愛なき批判は空虚にして、
批判なき愛は盲目なり (PART 2)
執筆者たちのほとんどは、表面にはおくびにも出さないけれど、内心、不比等の指示に逆らって、真実をどこかに書き残そうと常に思いをめぐらしていたはずです。
しかし、不比等の目は節穴ではありません。
当然のことながら、このような個所に出くわせば気が付きます。
不比等は執筆者を呼びつけたでしょう。
「きみ、ここに古人大兄皇子の言葉として『韓人、鞍作臣を殺しつ。吾が心痛し』とあるが、この韓人とは一体誰のことかね?」
「はっ、それなら佐伯連子麻呂のことですが」
「彼は韓からやって来たのかね?」
「イエ、彼本人は韓からではなく、大和で生まれ育ちました。しかし、彼の母方の祖父が新羅からやってきたということです。何か不都合でも?」
「イヤ、そういうことなら別に異存はないが。しかし、君、古人大兄皇子は、実際、そんなことを言ったのかね?」
「ハイ、私が先年亡くなった大伴小麻呂の父親から聞きましたところ、はっきりとそう言っておりました。中国の史書を見ると分かるとおり、歴史書を残すことは大切なことだから、古人大兄皇子の言葉としてぜひとも書き残してくださいということで、たってのお願いでした。何か具合の悪いことでも?」
「イヤ、そういうことなら、そのままでいいだろう」
恐らくこんな会話が、編集長・藤原不比等としらばっくれた、しかし表面上はアホな顔つきをしていても、内心では反抗心の旺盛な執筆者との間で交わされたことでしょう。
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執筆者の中にも気骨のある人がいたでしょうから、不比等と張り合って上のような狸とイタチの化かし合いの光景が見られたことでしょうね。
この古人大兄皇子は上の聖徳太子の系譜で見るように、蘇我氏の血を引く皇子です。
蘇我入鹿とは従兄弟です。
また、中大兄皇子とは異母兄弟に当たります。
古人大兄皇子が次期天皇に目されていました。
しかし野望に燃える中大兄皇子のやり方を知っている皇子は、
身の危険を感じて乙巳の変の後、出家して吉野へ去ります。
しかし、中大兄皇子は、それでも安心しなかったようです。
古人大兄皇子は謀反を企てたとされ、645年9月に中大兄皇子の兵によって殺害されます。
これで、蘇我本宗家の血は完全に断たれることになったのです。
古人大兄皇子が実際に「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ)を殺しつ。吾が心痛し」と言ったかどうかは疑問です。
野望に燃える中大兄皇子の耳に入ることを考えれば、このような軽率なことを言うとは思えません。
しかし、『日本書紀』の執筆者は無実の罪で殺された古人大兄皇子の口を借りて、真実を書きとめたのでしょう。
「死人に口なし」です。
このようにして『日本書紀』を見てゆくと、執筆者たちの不比等に対する反抗の精神が読み取れます。
中大兄皇子と中臣鎌足にはずいぶんと敵が多かったようですが、父親のやり方を踏襲した不比等にも敵が多かったようです。
中大兄皇子が古人大兄皇子を抹殺した裏には、鎌足が参謀長として控えていました。
この藤原氏のやり方はその後も不比等は言うに及ばず、彼の子孫へと受け継がれてゆきます。
後世、長屋王が無実の罪を着せられて藤原氏によって自殺へ追い込まれますが、このやり方なども、古人大兄皇子が殺害された経緯と本当に良く似ています。
長屋王の変 729(天平元)年
「密かに左道(人を呪う呪法を行なうこと)を学んで国家を傾けようとしている」という密告があり、長屋王は謀反の疑いをかけられたのです。藤原武智麻呂らはただちに王の邸を囲みます。もうこれではどうしようもないと観念した王は妻子と共に自殺したのです。完全に濡れ衣を着せられたものでした。
藤原不比等の息子たちが光明子を聖武天皇の皇后にしたかったのですが、長屋王が邪魔だったのです。それで王を亡き者にしようとしたのが、この事件の真相です。
結果として、藤原四兄弟の政権が確立しました。一方、彼らが画策していた光明子を聖武天皇の皇后にすることにも成功したのです。皇后は、天皇なき後臨時で政務を見たり、女帝として即位することがあり皇族でなければならないというのが古来からの慣例だったのです。
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ここで僕は、生前、司馬遼太郎さんが言った事を思い出します。
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“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。
作者が50%で読者が50%。。。
そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”
名言だと思いますねぇ~~。
史書も、言ってみれば作品であることに変わりがありませんよね。
あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか?
それが問題ですよね!
藤原不比等の厳しい監視の目の下で執筆にあたった“不平不満の役人”たちは、全身全霊の力を込めて『古事記』と『日本書紀』の中に“真実”を書き込んだと思います。
だから、あなたも全身全霊の力を込めて。。。あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのかもねぇ~。
このような“不平不満の役人”たちは、それを期待しながら、1300年後に生まれるだろうあなたに、この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと両書を執筆したかも知れませんよ。へへへへ。。。。
では。。。
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ィ~ハァ~♪~!
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