愛@文明開化(PART 1 OF 3)

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デンマンさん。。。 あんさんは どないなわけで “愛と文明開化”を持ち出してきやはったん?

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あきまへんかァ~?
かまへんけど、その理由を聞いてますねん。。。
あのなァ~、夕べ本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのやがなァ~。。。
出家とその弟子

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第一幕 日野左衛門の屋敷
家の外は吹雪が続いている。
托鉢行脚(たくはつあんぎゃ)中の親鸞と弟子の慈円と良寛が、左衛門の家に一夜の宿を請(こ)う。
しかし、左衛門は「あいにく私は坊さんが嫌いでしてな」と、かたくなに拒むばかりである。
仕方なく親鸞と弟子たちは戸外で石を枕に眠る。
家の中では、左衛門が夢にうなされている。
(妻の)お兼(かね)が揺り動かすと、恐ろしい不気味な夢を見たという。
酔いも醒め、ひどいことをしたと恥じた左衛門は、親鸞一行を家に招き入れる。
左衛門: どうぞ、上がってください。 昨夜は心の中に不思議な力があって、私にそのような所業をさせてしまいました。 お許しください。
親鸞: それを業(ごう)の催しというのです。 人間が罪を犯すのは皆その力に強いられているのです。 あなたはむしろ純な人です。 でも外に出されたとき、私の心は怒りと肉体的な苦痛で圧倒されそうでした。
左衛門: あなたのお話はこれまでの坊さんと違います。 あなたは自分を悪人のようにお話しされます。 ご出家、教えてください。 極楽と地獄は本当にあるのでしょうか。
親鸞: 私はあると信じています。 私は他の運命を傷つけたとき、私を鞭打ってくださいと叫びたい気がするのです。 これは私の魂の実感です。 地獄はなければならないと思いますが、同時にそこから逃れる道がなくてはならぬと思うのです。 その道は愛です。 許しです。 仏様は私たちを悪いままで助けてくださいます。 罪を許してくださいます。
左衛門: 今夜はうれしいです。 何年か私の心を去っていた平和が帰ってきたような気がします。
お兼ね: ほんとうにそうですわ。……ところで、あなたにはお子様がおありですか。
親鸞: はい、京に残してあります。 (左衛門の息子・松若に) おいくつにおなりかな。
若松: 十一。
親鸞: よいお子じゃの。 大きく偉くおなりなさいよ。 私は皆様をけっして忘れません。
第二幕 西の洞院御坊

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15年後、左衛門の息子・松若は唯円(ゆいえん)と名を改め、親鸞の弟子になっている。
秋の法然上人御法会も盛況に終わったあと、唯円が柱に身を寄せ、ぼんやりと下の道路を見ている。
親鸞: 唯円、そんなところでなにをしている。
唯円: ぼんやり街を通る人を見ていました。
親鸞: ここから世のさまざまな相が見られるな。 私は昔から通行人を見ていると淋しい気がしてな。
唯円: 私もさっきからそのような気がしていました。 今日もひとりでに涙が出てきました。
親鸞: 淋しいのがほんとうだよ。 淋しいときは淋しがるがいい。 運命がおまえを育てているのだよ。 ただ何事も一筋の心で、まじめにやれ。 ひねくれたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。 運命にまっすぐに向かえ。 知恵は運命だけが磨きだすのだ。
(両人しばらく沈黙。 本道より読経の声が聞こえてくる)
唯円: お師匠様、あの……恋とはどのようなものでございましょうか。
親鸞: 苦しいものだよ。
唯円: 恋は罪の一つでございましょうか。
親鸞: この世で罪をつくらずに恋をすることはできないのだ。 しかし、だれも一生に一度は恋をするものだ。 人間の一生の旅の途中にある関所のようなものだよ。 まじめにこの関所にぶつかれば、人間は運命を知る。 愛を知る。 すべての知恵の芽が一時に目ざめる。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
倉田百三・作 『出家とその弟子』より

これは倉田百三が書いた作品ですやん。。。

おおォ~。。。 さすが めれちゃんやなァ~。。。 倉田百三が病魔と闘いながらも、26歳のときに書いた戯曲やねん。。。 たちまちベストセラーとなり、当時の親鸞ブームを巻き起こし、大正宗教文学流行の機縁をつくったのやがなァ。
どないなわけで、この作品を読みはったん?
あのなァ~、この作品は翻訳されて海外でも読まれたのやでぇ~。。。 例えば、英訳を読んだロマン・ロランは「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つである」と言ったくらいに、海外でも評判が高まった。
それで、あんさんも読む気になりはったん?
そういうわけやがなァ~。。。 この作品は、親鸞の弟子である唯円が書いた「歎異抄」を元にして倉田百三が書いたわけやァ~。。。
それで、この作品が“愛と文明開化”と関係あると、あんさんは言わはるのォ~?
そうやァ。。。 倉田百三は“まじめにこの関所にぶつかれば、人間は運命を知る。 愛を知る。”と書いている。。。 明らかに文明開化の影響を受けている。
どないなわけで、倉田百三が文明開化の影響を受けていると、言わはるのォ~?
簡単なことやがなァ~。。。 あのなァ~、フランスの歴史家シャルル・セニョボスは「恋愛、それは12世紀の発明である」と言ったのやでぇ~。。。
ホンマかいなァ~?
つまり、“恋愛”は人類普遍の感情ではあらへん。。。 12世紀という時代の西ヨーロッパという地域の封建社会における騎士階級の人々の間で生れた観念なのやでぇ~。。。
信じられへん。。。
あのなァ~、「恋愛」は西ヨーロッパ文化という一つのローカルな文化の産物を文明開化の時に日本が輸入したわけやァ。。。 要するに、日本や中国など東洋にはなかった観念というわけやなァ~。。。
信じられへん。。。
日本では「恋愛」ではのうてぇ、「惚れ合う」ということやんかァ~。。。 明治維新を迎えて、西洋から「love」の観念が入ってきた時、この舶来の観念を どう翻訳したらええのか? 知識人は迷うてしもうたァ~。。。
そいで、どうしやはったん?
「恋」「愛」「情」「色」らの言葉が思い浮かんできたのやけれど、どれにしたら ええのんかァ~?。。。 とりあえず“love = 愛”ということにしたのやがなァ~。。。 ところが、love と 日本語の“愛”は同じではあらへん。。。
ホンマかいなァ~。。。?
実は、わてには、この事を実感した経験があるねん。。。 ちょっと次の小文を読んで欲しい。
愛の世界

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僕がエドモントンに居た頃に付き合っていたシングルマザーのことを書きますけれどね、この女性はエミリーさん(仮名)といって3人の子持ちでした。長男が5つぐらいでしたよ。

そのエミリーさんは30歳ぐらいの女性ですか?
そうです。
きれいな方だと言いたいのでしょう?
いや、ブスだとか美人だとかは、この場合関係ないんですよ。
でも、デンマンさんが付き合っていた方ですから気になりますわァ。

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こんな感じの人でしたよ。

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きれいな方ですわ。デンマンさんがお付き合いする人って、どうしてこのようにォきれいな方ばかりなんですの?
これは実物の写真ではありませんよ。 プライバシーを守らなければなりませんからねぇ。
(中略)
。。。それで、そのエミリーさんはどんな躾(しつけ)をしていたのですか?
それが驚いたのなんのって。。。
だから、どのような。。。
そう、せかせないでくださいよ。今から言いますからねぇ。その5歳のマイケル君が食事のあとに皿洗いをするんですよ。5歳ですよ。日本では考えられない事でしょう?僕は危ないのじゃないか?と思いましたよ。ナイフなんかがシンクの中に混ざっていますからね。
しかし、5歳の坊やでは流し台にとどかないでしょう?
そうなんですよ。欧米の台所の流しはかなり高いですからね。そのままではとてもマイケル君には皿洗いができないんですよ。
それでどのようにして?
ビール瓶が1ダース入ったプラスチック製のケースがスーパーマーケットなんかにあるでしょう?あれが台所の隅に置いてあってね、それをマイケル君が流しの所に引きずって行き、ケースをひっくり返してその上に乗るんですよ。
そんなことまでして5歳のマイケル君に皿洗いをさせるのですか?ちょっと可哀想ですわ。
そうなんですよ。見かねて“危ないから僕がやりましょう”と申し出たのだけれどね、“それは躾のひとつだからマイケルにやらせているの”と言って僕の申し出を断固として拒絶しましたよ。
エミリーさんの家が特別なのではありませんか?
いや、そういうわけじゃないんですよ。欧米で僕は他の家でも同様な躾を何度か見ています。僕自身の小さい頃や、その当時友達の家に遊びに行った時などに目にした家庭の様子などを振り返ってみて、日本人の家庭では子供が甘やかされていると、僕はしみじみと感じましたよ。
しかし、躾と家庭崩壊とどのような関係があると言うのですか?
つまり、躾を通して社会的な規則や家族の絆を学んでゆくという姿勢ができてゆくと思いますね。マイケル君のような5歳の男の子に日本で皿洗いをさせたら、児童虐待と言われかねないかもしれません。でもね、もし、上の7人を殺害したカップルが幼い頃しっかりした家庭教育を受けていたら、社会的常識や規則、家族の絆を身に着けていたでしょう。だから、あのような無残な殺人をやってのけるような事にはならなかったと僕には思えるんですよ。
そうでしょうか?
じゃあ、もう一つエピソードを。。。僕はエミリーさんと子供たちと一緒に近くのショッピングセンターへ買い物に付きあった事があるんですよ。その時マイケル君がおもちゃの棚のところでプラモデルの飛行機が欲しいと言って駄々をこねたんです。エミリーさんは“前にも同じようなプラモデルを買ったじゃないの?あのプラモデルを途中で投げ出してしまったでしょう?だからこれは駄目よ!まだ、あのプラモデルがあるのだから、これは元の所に返してきなさい” このように言ってエミリーさんは断固として譲らなかったんですよ。
それで。。。?
マイケル君は泣きだしてしまいましたよ。“泣く子と地頭には勝てぬ”という諺が日本にはありますが、エミリーさんは断固としてマイケル君の言う事を無視し続けました。日本人の母親なら、子供が泣いてまで欲しがるのだから、おもちゃを買い与えてしまうかも知れませんよね。しかもショッピングセンターで子供が泣き出して駄々をこねる様子は日本人なら“みっともない”と考えて、そう高くはないおもちゃを買い与えてしまうかも知れません。
それで、どうしたのですか?
エミリーさんは全く取り合わなかったですよ。僕は、マイケル君にかなり同情していました。皿洗いまでしていましたからね。ご褒美に、もう一つぐらいプラモデルを買い与えてもいいのじゃないか?僕は、そう思いましたよ。
デンマンさんはどうなさったのですか?
僕が買ってあげると言い出したところで、エミリーさんが拒絶するのが分かっていましたからね。僕は何も言いませんでしたよ。あとでマイケル君にエミリーさんには内緒で買ってあげるつもりでした。そのことよりも、このあとマイケル君がどのような態度を取るのか?そのことの方に興味がありましたね。
マイケル君はどうしたのですか?
マイケル君もお母さんの性格が全く分からないわけじゃない。ひとしきり泣いていたけれど、お母さんが買ってくれないと分かると、泣き止みましたよ。そうなると、お母さんの機嫌を損ねた事が気になるのですね。マイケル君が駄々をこねたのでエミリーさんは無視し続けましたからね。マイケル君はエミリーさんと少し離れながら、買い物のあとに付いて行きましたよ。エミリーさんも気にならないわけじゃない。時々マイケル君の様子を見ていました。レジに着く頃にはマイケル君は駄々をこねた事を少し反省したらしくて、エミリーさんの手をそっと取って、じっと見上げるんですよ。
エミリーさんは何と言ったのですか?
何も言いませんでした。でも、マイケル君が握った手を離さずに、見上げるマイケル君にちょっぴり笑みを浮かべました。“Mommy, I'm sorry.” マイケル君は小さな声でそう言いました。エミリーさんはそんなマイケル君を見て前よりもやさしい笑みを浮かべたものですよ。僕がハッと思ったのはその次にマイケル君が言った言葉です。“Mommy, I love you.” 日本では、絶対にこのような会話は聞く事ができないですよね。


いいお話ですわァ。“小説的人生”を送っているあたしにはうらやましい限りです。

僕はその時、“家庭の絆”を目にしたような気がしましたよ。躾は厳しいだけじゃない。“母親のぬくもり”も充分にマイケル君に伝わっていたんですよね。この厳しさと母親のぬくもりが現在の日本には欠けているのではないか?実の両親と妹夫婦とその子供たちを殺し、死体を切り刻み鍋で煮て、ミキサーにかけてジュースにして捨てる。この死体なき完全犯罪をしようとした43歳の女性は心が壊れているとしか考えられないですよ。実際にこの犯行を考えたのは内縁の夫だったけれど、その夫の言うままに従ったこの女性の心は、決して正常ではなかったでしょう。このようなことが起こらないためにも、日本人はもう一度“家庭の絆”という事を考えてみる必要があるのじゃないか?そうすれば、レンゲさん、あなたが育ったような崩壊した家庭も無くなるような気がするのですよ。ちょっと、言い過ぎましたか?
いいえ、あたしの耳には痛みが残りましたが、デンマンさんの言われた事は理解できますわ。
そうですか。そう言ってもらえると、ちょっと長めに書いた甲斐がありますよ。レンゲさんが、いづれお母さんと仲直りできる事を祈っています。
『輸入された愛』より
(2012年1月14日)
初出: 『不倫と家族の絆』
(2005年10月2日)
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