231に対しても反感すら持っていた。
Arthur Honegger (1892-1955)自身はこの作品について、
彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、
むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた。
page 69 『前奏曲集 (あるアマチュアの覚書) 作品1の1』より

つまり、クラシックというのは、
昔、ヨーロッパのお金持ちの貴族や王族が
お抱え“音楽士”に作らせた曲だったわけですよね。
当然の事ですが、その“音楽士”は注文してくれた紳士の好みに合った曲を作るはずです。
要するに大衆向けの曲を作るのではなく、
その注文主の好みに合った、趣味に合った、感性に合った曲を作る。
まさに、order-madeだったわけでしょうね。
だから、ある人のorder-madeの服を僕が身につけた場合、
袖が長すぎたり、襟首が窮屈だったりしますよね。
僕は、このことを考えた時に、どうしてクラシックが
僕のオツムの中に感覚的にすっきりと入ってこなかったのかが理解できたよう気がしました。
要するに、クラシックとはヨーロッパの貴族の感覚と好みに合わせて作った服のようなものです。
そんな服を僕が着たとて身尺に合わないことなど分かりきっていますよね。
まずダブダブだろうと思います。
江戸時代に和服だけしか来たことがない日本人が初めて洋服を身に着けるようなものですよ。
ところが、日本人の中には、いかにもクラシックが分かっているような気になって
“高尚な気分”に浸(ひた)っている“文化的田舎者”がたくさん居るように思います。
たとえば、ウィーン・フィルハーモ二ーが演奏するモーツァルトの曲の演奏会が
東京オペラシティコンサートホールであるとします。
2万円の特別席を予約した。
何のためか?
この特別席を予約した28才の山田太郎君は26才の花子さんに
自分の“文化的な面”を印象付けるために4万円を支払ったのです。
つまり、4万円のデートです。

太郎君はモーツアルトが分かっているわけでもない。
クラシックを聴くなんて1年に1度か2度です。
それも、たまたまテレビでやっていたベートンベンの第五を見るようなものです。
最後まで見ないで途中でサッカーの実況放送にチャンネルを切り替えてしまいました。
花子さんだって、モーツアルトが分かっているわけじゃない。
でも、モーツアルトの名前には、いかにも“文化的な香り”が漂っている。
演奏会に行くなんて花子さんには経験が無い!
しかも、モーツァルトの曲を世界でも有名なウィーン・フィルハーモ二ーが演奏する。
東京オペラシティコンサートホールへ行くなんてカッコイイ。
しかも、モーツァルトという名前が“高尚”である。
最高級のGUCCIの香水をつけるような、なんとも言えない文化的な香りが漂っている。
もちろん、それが太郎君の思惑(おもわく)なのです。
そうやって、太郎君が花子さんとのデートを演出したわけです。
つまり、たくさんの人が東京オペラシティコンサートホールへ高い入場料を払って聴きに行った。
しかし、そのうちの一体何人が本当にクラシックを理解して聴きに行ったのか?
たぶん、80%の入場者は太郎君のような“下心”を持って
相手を誘って出かけて行ったのではないでしょうか?
腹の中では、音楽なんかどうでも良いと思っているのですよね。
うへへへへ。。。
こういう考え方をするのは、僕がクラシックが分からないので、ひがんでいるのでしょうか?
それで、このような心の曲がったことを書いているのでしょうか?
あなたはどう思いますか?
ところで、演奏会で思い出しましたよ。
僕にも似たような思い出があるのです。
でも、状況はまったく違うものでした。
誘ったのは僕の方ではなく、女性から誘われたのです。うへへへへ。。。。
。。。と言っても、鼻の下を伸ばすような話ではないんですよ。残念ながら。。。
当時、ぼくは“ナショナルソフト”という
松下通信工業が100%出資していたソフトウェアの子会社で働いていました。
日本が経済大国に向かって伸びている時だったので、ソフトウェア業界は人手不足でした。
そのようなわけで、僕はその会社にストレートで引きぬかれて、
“無試験”で松下産業の正社員となり、
出向で松下通信工業に配属され、
そのまた出向でナショナルソフトに出向いて働いていたのです。
この“ナショナルソフト”は間もなく“パナファコム”に吸収合併されてなくなりますが。。。
僕を誘った女性は松島優子(仮名)さんでした。
僕よりも1年前に入社した早稲田大学の理工学部数学科を卒業した人でした。
どちらかと言えば目立たない地味な人でした。
“お友達と一緒に見に行くつもりが、急に行けなくなったのだけれど、一緒に行きませんか?”
当日そのように言われたんですよ。
もちろん、僕が“お目当て”で、そのような手の込んだことをする人か?と言えば、
決してそのようなレンゲさんタイプの女性ではないんですよ。
確か神奈川県民ホールだったと思います。
当時そのホールはできて間もなかったと思います。
海岸通りにありました。
今、ネットで調べたら次のように出ていました。

神奈川県民ホールは1975年に全国屈指の大型文化施設として、
県立音楽堂は1954年、日本初の本格的音楽専用ホールとして誕生。
以来国際レベルの音楽や舞台芸術など、多彩なプログラムを提供しております。
間違いなく、県民ホールです。
ただ、ハンガリー国立フィルハーモ二ーだったか?ウィーン・フィルハーモ二ーだったか?
とにかく有名な交響楽団で指揮者も有名な人だったですよ。カラヤンだったろうか?
調べてみたけれど、そこまでは分かりませんでした。
僕はクラシックにハマッテいたわけではありません。
でも6月13に日に書いた記事(『ん? クラシック興味ある?』)の中で述べたように、クラシックとまったく無縁であったわけでもありません。
有名なフィルハーモニーの演奏を聴きに行くと言うよりも、
優子さんに誘われたと言うことが僕には“衝撃的”なことだった。
仕事が終わる頃に誘われたのでした。
彼女の方が1年先輩のわけですし、それまで親しく話しをしたと言うわけでもない。
でも、優子さんにまったく関心が無かったか。。。?と言えば、やはり関心がありましたよね。
当時、同期に入社した女性が3人居ました。
東京学芸大学を出た良子(仮名)さん、
学習院を出た淳子(仮名)さん、
それに横浜国立大を出た小百合(仮名)さん。
この中で最も僕と気が合って、よく話をしたのは良子さんでした。
この3人は、どちらかと言えば、まだ子供っぽいところがあって、
僕もけっこう馬鹿やるほうですから、面白おかしく楽しくやっていましたよね。
でも、優子さんは1年先輩だと言うだけなのに、“お姉さん”という印象を与える人でした。
とっつきにくいと言うわけではない。
でも、ベラベラ話をすることもないし、
ゲラゲラ笑うことも無く、おっとりとして、地味で静かな人でした。
そういう人から誘われたわけですよね。やっぱり、意外というか。。。どうして。。。?
“ん? 僕とですか。。。?”
“ええ、他に用事でも。。。?”
“いや、別に。。。”

そういうわけで、その日残業もせずに優子さんと東横線の綱島駅から出かけたわけです。
でも、無料の残業食は松下通信工業のカフェテリアで食べてから出かけたように記憶しています。
。。。で、あまり話をしない人かと思っていたけれど、
話し始めれば、優子さんはいろいろと話題の豊富な人でした。
話をしていても、話題に事欠かなかったし、きまづい沈黙などまったくありませんでしたね。
でも不思議なことに音楽のことはほとんど話さなかったですね。
意識して話さなかったわけではなく、話題が音楽とは関わりの無い方向に行っていたと言うことです。
優子さんが常に“お姉さん”のように、おっとりと構えていたので僕も気楽に話をすることができました。
その時の曲目が何であったのか、まったく記憶にありません。
そういうわけですから、曲を聴いた感動もまったく無い!
きれいサッパリ音楽の思い出はまったく無いんですよね。
今、振り返ってみても、自分で馬鹿らしくなるほど、音楽の記憶がまったく無い!
自分でチケットを買って行くのなら、音楽を聴きに行くと言うつもりにもなったのでしょうが、
誘われて音楽を聴きに行く。
はっきり言って、当時僕にとってクラシックなんてどうでも良かったですからね。
なぜ、出かける気になったのか?
意外にも優子さんに誘われたと言うことと、この人ってどういう人なんだろうか?
それだけが動機だったと言っていいのです。
ただはっきりと記憶に残っているのは、演奏会が終わった後、
僕は夜食をとろうと言い出して彼女を誘ったのです。
それまで、僕は1円も出していませんでしたから、
お礼を兼ねて食事でも。。。というつもりでした。
当時、僕は松下通信工業の男子寮に居ました。
門限は12時ですが、僕の部屋は1階にありましたから12時を過ぎても問題は無いんですよ。
窓から入れますから。。。
彼女は自宅から通っていました。
つまり、両親の家から通っていました。
“もう、遅いから家に帰りますわ。また別の機会に。。。”
良家の子女の“たしなみ”。。。
そういう事が、ごく普通に守られていた時代だったんですよね。
もちろん、食事をしてから温泉マークに行くことなど僕は考えてもいませんでしたよ。
そういう考え方が全くオツムに思い浮かばなかったのか?
それは考えとしてそういうこともあるよなあああ~。。。とは思いましたよ。
しかし、考えることと、実際に行動を起こすこととは、全く次元の違う話です。