安倍なつみカジュアルディナーショー@大阪 昼公演に行った。
テーマは「無限大数マイナス2」
デスペア的感想。
1、神々しい安倍なつみ。
1曲目「ふるさと」。安倍なつみにあたるスポットライト。暗闇のなかに浮かび上がる。真顔で正面斜め上をじっと見つめるなっち。存在に圧倒される。コンサートやヘブンイベやFCイベでは感じたことないオーラを感じる。神々しいという修飾が大げさでなく適当。
はじめのなんフレーズかは、あまりの距離の近さ。両眼視力0.5のこの私の目でも。なっちの肉感というか、やわらかさが目でみてとれる。そんな距離。なっちの栗毛の髪の毛の枝毛というか、ちょっとピョンとなった髪の毛が、スポットライトの逆光で浮かび上がって見える。そんな距離。マイクをもつなっちの左手にボディクリームを塗っているせいか、キラキラ光って見える。そんな距離。
私の目の前に遮るものはなにもない。あたかも自分1人のためにうたってくれているかのような距離感。すさまじい距離。なっちの顔を凝視する。網膜色素変性症な私デスペア。景色どころか、なっちの胸元すら視界に入らない。視野が狭いため。そのためより一層。
私が意識できているのは安倍なつみの存在のみ。まわりのファンやバックバンド、なっちの後ろで輝くライトも目に入らない。そのため、本当に私1人のためだけに歌っているという錯覚に陥る。
なっちの足も見てやろうとするも、なっちの顔から目が離せない。引き込まれている私。圧倒的な存在感。
なっちの顔を凝視する私。なっちの左目すぐ下にラメ?光るなにかをつけている。左手にはよく光を反射する大きめな指輪。右手にはキラキラブレスレット。そのきらめきが私の目に気持ちいい。
なっちの存在感に圧倒されながらも、必死に歌に入り込もうとする私デスペア。 「ふるさと」を聞きながら、めったに考えない母親のことが頭をよぎる私。もう5年、実家には帰っていない私。あぁ迷惑かけてんだろうなぁ・・・と胸が締め付けられる。涙がでてくる。なっちのマイマーザーのフレーズで涙がでる。やっとふるさとを理解できたよ、なっち。
「空Life goes on」で泣くぞと決意の私。いきなり1曲目から涙がでる。曲の最後になっちの足を見る。意外というか、予想通りというか、ちょっと太い。おそらくは肌色の薄いストッキング。ちょっと光っている。なっちの腕の光具合とは異なる光具合。それもなっち。
2,なっちとふくらみと匂い。
おそらく3曲目の「空 Life goes on」。イントロが流れる。よしこの曲で泣くぞと私。でもそれどころじゃなくなった。歌詞を噛みしめて、なっちのあの謹慎期間中の歌えない伝えない悲しみを自分も感じて泣く。そんな余裕がなくなる。歌にひたっている場合じゃない。
なっちが一段高いステージから客席に舞い降りた。そう、なっちの客席まわり。
歌いながら歩きながら、客席のファン1人1人とアイコンタクト。たまらない。ただ私と目があったのはたったの一瞬。ほんの一瞬。すぐに私の同じテーブルの人に目線が映る。なっちの目、そこでとどまった。(ように見えた。隣の芝生シンドロームかな。まぁなっちの目線を追えるということだけでも、すごい距離なわけである)。凝視する私。
そして私の真横。椅子に座っている私の目の前30cmをなっちがよこぎる。私の目線の高さとなっちの胸の位置がどんぴしゃり。最近の女性。ブラジャーで胸を整える。ありのままの形でなく、きれいな胸の形にするため。本来ならワキに寄った胸をセンターに持ってきて、ブラジャーにおさめる。そうするとのっぺりした胸でなくて、ツンとした綺麗な形の胸になる。
なっちの胸も今時の女性の胸。真横から高さドンぴしゃで胸を見る。ワキから胸にかけて、衣装のドレスにシワが見える。胸をセンターに寄せているため。それでも、なっちの胸、その締め付けにまさって、横にもふくらむ。なっちのふくらみ。私に向かってのふらくみ。正面からでは、さほどわからないなっちのふくらみ。はっきり分かる。2階席では絶対に味わえない。
それは数秒の出来事。なっちはゆっくり私たちのテーブルから離れる。後ろの席、そしてガラス板で仕切られた2階席へと目線を1人1人に配る。あたかも聖体拝領の儀式のよう。まるで神秘。(ただ、なっちの後ろ姿ごしに見える。観客たち。ここでは愛情をこめてヲタと呼ぶ。そのヲタたち。顔を上に少しあげてなっちを見上げる。なんと間抜けな表情。間抜けというか気持ち悪いというか・・・あなたたち魂抜かれてますから・・・・・・残念。って私もその1人なんだけどね・・・)
一通り魂を抜いた狩人なっちが、同じルートでステージにもどってくる。もちろんまた私の目の前30cmを通る。こんどは誰とも目を合わせずにゆっくりとだが、いそいで、いわゆる「Festina Lente」(by伊藤塾)。私の横を通り過ぎる。ここで決意する私。「匂いかいだる!」(byAVタイトル)。
なっちの通った瞬間。なっちの後ろ姿に向かって鼻から空気を吸う。鼻孔をとおるなっちの匂い。残念なのか、予想道理か、うれしいのか・・・・・・・・・・・無臭。(まぁなっちは香水はつけない、お風呂上がりにボディクリームとのことなので当たり前といえば当たり前)。
キンモクセイの匂いと土埃のにおいをかぐと運動会を思い出し。桜の季節のあたたかになりはじめた空気の匂いをかぐと入学式を思い出す。視覚から思い出すよりも、もっとリアルに思い出す。匂いの力。もし、なっちが香水をしていたら、おなじ匂いの香水を帰り道の高島屋でさがしていたこだろう・・・・。そしてその香水を数滴枕にたらし、なっちの匂いと意識的に錯覚しながら眠りにつくのだろう・・・・。
(●´ー`)<デスペアさん なんか気持ち悪い・・・・。
デスペア<いやいやなっち、それがヲタの「定説」です。(by浴衣の高橋さん)
3,なっちの歌唱力。
今回のディナーショーではじっくり聴かせるバラードが主流。前日寝る前に24カラットコンのDVDを一通り予習の私。21型のAIWAのテレビブラウン管の中のなっち。ステージ上のなっちはあたりまえだが、存在感が違う。歌に込める思いがじかに伝わってくる。
コンサートDVDでは曲に入る直前のなっちの表情はなかなか見られない。ディナーショーではそれが分かる。アイドルの称号。アイドル歌手のラベルはふさわしくない。
MCでいつものなっちトーク。ひとりテンションあげあげのトーク。ひとりつっこみのほんわかトーク。MCの終わりに、「それでは次の曲きいてください」。ささやくなっち。すると、すこし下を向くなっち。真顔になる。美しい表情。歌手安倍なつみがそこにはいた。歌を伝えたい。歌で何かを伝えたい。なっちの歌への思い入れが感じられた。下をむいて、そしてイントロが流れて、顔をあげ歌いはじめる。さっきとは別人の表情。まさしく「歌手」。
「ふるさと」では、放蕩息子なこんな私にさえ、ふるさとの母親を思い出させ、涙を流させ。
「だって生きていかなくちゃ」では、網膜色素変性症な私デスペア。絶望感にうちひしがれた私デスペアでさえ、生きていく力、生きていく義務、生きていく使命を感じさせてくれる。
「ひとりぼっち」では、行ったことのない白鳥大橋を目に浮かばせ、ささやくような安倍なつみの歌声が、「なっちはひとりじゃない、オレがだきよせてやる」と本気で思わせる。
「あなた色」では、一気に胸をおどらせ、自然と体に、ビートを刻ませる。あなただけではなっちの指さしピストルで、撃たれた観客を舞い上がらせる。
「腕組んで帰りたい」では、あかるい曲調なのに、なぜかとても切なくさせる。このときほど、時の流れの悲しさを痛感することはない。これは、択一本試験で刑法を全部解く時間がなく、10問手つかず状態よりもだ。なんだろう、この切ない、けれどなぜか満足感と高揚感。こんな感情はほかでは感じられない。もしこの感情を言い表すのなら、「今を生きる」なのだろう。
それが、安倍なつみ。
さぁいよいよポラ握手。本編その3 につづく。
テーマは「無限大数マイナス2」
デスペア的感想。
1、神々しい安倍なつみ。
1曲目「ふるさと」。安倍なつみにあたるスポットライト。暗闇のなかに浮かび上がる。真顔で正面斜め上をじっと見つめるなっち。存在に圧倒される。コンサートやヘブンイベやFCイベでは感じたことないオーラを感じる。神々しいという修飾が大げさでなく適当。
はじめのなんフレーズかは、あまりの距離の近さ。両眼視力0.5のこの私の目でも。なっちの肉感というか、やわらかさが目でみてとれる。そんな距離。なっちの栗毛の髪の毛の枝毛というか、ちょっとピョンとなった髪の毛が、スポットライトの逆光で浮かび上がって見える。そんな距離。マイクをもつなっちの左手にボディクリームを塗っているせいか、キラキラ光って見える。そんな距離。
私の目の前に遮るものはなにもない。あたかも自分1人のためにうたってくれているかのような距離感。すさまじい距離。なっちの顔を凝視する。網膜色素変性症な私デスペア。景色どころか、なっちの胸元すら視界に入らない。視野が狭いため。そのためより一層。
私が意識できているのは安倍なつみの存在のみ。まわりのファンやバックバンド、なっちの後ろで輝くライトも目に入らない。そのため、本当に私1人のためだけに歌っているという錯覚に陥る。
なっちの足も見てやろうとするも、なっちの顔から目が離せない。引き込まれている私。圧倒的な存在感。
なっちの顔を凝視する私。なっちの左目すぐ下にラメ?光るなにかをつけている。左手にはよく光を反射する大きめな指輪。右手にはキラキラブレスレット。そのきらめきが私の目に気持ちいい。
なっちの存在感に圧倒されながらも、必死に歌に入り込もうとする私デスペア。 「ふるさと」を聞きながら、めったに考えない母親のことが頭をよぎる私。もう5年、実家には帰っていない私。あぁ迷惑かけてんだろうなぁ・・・と胸が締め付けられる。涙がでてくる。なっちのマイマーザーのフレーズで涙がでる。やっとふるさとを理解できたよ、なっち。
「空Life goes on」で泣くぞと決意の私。いきなり1曲目から涙がでる。曲の最後になっちの足を見る。意外というか、予想通りというか、ちょっと太い。おそらくは肌色の薄いストッキング。ちょっと光っている。なっちの腕の光具合とは異なる光具合。それもなっち。
2,なっちとふくらみと匂い。
おそらく3曲目の「空 Life goes on」。イントロが流れる。よしこの曲で泣くぞと私。でもそれどころじゃなくなった。歌詞を噛みしめて、なっちのあの謹慎期間中の歌えない伝えない悲しみを自分も感じて泣く。そんな余裕がなくなる。歌にひたっている場合じゃない。
なっちが一段高いステージから客席に舞い降りた。そう、なっちの客席まわり。
歌いながら歩きながら、客席のファン1人1人とアイコンタクト。たまらない。ただ私と目があったのはたったの一瞬。ほんの一瞬。すぐに私の同じテーブルの人に目線が映る。なっちの目、そこでとどまった。(ように見えた。隣の芝生シンドロームかな。まぁなっちの目線を追えるということだけでも、すごい距離なわけである)。凝視する私。
そして私の真横。椅子に座っている私の目の前30cmをなっちがよこぎる。私の目線の高さとなっちの胸の位置がどんぴしゃり。最近の女性。ブラジャーで胸を整える。ありのままの形でなく、きれいな胸の形にするため。本来ならワキに寄った胸をセンターに持ってきて、ブラジャーにおさめる。そうするとのっぺりした胸でなくて、ツンとした綺麗な形の胸になる。
なっちの胸も今時の女性の胸。真横から高さドンぴしゃで胸を見る。ワキから胸にかけて、衣装のドレスにシワが見える。胸をセンターに寄せているため。それでも、なっちの胸、その締め付けにまさって、横にもふくらむ。なっちのふくらみ。私に向かってのふらくみ。正面からでは、さほどわからないなっちのふくらみ。はっきり分かる。2階席では絶対に味わえない。
それは数秒の出来事。なっちはゆっくり私たちのテーブルから離れる。後ろの席、そしてガラス板で仕切られた2階席へと目線を1人1人に配る。あたかも聖体拝領の儀式のよう。まるで神秘。(ただ、なっちの後ろ姿ごしに見える。観客たち。ここでは愛情をこめてヲタと呼ぶ。そのヲタたち。顔を上に少しあげてなっちを見上げる。なんと間抜けな表情。間抜けというか気持ち悪いというか・・・あなたたち魂抜かれてますから・・・・・・残念。って私もその1人なんだけどね・・・)
一通り魂を抜いた狩人なっちが、同じルートでステージにもどってくる。もちろんまた私の目の前30cmを通る。こんどは誰とも目を合わせずにゆっくりとだが、いそいで、いわゆる「Festina Lente」(by伊藤塾)。私の横を通り過ぎる。ここで決意する私。「匂いかいだる!」(byAVタイトル)。
なっちの通った瞬間。なっちの後ろ姿に向かって鼻から空気を吸う。鼻孔をとおるなっちの匂い。残念なのか、予想道理か、うれしいのか・・・・・・・・・・・無臭。(まぁなっちは香水はつけない、お風呂上がりにボディクリームとのことなので当たり前といえば当たり前)。
キンモクセイの匂いと土埃のにおいをかぐと運動会を思い出し。桜の季節のあたたかになりはじめた空気の匂いをかぐと入学式を思い出す。視覚から思い出すよりも、もっとリアルに思い出す。匂いの力。もし、なっちが香水をしていたら、おなじ匂いの香水を帰り道の高島屋でさがしていたこだろう・・・・。そしてその香水を数滴枕にたらし、なっちの匂いと意識的に錯覚しながら眠りにつくのだろう・・・・。
(●´ー`)<デスペアさん なんか気持ち悪い・・・・。
デスペア<いやいやなっち、それがヲタの「定説」です。(by浴衣の高橋さん)
3,なっちの歌唱力。
今回のディナーショーではじっくり聴かせるバラードが主流。前日寝る前に24カラットコンのDVDを一通り予習の私。21型のAIWAのテレビブラウン管の中のなっち。ステージ上のなっちはあたりまえだが、存在感が違う。歌に込める思いがじかに伝わってくる。
コンサートDVDでは曲に入る直前のなっちの表情はなかなか見られない。ディナーショーではそれが分かる。アイドルの称号。アイドル歌手のラベルはふさわしくない。
MCでいつものなっちトーク。ひとりテンションあげあげのトーク。ひとりつっこみのほんわかトーク。MCの終わりに、「それでは次の曲きいてください」。ささやくなっち。すると、すこし下を向くなっち。真顔になる。美しい表情。歌手安倍なつみがそこにはいた。歌を伝えたい。歌で何かを伝えたい。なっちの歌への思い入れが感じられた。下をむいて、そしてイントロが流れて、顔をあげ歌いはじめる。さっきとは別人の表情。まさしく「歌手」。
「ふるさと」では、放蕩息子なこんな私にさえ、ふるさとの母親を思い出させ、涙を流させ。
「だって生きていかなくちゃ」では、網膜色素変性症な私デスペア。絶望感にうちひしがれた私デスペアでさえ、生きていく力、生きていく義務、生きていく使命を感じさせてくれる。
「ひとりぼっち」では、行ったことのない白鳥大橋を目に浮かばせ、ささやくような安倍なつみの歌声が、「なっちはひとりじゃない、オレがだきよせてやる」と本気で思わせる。
「あなた色」では、一気に胸をおどらせ、自然と体に、ビートを刻ませる。あなただけではなっちの指さしピストルで、撃たれた観客を舞い上がらせる。
「腕組んで帰りたい」では、あかるい曲調なのに、なぜかとても切なくさせる。このときほど、時の流れの悲しさを痛感することはない。これは、択一本試験で刑法を全部解く時間がなく、10問手つかず状態よりもだ。なんだろう、この切ない、けれどなぜか満足感と高揚感。こんな感情はほかでは感じられない。もしこの感情を言い表すのなら、「今を生きる」なのだろう。
それが、安倍なつみ。
さぁいよいよポラ握手。本編その3 につづく。