デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

かしこの母上様(PART 1)

2014-06-11 11:46:27 | 人生とは何か?

 

かしこの母上様(PART 1)

 

ああァ、桜井の別れ

 


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デンマンさん聞いてください。
文字通り奇跡、不思議な出来事です。
今日12月9日見舞いに行ってきました。
病室の交替もあり、部屋に入るとベットに芳江さん(デンマン注: 僕の母親)がいません。
血流が止まるくらいドキッとしました。

廊下に出て係りに尋ねたところ食堂に行っているとのこと。
気持ちでは走ってゆきました。
まあ、なんと車椅子で食卓に向き合っているではありませんか。
「芳江さんよかったね」と思わず手を握ったら力強く握り返してきました。
そのあと、よかったね、よかったねの連発。百遍も言ったでしょうか。
お互いに涙です。

不謹慎な言い方かも知れませんが芳江さんは死の淵より生還。
まさに奇跡です。
でも私だけが死の淵を考えたのでしょうか?
多分、デンマンさんだって一方ではその想いはあったのではと思います。
何しろ長男としての覚悟もあってか葬儀屋さんまで行かれたのですから。。。

芳江さんの真摯でこのあっぱれな負けず魂に敬意を表し、あとは欲張らず、このくらいの状態でいいから生への記録を大きく延ばして欲しいと心の底から思っています。
病院からの帰り際「デンマンさんに手紙を書くから」と言ったら「私は元気で飛び跳ねているからと書いて」と芳江さん。
車椅子の上で両手を高々に挙げて満面の笑みでした。


(banzai03.jpg)

繰り返しになりますがデンマンさんとの話の中、お互いに絶望を意識していたことを芳江さんにお詫びしましょう。
清司さんや正造さんには「お母さんはきっと良くなるから」といつも元気付けてきました。
芳江さんに対して私とデンマンさんの立ち位置が違うにせよ、デンマンさんにきついことを言ったとしたら、その点申し訳なかったなあとお詫びします。

夜7時まで病室にいました。
帰宅してあの元気な芳江さんの回復振りが私の脳を刺激しっぱなしです。

 

九条多佳子




『虹のかなたの奇跡』より
(2012年12月20日)

 


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デンマンさん、お元気ですか?
一度は死にました私ですが
暖かく見守ってくれていた家族のおかげで、
そして親戚の方々の励ましによって
生かされています。

また春がめぐってきて、そして夏を迎えようとしています。
生きていることに感謝しないではいられません。

妹の多佳子さんには いろいろとお世話になっております。
デンマンさんからも 宜しくお伝えください。

2週間ほど 行田市にある介護施設「ハートフル行田」で過ごしてきました。
皆さん、気持ちの良い方ばかりで 楽しく過ごさせていただきました。

時には演芸大会ではありませんが
皆で、順番に歌を唄ったりいたします。
私は唄うのは上手ではありませんが、
皆さんが順番に唄うので唄わないわけにはゆきません。

たまたま 思いつくままに「桜井の別れ」を唄いました。
子供の頃の歌というのは、いつまでも覚えているものです。
小さな頃は 意味も良く解らずに唄っていたものですが、
年をとるにしたがって、涙なくしては唄えなくなります。

デンマンさんは知らないと思いますが
次の歌を私が小さな頃はみんなが唄っていたものです。


桜井の別れ


(wakare02.jpg)

青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下蔭に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か

正成涙をを打ち払い
我子正行呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方の浦にて 討死せん
汝はここ迄来つれども
とくとく帰れ故郷へ

父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん 帰られん
此正行は年こそは
未だ若けれ諸共に
御供仕えん死出の旅

汝をここより帰さんは
わが私の為にならず
己が闘死為さんには
世は尊氏の侭ならん
早く生い立ち大君に
仕えまつれよ国の為め

此一刀は往し年
君の賜いし物なるぞ
此世の別れの形見にと
汝にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ
老いたる母の待ちまさん

共に見送り見反りて
別れを惜しむ折からに
復も降り来る五月雨の
誰かと哀と聞かざらん
あわれ血に泣く其声を


この歌のように 昔の人は 命を惜しまなかったのですね。
時代が違うと言えばそれまでですけれど。。。

でも、時代が違うと言えども、命が大切だったことに変わりはないと思います。

正成の息子を思う気持ち。。。
そして妻を思う気持ち。。。

“行けよ正行故郷へ

老いたる母の待ちまさん”


この別れの場面を想うと泣けてきます。

デンマンさんも 命の大切さを改めて考えて、自分のためには もちろん、
カナダのお国のために、
そしてカナダ人のためにも 悔いのないように 毎日を送ってください。

そして デンマンさんの ブログを読んでいる 日本語が解る方々のためにも
生きているということは本当に素晴らしい事だと
お伝えください。

 

かしこ。。。

母より

平成26年5月30日


 



2014年6月10日 (火曜日)


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母上様、お元気ですか?
関東地方は暑い日が続いているようですね。
でも、もう梅雨に入っているでしょうか?
ジメジメ、ムシムシした天気にもめげずに元気で楽しく過ごしてくださいね。


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バンクーバーは とても過ごしやすく清々しい朝を迎えるようになりました。
今朝は、いつになく涼しくて気温が12度ですよ。
昨日は すばらしく晴れ渡っていましたが、今朝はどんよりとした曇り空です。

5月29日には電話をありがとうございました。
久しぶりに母上様の元気なお声が聞けて安心いたしました。
5月30日の消印の手紙は 6月6日に受け取りました。
母上様が予測したとおり 6月6日に手にいたしました。

“桜井の別れ”の歌が書いてありました。
実は、初めて読む歌です。
全く知りませんでした。
『ウィキペディア』という無料百科辞典がコンピューターを使うと利用できるのです。
さっそく調べてみましたよ。

“桜井の別れ”は、西国街道の桜井の駅で楠木正成・正行父子が訣別する逸話なのですね。
桜井の駅で別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなりました。
「桜井の駅の別れ」、「桜井の訣別」とも言う。
なるほど。。。

古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた逸話で、いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話だった、と書いてあります。
なるほど。。。
戦前の教育を受けた母上様だから知っていたのでしょうね。

日本の唱歌の一つですか?
残念ながら小生は聞いたこともありません。

作詞:落合直文 作曲:奥山朝恭


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桜井の駅まで進軍して来た正成は意を決し、息子・正行を呼び、「兵庫へは討死覚悟で出陣するが、汝は故郷へ帰るように」と告げる。
正行は「いかに父上の命とは言えど、年若くとも死出の旅の供をしたい」と願い出る。
正成は「私の死後は足利尊氏の天下となろう、その日に備え成長し、国の為に天皇に仕えよ」と諭(さと)す。
さらに先年、天皇より賜った刀を差し出し、これを我が形見にせよと言い残し、「老いた母の元に帰れ」と正行に告げ、両者は泣く泣く別れ行く。
なお、史実では、正行の母(南江久子)は正成より年下であり、当時三十代であったと考えられるから、高齢ではない。

『太平記』によると、「桜井の別れ」のあらましは次の通りだそうです。

建武三年五月(1336年6月)、九州で劣勢を挽回して山陽道を怒濤の如く東上してきた足利尊氏の数十万の軍勢に対し、その20分の1ほどの軍勢しか持たない朝廷方は上を下への大騒ぎとなった。

新田義貞を総大将とする朝廷方は兵庫に陣を敷いていたが、正成は義貞の器量を疑い、今の状況で尊氏方の軍勢を迎撃することは困難なので、尊氏と和睦するか、またはいったん都を捨てて比叡山に上り、空になった都に足利軍を誘い込んだ後、これを兵糧攻めにするべきだと後醍醐帝に進言したが、いずれも聞き入れられなかった。

そこで正成は死を覚悟し、湊川の戦場に赴くことになった。

その途中、桜井の駅にさしかかった頃、正成は数え11歳の嫡子・正行を呼び寄せて「お前を故郷の河内へ帰す」と告げた。
「最期まで父上と共に」と懇願する正行に対し、正成は「お前を帰すのは、自分が討死にしたあとのことを考えてのことだ。
帝のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族朗党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し、形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げた。

数えで11歳ということは満で10歳ですよね。
今で言えば、正行は小学校3年生か4年生でしょう!?
とても戦場に出て戦える年齢ではないですよね。

正成が亡くなったのは1336年。
生まれたのは1294年。
つまり、満42歳で亡くなっているのです。

正行は数え年11歳ではなく、すでに20歳になっていたという話もあります。


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正行の母(南江久子)は、当時三十代であったそうですから、36歳とすれば 20歳の息子がいても昔ならば可笑しくないはずです。
室町時代ならば14歳で結婚して 15歳で子供を生んでも不思議ではない。
小生の考えでは、正行は少なくとも戦場に出る年になっていたろうと思います。
つまり、18歳か19歳にはなっていたろうと。。。

では、どうして数え年11歳にしたのか?
修身の教科書に載せて軍国教育、富国強兵政策のために小学生を教育するならば、同じ小学生の年頃に設定した方が教育の効果が上がると当時の文部省のお役人は考えたのでしょうね。
“天皇陛下に万歳して戦死するように教育する”には、20歳前後だった正行を 数え年11歳にした方が効果があると思ったのですよ。
その方が“お涙ちょうだいの物語”になります。

「老いた母の元に帰れ」と正行に告げ、両者は泣く泣く別れ行く。
しかし、この時の正行の母は30代だったのですから「老いた母」にしてしまうのは可哀想と言うものです。
でも、修身の教科書には「老いた母」と書かねばならなかったのでしょう。

母上様も、たぶん、この「老いた母」の気持ちになって“桜井の別れ”を聞いたのでしょうね。
この歌が有名だったということは、小生にも理解できます。
なぜならば、小生の同級生の野原自転車屋の息子の名前が“正行”なのですよ。

恐らく、野原君のお母さんは小学校の修身の時間や唱歌の時間に“桜井の別れ”を何度も何度も聞いて、子供が生まれたら息子に“正行”という名前をつけようと考えたのでしょう!?
それほど“桜井の別れ”を聞いて 野原君のお母さんは感動したのでしょうね。
でも、あの正行君は、面白い奴で 戦争がもし起きたとしても 絶対に戦争など行くような男ではありません。
逃げ回りますよう。 (笑)
たぶん、小生と一緒に外国に脱出します。 (爆笑) 間違いありません!


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母上様が小生の名前を“正行”ではなく“明”にしたのは正解でした。
小生は絶対に戦争になど行きません。
もし、1960年代、1970年代に日本とアメリカで戦争があったとしても、小生は“明”るい気持ちでカナダに脱出しましたから。。。
母を悲しませてはならないと信じます。。。 (微笑)

そういうわけで、母上様が元気で長寿に恵まれているのは かえすがえすも喜ばしいことです。
正成の妻のような不幸を舐めなかっただけでも 幸せというものです。

これからも母上様は、皆で仲良く楽しい毎日を送ってください。
一生は一度だけです。
悔いのない思いで来世に行けるよう、心置きなく笑って楽しんでください。
お互いに悔(く)いのない人生を送りましょう。

では、母上様も お元気で。。。

デンマン


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追伸:

現在、日本語が解る 102ヵ国のネット市民の皆さんが小生のブログを読んでいます。


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母上様の手紙を6月12日の記事に掲載します。

生きていることの素晴らしさがネット市民の皆様にも伝わることと思います。

では。。。


 (すぐ下のページへ続く)

 


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かしこの母上様(PART 2)

2014-06-11 11:45:42 | 人生とは何か?



かしこの母上様(PART 2)

 


【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

高齢化社会になっている日本でござ~♪~ますわ。

誰でも、ご家族の中に入院中の患者さんだとか、生きるか死ぬかの手術を待ている家族だとか。。。

あるいは、救急病院に担ぎ込まれた家族だとか。。。

そのような病人がいることは充分に考えられますよね。

あなたのご家族の中にも、そのような方がおりますでしょう?

あなたの身近な病人がデンマンさんのお母様のように奇跡的な回復をなさることを、あたくしも切に願っておりますわ。

ところで、デンマンさんの個人的な面白い記事は次のリンクをクリックして読んでみてくださいまし。

『日本女性の愛と美の原点』

『日本女性の愛と情念の原点』

『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』

『女の楽園とデンマン』

『テレサテンと叔母』

『母上様@行田』

『母上様@行田 (再度)』

『病院の悪い評判』

『どっちが親切?』

『アルチンボルドと伊藤若冲』

『小百合さんの香り』

『虹のかなたに』

『病院を批判する意味ある?』

『愚かな医者の卵』

『虹のかなたの奇跡』

『結婚できない医者の卵』

『院長の愚かなムスコ』

『医者の卵と評判』

『奇跡の回復』

『愛の奇跡』

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。

どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。

じゃあ、またねぇ。。。


(hand.gif)



(ski22.jpg)


(stars.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(snowboard.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


(snowhous2.jpg)

『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』


(snow05b.jpg)

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『天智天皇は暗殺された』
(2003年7月14日)

『アナクロニズム(2011年3月27日)』




(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)



(himiko92.jpg)
 
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。


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『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



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じょんば

2014-06-11 11:42:36 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

ん?じょんば?

 



おほほほほ。。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよゥ~

あなたにお会いしたくて

また出てきてしまったのよォ~。

ええっ?あたくしと、

そう度々会いたくないのォ~?

んも~~

そんな、冷たいことを

言わないで頂戴よ!

あたくしは、あなたに

お会いしたいので

ござ~♪~ますのよォ~

ええっ?そんなことよりも

じょんばって何か?早く説明しろ!

そう、おっしゃるのですかぁ~?

冷たいお方ぁ~~

分かりましたわ。うふふふふ。。。

そのために出て参りましたのですから

説明しますわよう。



実は“じょんば”って小樽方言なんでござ~♪~ますのよ。
あなた、聞いた事が無いでしょう?
もちろん、あたくしだって耳にした事が無いのでござ~♪~ますわぁ。

だから、分かり易く説明するために、
あなたにクイズを作りましたのよ。

次の中から使い方が最もふさわしいと思うものを選んでくださいましね。


1) じょんばに追いかけられちゃったわ。

2) このじょんば、軽くて使いやすいのよ。

3) じょんばすると、お巡りさんに捕まるわよ。

4) じょんば言って笑わせないでね。

5) じょんばしないで。。。恥ずかしいわぁ~。



(vienna9.jpg)

分かりましたか?

実は「じょんば」とは「雪かきに使うスコップ」という意味なんですのよ。
小樽以外でも、北海道の日本海側で使われるそうです。
じょんばも昔は重たいものが多かったそうですが、最近は軽いプラスチック製のものが多いと言うことでござ~♪~ますわ。


(digger1.gif)

そう言う訳で、このように楽々と雪かきができるようになったのですわ。
ええっ?雪が白くないって。。。?
スモッグで汚れているのですわよ。
おほほほほ。。。

あたくしは“じょんば”という語感というか、響きから“冗談”の事だと思って、4番を選んでしまいましたわ。
あなたは、どうでしたか?

ところで、この冬の小樽は、年末年始にほとんど雪の無い奇妙な日々だったそうですわね。
これも、暖冬異変の影響でしょうか?
でも、こういう時って、思わぬときに“どか雪”が降る事がありますわよね。
小樽地方の人、気をつけてくださいましね。

小樽と言えば、文学少女だったあたくしは小林多喜二を思い出すのでござ~♪~ますのよ。
あなたは、あの名作『蟹工船』を読みましたか?


小林 多喜二


(takiji2.gif)

1903年10月13日 - 1933年2月20日

日本のプロレタリア文学の代表的な作家・小説家。
秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)生まれ。

4歳の時に小樽に移住。
生活は豊かではなかったが、
伯父からの学資を受け小樽商業学校から小樽高等商業学校へ進学。
在学中から創作に親しみ、文芸誌への投稿や、校友会誌の編集委員となってみずからも作品を発表するなど、文学活動に積極的にとりくんだ。

小樽高商の下級生に伊藤整がおり、また同校教授であった大熊信行の教えを受ける。
この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。

卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に勤務。
この頃、悲惨な境遇にあった恋人田口タキを救う。
1928年の総選挙のときに、北海道1区から立候補した山本懸蔵の選挙運動を手伝い、羊蹄山のふもとの村に応援演説に行く。
この経験がのちの作品「東倶知安行」に生かされている。
同年に起きた三・一五事件を題材に「一九二八年三月十五日」を『戦旗』に発表。
作品中の特別高等警察による拷問の描写が特高の憤激を買う。
後年の拷問へとつながる。

翌1929年に「蟹工船」を『戦旗』に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集めたが、同時に警察からも要注意人物としてマークされ始める。
同年、『中央公論』に発表した「不在地主」が原因で銀行を解職され、翌年春に上京。
日本プロレタリア作家同盟書記長となる。

1930年5月23日、大阪で日本共産党へ財政援助の嫌疑で逮捕され、額に傷が残るほどの激しい拷問を受けたが、 6月7日、いったん釈放された。
しかし、24日に帰京後、作家の立野信之方でふたたび逮捕され、7月、「蟹工船」の件で不敬罪の追起訴をうける。
8月、治安維持法で起訴、豊多摩刑務所に収容された。

1931年1月22日、保釈出獄。そのあと神奈川県七沢温泉にこもり、英気を養う。
1931年10月、非合法の日本共産党に入党し、11月上旬、奈良の志賀直哉邸を訪ねる。
1932年春の文化分野への大弾圧を機会に、地下活動に追いやられる。
8月下旬、みずからの地下生活の体験を元に「党生活者」を執筆。

1933年2月20日、内通者により赤坂の連絡場所で特高に逮捕される。
同日築地署内において凄惨な拷問を受け皮膚呼吸が不可能となるまでに全身が殴打されて腫れ上がり、獄中死した。
この拷問では縄で縛り上げて宙にぶら下げる「飛行機モノ」もされている。
中央公論編集部は、多喜二から預かったまま掲載をためらっていた「党生活者」の原稿を「転換時代」という仮題で『中央公論』(1933年4-5月号)に、遺作として発表した。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ひどいことをして、有能な人物を殺してしまったものでござ~♪~ますわね。
このことだけを考えてみても、太平洋戦争に突き進んでいた1930年代と言うのは
自由のない悲惨な時代でござ~♪~ましたわよね。


(hata5.gif)

あの“特高”という化け物は、泣く子も黙ると言われたほどのすさまじい事をしたのでござ~♪~ますわ。
あたくしは女性の身なので、その当時、共産党の活動家とみなされて拷問を受けた女性の事を調べた事があったのですけれど、
たいていの女性が、拷問を受けて精神に異常をきたして廃人のようになって余生をすごしたと言う事例を何例も見ました。
あのような時代が再び来ないことを祈りたいものでござ~♪~ますわ。
あなただって、そう思うでござ~♪~ますでしょう?

蟹工船(かにこうせん)は、1929年に小林多喜二が発表した小説ですわ。
もちろんあなたは読んだ事が無いわよね?うふふふふ。。。
あたくしですか?
読みましたわよ。
読まずに、このような事を書く気になりませんわよ。

ワリィ~事ぁ~言わないから、あなたも一生に一度ぐらい『蟹工船』をじっくり読んでみてくださいましね。
いわゆるプロレタリア文学の代表的佳作と言われているのですわよ。
国際的にも評価されて各国語に翻訳されていますわ。

分かるでしょう?
あなたも、自分が国際人だと思っていたら、これは must-read book でござ~♪~ますわよ。

ええっ? どんな内容なのかって。。。?

この小説には特定の主人公が居ないのですわよ。
蟹工船で酷使される貧しい労働者達が群像として描かれているのですわ。
カムチャツカの沖で蟹を獲りそれを缶詰にまで加工する蟹工船「博光丸」が舞台ですのよ。
そこは、出稼ぎ労働者を安い賃金で酷使し、高価な蟹の缶詰を生産する海上の閉鎖空間です。
彼らは自分達の労働の結果、高価な製品を生み出しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である大会社の資本家達に不当に搾取される、というお話ですわ。
情け知らずの監督者・浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らを酷使するのですわよ。
そう言う訳で、労働者たちは過労や病気で倒れてゆくのでござ~♪~ますわ。

初めのうちは仕方がないとあきらめる者もあったのです。
でも、やがて労働者たちは、人間的な待遇を求めて指導者のもとに団結して、ストライキに踏み切るのでござ~♪~ますわ。
しかし、経営者側の浅川たちがこの事態を容認するはずもなく、帝国海軍が介入して指導者達は検挙されるのです。
国民を守ってくれるものと信じていた軍が資本家の側についた事で目覚めた労働者たちは再び闘争に立ち上がってゆくのですわよ。

このような事を書いたものですから、小林多喜二は“特高”に目の敵にされたのですわ。
それで、過酷な拷問を受けて獄死したのでござ~♪~ますのよ。
お分かりになりましたでしょうか?


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狂ったような時代でしたわよね。
あなただって、そう思うでしょう?
でも、現在の日本だって、50歩100歩のようなところがございますわよね。
おほほほほ。。。
でも、拷問死がないだけマシですわ。

それだけはあたくしも認めておりますわ。

このような悲惨でいやな事は、あたくしもあまり書きたくないのですわよ。
でもね、小樽方言を書いていたら、ついつい小林多喜二のことを思い出してしまいましたわ。

ところで、あたくしも、なんだか古(いにしえ)の平安言葉が懐かしくなりましたわぁ~~

あなたも、久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?

日本で旅をするのは高くつくんですのよねぇ~。
旅館やホテル代が高いのござ~♪~ますわ。
もちろん、デンマンさんが、そうおっしゃっていたのですのよ。

でもね、日本にだって、安いところもあるのですわよ。
あなたにも、おせ~♪~てあげるわね。
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(himiko92.jpg)

おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ~♪~ますけれど。。。

あたくしも平安の昔に戻って

懐かしい京都に行ってみたいので

ござ~♪~ますのよ。

京都の訛りが懐かしいわあああ~~

でもね、デンマンさんが生まれ育った

行田にも行きたいのですわよ。

ええっ?どうしてかって?

それはね、デンマンさんは

もちろんですけれど、

あたくしにとって行田とは

切っても切れない縁が

あるのでござ~♪~ますのよ。

どうしてだか、お分かりになりますか?

行田は古代ハスの

ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。


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きれいでしょう?

あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。

ええっ?そんな事はどうでもいいから、

何か面白い話をしろ!

あなたは、そのような事をあたくしに

強要するのでござ~♪~ますか?

まるで“特高”のようでござ~♪~ますわねぇ。

分かりましたわぁ~。

では、あなたのために、メチャ面白いサイトを

ご紹介しますわ。次のリンクをクリックしてね。

■ 『寒さを笑って吹き飛ばしませんか?』

そう?面白そうでしょう?

あなたも、寒い寒いと、ぼやいてないで、

せいぜい笑って寒さを吹き飛ばしてね。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

ああああ~~~

初恋の人と会いたいわあああ~~!



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