ペルシャ人が飛鳥にやってきた
(himiko11.jpg)
卑弥子でーす。こんにちは。
今回は「卑弥呼」にあやかって
巫女さんの格好で出てまいりましたわ。
似合っているでござ~♪~ましょうか?
うふふふふ。。。
どうして巫女さんになって出てきたのかって。。。?
あたくしの背景になっている
神社のことをちょっとお話しようと思ったからです。
あたくしの両側にあるもの、これ何だかお分かりでしょうか?
そうです。「狛犬(こまいぬ)」だとか
「唐獅子(からじし)」だとか言われていますね。
日本の狛犬のルーツは平安時代、
天皇、皇后の御帖台の前に置かれた
獅子、狛犬ではないかと言われています。
獅子は口を開いていて、たてがみは巻き毛です。
狛犬は口を閉じていて、たてがみは直毛で角があります。
それが神社などの社殿の中や縁に厄除けとして
木製の獅子、狛犬が置かれるようになりました。
社殿中や縁から参道に出されて置かれるようになるのは
1600年代からと言われています。
このときに石造りになったようです。
この神社のように参道をはさんで対になって
配置されているものが多いのですが、
地域、時代によってその姿や形には、
かなりの変化があります。
でも、この「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」、
一体どこから来たのでしょう?
では、デンマンさんにバトンタッチいたします。
(foolw.gif)
うしししし。。。
こんにちは。デンマンです。
そう言う訳で今日は「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」のルーツをたどってゆきたいと思います。
狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)は
ペルシャからやって来た
(winglass.gif)
実はカットグラスが飛鳥時代に日本に伝えられています。
長い時間をかけて、シルクロードを伝わって日本にたどり着いたのですよ。
この事については次のページで詳しく説明していますので興味のある人はクリックして読んでみてくださいね。
■ 『飛鳥とシルクロード』
ペルシャから伝わったのは、何もカットグラスだけではありません。
実は狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)もペルシャから伝わったようです。
もちろん、これもシルクロードを西から東へと伝わってきたのです。
(silkrd7.jpg)
ペルシャから日本へ伝わるまでに、どのような変化を見せたのか、
次に示す写真で見てください。
(lion02b.jpg)
ペルセポリスの獅子
Lion stone carving at Persepolis
これがペルセポリスの宮殿に飾られていた獅子です。
獅子と言うよりもライオンですよね。
写実的です。
幼稚園児に見せてもライオンを見たことがあるならば、ライオンと答えるでしょう。
このペルセポリスと言う都市は、古代ペルシャの首都です。
(persepo2.jpg)
ペルセポリス遺跡
Persepolis Ruins
紀元前3000年頃よりイランの地にはエラム人が文明を築いていました。
2000年紀に入るとロシア南部で遊牧生活を送っていたアーリア人が南下を開始します。
彼らはエラム人を追放し、さらにはメソポタミアを統治支配していた最強のアッシリアを滅亡させて、メディア王国を築きます。
狭義のペルシア人たちは、そのメディア王国に従属しながらザグロス山脈の南にあるパールサの地に住んでいました。
紀元前550年ごろ、メディア王の臣下でペルシアを統治していたキュロス2世はメディア王家の内紛に乗じてこれに叛旗をひるがえします。
その結果、メディアとペルシアを併合してアケメネス朝ペルシアを建国しました。
キュロス2世(在位BC559~530)はパサルガダエを首都にしました。
しかし、第3代のダレイオス一世が紀元前522年ごろ即位すると、
パサルガダエから西南四十キロの荒涼とした丘陵地に新都建設を命じました。
建設事業はクセルクセス一世(在位BC486~465)、アルタクセルクセス二世(在位BC465~424)へと引き継がれ、完成までに結局60年かかったのです。
これがペルセポリスです。
このペルセポリスの宮殿に飾られていたのが上のライオン像でした。
(lion05.jpg)
トルファン(吐魯蕃)の獅子
これは清朝時代に作られたといわれています。
清の時代ですからだいぶ時代が下ります。
しかもトルファンで作られています。
上の地図で見て分かるとおり、
トルファンはペルシャと日本のちょうど中間地点に位置しています。
ライオンを見たことのある幼稚園児でも、これをすぐ見てライオンだと答える子は10人に3人ぐらいでしょうか?
多分、犬と答えるでしょうね。
怖い顔をした犬のように見えませんか?
明らかに作者はライオンを見たことが無いですよね。
(lion06.jpg)
北京・紫禁城の獅子
これはライオンと言うよりも“獅子”ですよね。
つまり、様式化されて現実のライオンではなくなってしまっています。
完全に中国様式に基づいて作成された“獅子”になっています。
(lion07.jpg)
慶州(キョンジュ)掛陵(クエヌン)の狛犬
掛陵は8世紀末の元聖王の御陵で、
新羅統一時代の陵墓制度が、
完備した時代の代表的な陵とされています。
中国の獅子を真似て作られているのが良く分かります。
しかも、ライオンよりも犬のようになっています。
名前も“狛犬(こまいぬ)”です。
作者はライオンを彫っているとは思っていなかったでしょう。
(lion08.jpg)
八坂神社の獅子
これが日本で製作された獅子です。
上の写真を見てすぐ分かることは、ペルセポリスのライオンがもっとも写実的で、製作者は明らかに、本物のライオンを見たことがあるということが分かります。
しかし、トルファンも含めて、それよりも以東のライオンは、全く想像上の生き物としか思われません。
作者は、明らかに、本物のライオンを見たことがないのです。
獅子が古代韓国に伝わる頃には、獅子は獰猛(どうもう)な犬というイメージで受け入れられたようです。
おそらく、ペルシャ人がライオンをまだ一度も見たことのない中国人や韓国人に説明する時、獰猛な犬のようだ、と言ったのでしょう。
それが日本へ伝わると狛犬(こまいぬ)、つまり「高麗(こま)犬」になったのです。
高麗とは日本書紀では高句麗のことです。
半島では663年に百済が滅び、668年に高句麗が滅んで新羅が朝鮮半島を統一します。
その新羅も918年に滅んで、高麗(こうらい)に取って代わられます。
この王朝が1392年まで続きます。
高麗の武将である李成桂が王位を譲り受けた形で、翌年に新しい王朝を立てます。
これが李氏朝鮮です。
1896年に大韓帝国になり、1910年、日本に併合され、1945年に独立します。
日本人の間では、ライオンは「唐獅子」と共に「狛犬」という言葉になって、語り継がれたわけです。
ペルシャから飛鳥へやって来た石工が獅子像をたくさん作ったはずです。
しかし、写実的なライオン像は日本人の目には、むしろ想像上の生き物に見えたことでしょう。
時代が下るに従って、写実的なライオン像よりも「伝統的な」唐獅子や狛犬の方が主流になってゆき、それが、現在私たちが目にする唐獅子や狛犬となって残っています。
写実的なライオン像は、人気がなくて、作り変えられたか、壊されたのでしょう。
亀石のように大きなものを作っていれば、壊されずに残っていたでしょうが、残念ながら巨大なものは作らなかったようです。
ペルシャの石工がやって来た
証拠でもあるの?
蘇我氏が飛鳥寺を建立するために、百済から招いた寺工、鑪盤(ろばん)博士、瓦博士、画工らはペルシア系の人々であったと言われています。
また、仏師の司馬達等(しばのたつと)親子はペルシャ人であったらしいのです。
ちなみに、司馬達等は鞍作止利(くらつくりのとり)のおじいさんです。
(himiko12.jpg)
天平八年(736年)、遣唐使に従ってきた李密翳(りみつえい)もペルシャ人でした。
天平勝宝六年(754年)、鑑真和上に随行して来日した安如宝もペルシア人であったと伝えられています。
このように古代日本には、ペルシア人は案外多く来訪して、その文化を伝えていたようです。
「日本書紀」には、トカラ人饗応の記述がみられます。
トカラについては、ペルシア、またタイ、ビルマ、メコン川流域など、いろいろな説があります。
まだ定説というものがありません。
斉明紀六年七月条に「覩貨羅人乾豆波斯達阿(とくわらのひとげんづはしだちあ)」とあって、「乾豆波斯達阿」という名前らしい表記があります。
「日本古典文学大系本」の頭注にしたがうと、固有名詞かどうかは疑問として、乾豆は賢豆などと同じくインド、波斯はペルシャをさし、達阿はインドの人名の語尾らしいとあります。
この表記からおおよそ推定するならば、日本よりはるか西方の南アジアの一地域かと思われます。
しかし、断定できる資料がありません。
もっともオーソドックスな解釈では西域の吐火羅(とから 覩貨邏)、つまり中央アジアのトハラ(現在のブハラ、Bukhara)であるとされています。
(worldmp3.gif)
トハラ族(Tokhara、覩貨邏)は、古代中央アジアの遊牧民で「トカラ」族とも言われます。
サカ(インド=スキタイ)系と言われ、バクトリアへ移動後、大月氏に征服され、クシャーナ朝の中核となりました。
なお、現在のアフガニスタンの北部にある彼らが住んでいた土地は現在「トハラ」または「トゥハーリスターン」と呼ばれています。
その中心は古代にはバクトラ(現バルフ)、中世はクンドゥズに置かれ、東西交通の要地としてバクトリア王国、大月氏国、クシャーナ朝などの政治・文化の中心でした。
シルクロードの彼方から文物のみか、ペルシア人も渡来したという事については根強い支持があります。
しかし、日本書紀に従うと、ペルシア人だけが船に乗って漂着したり、男だけが本国に一時帰るというのは、ちょっと不自然です。
さらに書紀には『百済』と『都貨羅(トカラ)』の皇子を人質にしたとあります。
この場合、都貨羅を中央アジアのトハラと考えるには無理があります。
結論を先に言えば、僕は「トカラ」が二つの地名をさしていると思います。
一つは中央アジアのトハラ、もう一つは耽羅(トムラ又はタムラ)、つまり継体紀に一度名前の出てくる済州島です。
地理的位置と、百済との服従関係を考慮すると、初期の記述も十分に理解することができます。
従って、飛鳥にはペルシャからも済州島からも石工がやって来ていたと思います。
ただし、個々の石造物を見てゆくと、ペルシャの作風が見て取れるものがあり、ペルシャ人の石工の存在を無視することができません。
では、さらにいくつかの石造物を見てゆきたい思います。
まずは、猿石をジックリと見てください。
■ 『猿石の謎』
実は、ここまでの事は僕が2003年8月2日に『新しい古代日本史』サイトで書いたことです。
オリジナルは次のリンクをクリックすると読めます。
■ 『ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た』
なぜ、また同じ記事をブログに書く気になったのか?
すぐ上のページのフォームメールを使って今年(2007年)の4月3日にコメントを書いてくれた人が居たのですよ。
これまで『新しい古代日本史』サイトの記事にコメントを書いてくれる人はほとんど居なかったのです。
なぜなら、そのフォームメールが英語版なのですよ。
だから、コメントを書いてはみたものの、
確認ボタンをクリックすると英語のページが表れるので、何かの間違いではないかと思って送信するのを止めてしまうのでは。。。?
僕は、コメントが少ないことを、そのような理由だと思っていたわけです。
どうして最近、『新しい古代日本史』サイトの記事を読んでコメントを書く人が多くなったのかと言えば、
本吉さんが書いてくれたコメントを僕が紹介したからだと思っています。
この本吉さんについては次の記事を読むと詳しく書いてあります。
■ 『日本人はどこからやってきたの? 2007-03-19』
■ 『ネットの愚民 2007-03-27』
次のコメントを書いてくれた北田さんも僕のブログの記事を読んで『ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た』のページにたどりついたのではと、僕は推測しています。
では、北田さんのコメントを紹介します。
Subj: Bravenet Form Processor
Date: 02/04/2007 10:45:50 PM Pacific Daylight Time
From: servicemail@bravenet.com
To: barclay1720@aol.com
MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE
This form was submitted: Apr 02 2007 / 22:45:24
userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-persiad-superb
Your_Name = 北田 ○○
Your_Email_Address = webmaster@○○○○.com
Comments:
もう知っているともいますが、徐福を調べたらおもしろいと思います。
徐福伝説
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm
徐福が海人族(あまぞく)になり、
泰氏になったのではと。
そしてユダヤ人(ペルシャ人?)だったのではと思います。
北田 ○○ Good luck! Q(⌒o⌒)Qchan
(byebye.gif)
僕はさっそく次のような返信を書きました。
Subj: 北田さんコメントありがとうございました。歴史馬鹿のデンマン(加藤)です。
Date: 03/04/2007 2:21:23 PM Pacific Daylight Time
From: barclay1720@aol.com
To: webmaster@○○○○.com
(kato3.gif)
北田さん
コメントありがとうございました。
『ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た』
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/persiad.html
上の僕の記事を読むまでもなく、
かつて松本清張さんもペルシャ人と飛鳥文化の関わりを書いていました。
調べれば調べるほど飛鳥文化には渡来人の跡がたくさん残っていますよ。
古代史のロマンを感じさせてくれます。
うん、うん、うん。。。
徐福のことは、ご指摘のとおり古代日本史とは切り離せない人だと10年ほど前から関心を持っていました。
『徐福伝説に隠された意味 (仮題)』と言う記事を書こうと思って10年以上ほったらかしのままです。
『新しい日本古代史目次』
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/list.html
すでにリンクまで作って上の目次の中に入れてありますよ。
この事にも関連して4月6日に記事に書きたいと思います。
また気が向いたら僕の記事を読みに来て下さい。
まずはお礼まで。。。
(*^_^*)キャハハハ。。。
歴史馬鹿のデンマン(加藤)でした。
じゃあね。
日本の古代史に関心のある人は、おそらく徐福の名前を知らない人は居ないと思います。
この徐福伝説は日本の各地に伝えられています。
なかでも、和歌山県の新宮には、大昔、徐福がその仲間とやって来て住み始めたという伝説が多くの人に知られています。
しかも、徐福にゆかりの“名所”、“名物”が新宮市にはたくさんあるんですよ。
まず、新宮駅の近くには徐福公園があります。
中国風の楼門がひときわ鮮やかな公園です。
園内には、徐福の墓や顕彰碑があり、
徐福の重臣たち7人を祭った七塚の碑などがあります。
(sail350.jpg)
徐福とは、中国の歴史書『史記』によれば、今から約2200年前、秦の始皇帝に方土(仙術者)として仕えた人です。
皇帝の命令で不老不死の霊薬を探しに、東方に浮かぶ蓬莱の島に向かって出航したのです。
熊野で不老長寿の木といわれる天台烏薬を見つけたのですが、気候温暖で風光明媚な土地柄を気に入り、熊野を永住の地としたと伝えられています。
土地を開拓し、農耕、漁法、紙すきなどの技術を伝えたといわれています。
毎年8月12日と13日には徐福を供養する万燈祭が行われ、花火や盆踊りで賑わいます。
実は僕が泊まったのも、駅の近くの“徐福ホテル”でした。
また、駅前にはサンマずしで有名な“新宮名物 徐福寿司”まである。
これだけじゃない!
「徐福茶」「徐福ロマン」など徐福に関連した商品が街にあふれている感じです。
とにかく、呆れるほどでした。
しかし、新宮だけじゃないんですよね。
九州の佐賀平野、筑紫平野にゆけば、やはり多くの徐福ゆかりの地があります。
調べると、徐福ゆかりの地は、九州、四国、中国、近畿、中部地方というように
西日本を網羅するように広がっています。
これだけ伝説が各地に散らばっていると、
やはり、徐福について書かねばならないなあああ~
また書きたいなあああ~
そう思いながら10年が過ぎてしまいました。
そのうち書こうと思っています。
では。。。
初出: 2007年4月6日
(surfin2.gif)
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
ためになる記事
■ 『デンマンのブログを削除した管理人に対する公開抗議文とその面白い顛末』
■ 『あなたが思う存分楽しめるデンマンのポータルサイト ビーバーランド XOOPS 3世』
(nurse3.jpg)
このオニイちゃんは、どうして喜んでいるのでしょうか?
もちろん、きれいな看護婦さんが来てくれたからですよね。
この絵を見て、いろいろと面白いことを書いた人たちが居ます。
あなたはどんな事を言いたいですか?
他の人が書いたコメントを読みたいと思いませんか?
次のリンクをクリックしてくださいね。
■ 『こういうのって、どう?面白いでしょう?何か一言いってよ』
■ 『日本は軍国主義への道を歩んでいるのでしょうか?』
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■ 『日本のネットではありませんよ! 世界のネットです!』
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■ 『日本 ☆ 日本人 ☆ 日本社会 ☆ 比較文化論』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
(himiko92.jpg)
おほほほほほ。。。。
また、出てまいりましたわぁ。
ネットには、面白い人がたくさん
居ますわよねぇ~。
パンツにコカイン君は相変わらず
愚かなコメントを書いていますわ。
えっけん君や太田将宏老人は
ムカついたまま返信を書いてしまいます。
みっともないコメントになるだけでござ~♪~ますわア。
本人は、なかなか自分の愚かな事に気づかないんですよね。
でもね、少しは可愛げがありますわ。
でも、可愛げが全くないのが
DEMPA55という人物です。
(cockroach3.gif)
ネットのゴキブリのような人物です。
誰からも嫌われ相手にされていません。
あなたも、DEMPA55に
気をつけてくださいましね。
2ちゃんねるを覗くと、
確かに、DEMPA55のような
ゴキブリがウヨウヨしていますわよね。
ほ~♪~んとにヤラしいところで
ござ~♪~ますわぁ~。
んも~~
どうか、あのようなヤラしいところには
近づかないでくださいましね。
2ちゃんねるに行くのだったら、
あたくしがモデレーターをやっている
『ビーバーランド XOOPS 3世』を見てくださいね。
オツムの体操になるフォーラムが
たくさんありますわよ。
おほほほほほ。。。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
(lion03.jpg)
(drinker2.gif)
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