毎日の通勤バス。目の前の座席が空いていても私はずっと立っている。網膜色素変性症な私デスペア。視野狭窄と視力低下が進行している私の目。目の前の座席に人がすわっているのか空いているのかわからないため。
まだ目のよかったときは空いていると思ってすわった席に人がいてその人の膝の上にすわったことが2度ほどある。特に夜のバスの中。
今はそういうことがないようにずっと立っている私。
そんな私に時々空いてますよと教えてくれる見ず知らずの人。障害者は見ず知らずの親切に助けられることがおおい。その一方で私はここ最近だれかに何かをしてあげたりしたことがない。もうずーーーとない。
思い返せばもしかしたらあたしは今まで誰かに無償で何かをしてあげたことがないかもしれない。愛する人に見返りを求めずなにかをしてあげたり、愛するわが子に事故を犠牲にして何かをしてあげたりということをしたことない私デスペア。
たぶんそれが私にかけていることなのだろう。与えることが欠けている。自分の欲しいものをを与えること、つまりはマイナスがマイナスしてるんだな。
そんな今日5月12日のNHKラジオ第1お聞いた。℃-uteの矢島舞美がゲスト。番組中舞美は℃-uteの新曲やベリキューの超ハッピーソングの宣伝をしていたのだが、最後に舞美が好きな曲としてリクエストしたのが槙原敬之の「僕が一番欲しかったもの」。
舞美が好きな曲ってどんな曲だろうとおもってyoutubeで探して聞いて見た。舞美のことを考えながらこの曲を聞いてみた。涙が出た。
小川紗季は普通の人間の生活がしたい(普通の女の子のように恋愛がしたい)とスマイレージをやめたあし、おなじくスマイレージの「A」の前田憂佳は学校の先生になるという自分の夢を実現するため大学進学のため受験勉強に専念するためスマイレージをやめた。
彼女たちは自分が一番欲しかったものをを求めてアイドルをやめた。
アイドルというのは自己犠牲がおおい。普通の女の子の生活、普通の女の子としての恋愛は犠牲にしないといけない(とされている)。果たしてのその犠牲に見合うだけの何かをアイドルは手に入れているのだろうか。自分の一番欲しいものをあきらめてでもアイドルを続ける意味があるのだろうか。
その疑問に、矢島舞美は答える。槙原の「棒が一番欲しかったもの」の歌詞の中ですきなフレーズを言って見せた矢島舞美。
「僕のあげたものでたくさんの人が笑っていて」
歌詞の中のぼくは自分が欲しかったものをもっとほしそうな人にあげること、つまりは自己犠牲、自分をマイナスにして相手をプラスにする。
舞美はあんなにさわやかで尋常じゃない透明感があり、ただいつもニコニコしているアイドルの典型だとおもっていたが、舞美はそれ相当の覚悟をして、自分の欲しかったものを再定義していたんだな。
そこが前田憂佳と矢島舞美のちがいなんだな。
涙がでてきた。ぜひ聞いてみてね。
舞美のその覚悟にいつか私たちヲタはヲタの覚悟で舞美を送りださないといけないんだな。すばらしいねこの関係性は。
まだ目のよかったときは空いていると思ってすわった席に人がいてその人の膝の上にすわったことが2度ほどある。特に夜のバスの中。
今はそういうことがないようにずっと立っている私。
そんな私に時々空いてますよと教えてくれる見ず知らずの人。障害者は見ず知らずの親切に助けられることがおおい。その一方で私はここ最近だれかに何かをしてあげたりしたことがない。もうずーーーとない。
思い返せばもしかしたらあたしは今まで誰かに無償で何かをしてあげたことがないかもしれない。愛する人に見返りを求めずなにかをしてあげたり、愛するわが子に事故を犠牲にして何かをしてあげたりということをしたことない私デスペア。
たぶんそれが私にかけていることなのだろう。与えることが欠けている。自分の欲しいものをを与えること、つまりはマイナスがマイナスしてるんだな。
そんな今日5月12日のNHKラジオ第1お聞いた。℃-uteの矢島舞美がゲスト。番組中舞美は℃-uteの新曲やベリキューの超ハッピーソングの宣伝をしていたのだが、最後に舞美が好きな曲としてリクエストしたのが槙原敬之の「僕が一番欲しかったもの」。
舞美が好きな曲ってどんな曲だろうとおもってyoutubeで探して聞いて見た。舞美のことを考えながらこの曲を聞いてみた。涙が出た。
小川紗季は普通の人間の生活がしたい(普通の女の子のように恋愛がしたい)とスマイレージをやめたあし、おなじくスマイレージの「A」の前田憂佳は学校の先生になるという自分の夢を実現するため大学進学のため受験勉強に専念するためスマイレージをやめた。
彼女たちは自分が一番欲しかったものをを求めてアイドルをやめた。
アイドルというのは自己犠牲がおおい。普通の女の子の生活、普通の女の子としての恋愛は犠牲にしないといけない(とされている)。果たしてのその犠牲に見合うだけの何かをアイドルは手に入れているのだろうか。自分の一番欲しいものをあきらめてでもアイドルを続ける意味があるのだろうか。
その疑問に、矢島舞美は答える。槙原の「棒が一番欲しかったもの」の歌詞の中ですきなフレーズを言って見せた矢島舞美。
「僕のあげたものでたくさんの人が笑っていて」
歌詞の中のぼくは自分が欲しかったものをもっとほしそうな人にあげること、つまりは自己犠牲、自分をマイナスにして相手をプラスにする。
舞美はあんなにさわやかで尋常じゃない透明感があり、ただいつもニコニコしているアイドルの典型だとおもっていたが、舞美はそれ相当の覚悟をして、自分の欲しかったものを再定義していたんだな。
そこが前田憂佳と矢島舞美のちがいなんだな。
涙がでてきた。ぜひ聞いてみてね。
舞美のその覚悟にいつか私たちヲタはヲタの覚悟で舞美を送りださないといけないんだな。すばらしいねこの関係性は。