神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

サタンの努力。-その2-

2018年08月01日 | キリスト教
【座せる悪魔】ミハイル・ヴルーベリ


 サタンの努力というか、目的の大きなもののひとつとして、虚しいものに時間やお金やエネルギーを費やさせる、ということがあると思います。

 たとえば、わたしも過去を振り返ってみると、ゲームとか漫画のキャラグッズにお金や時間を費やした……ということはあるんですけど、そういうのは今もそれほど後悔してませんし、健全な範囲内と思うんですよ(^^;)

 ただ、どんなに好きなものに対してでも、借金してまで△□を買う――というところまで来ると、ちょっと異常な領域に入っていくと思うんですよね

 つまり、わたしも普段、自分で自分の意志や感情をコントロールしていると思ってますし、借金してまでパチンコをするとか競馬をするとか、賭けマージャンに明け暮れる……というのはちょっとどうかっていうのは、常識として一応わかってはいるわけです。

 さらに、これがドラッグとかアルコールっていうことになると、問題がより複雑になってきたりもしますよね。もちろん、ギャンブルも依存症っていうところまでいってしまうと病院での治療が必要になってくるわけですけど……でも、対象が賭け事やドラッグやアルコールじゃないっていうだけで、自分の趣味の対象に「異常なほど」体力や時間やお金、エネルギーを費やす気持ち、みたいのはすごくわかるんですよね。

 もちろん、アイドルや自分の好きなバンドの追っかけですとか、そういうので働いたお金の大半を費やしていたりとか、そういうのは「異常」とは個人的に思いませんし、「わたし、異常なほど△□を愛してるっ!!」みたいになれるのって、幸せなことでもあると思うので、わたしが言いたいのはそうした意味のことではなく。。。

 ただ、前にテレビで確か統合失調症の方だったと思うのですが、幻聴が聞こえる時に「ほんと、それだけは言われたくないみたいな、いやらしいところ、いやらしいところを責めてくるんですよ」って言われてたことがあって……なんかそれ、すごくわかる気がする、と思ったことがありました。

 サタン(悪魔)って、ほんとにそういうところがあると思います(^^;)

 つまり、サタンって、人間が虚しいことに時間やお金やエネルギーを費やす方向に仕向けることが大好きなので、その人間にとっての「弱味」、「弱いところ」というのをまずはサーチするんですよね。まるで、パソコンでネット検索する時みたいに。それで、映画の「セブン」で有名になった七つの大罪というのは、聖書に直接言及はないのですが、一般に「食欲・色欲・強欲・憤怒・怠惰・傲慢・嫉妬」などとされています。

 たぶんわたし、この中で一番引っかかりそうなのが、「怠惰」なのですが……まあ、わたしのことはさておくとしても(笑)、異常なほど怒りっぽい・嫉妬深い人の中には――わたしも今まで一度か二度くらいしかそうした人と会ったことはないものの、「この人、何か霊が取り憑いてるからこんなに怒りっぽい(嫉妬深い)んじゃないか」みたいな人っていますよね。

 あと、異常なほど無気力で無感動で何もしたくない人の中にも、あまりに度が過ぎると親御さんのほうで心配して、心療内科へ連れていくとか、あるいはひょっとしたらお祓いとか、そっち系の場所へ連れていくっていうことがあるかもしれません。。。

 やっぱり、サタンというか、悪魔・悪霊といった存在に働きかけられたことで<食欲>といったことに異常が生じて摂食障害になった方もいらっしゃるでしょうし、大体のところサタンのやり口っていうのは何か人間に「弱味」を見つけたら徹底的にそこを責めてくる……みたいなやり方だと思うんですよね。

 こうしたことは個人レベルではそうした形で現われ、また戦争といった大きな枠組みで言えば、アメリカvsテロとの戦争みたいに、もう何がなんだかわからない混沌とした形で現われてくるのではないかという気がします。

 繰り返しになりますけれども、サタンの目的というのは、人間が虚しいこと(最終的になんの益にもならないこと)のために人間のエネルギーと時間と経済を使わせることです。

 そして、こうした事柄から人間を健全にするひとつの手法として、やっぱり宗教の力ということがあるのではないかと思っています。やっぱり日本ではオウム真理教の事件などがありましたから、宗教=洗脳、恐ろしいものというイメージが定着してしまっているところがあると思うのですが、それでも仏教の力というのはその中でも一番大きいのではないかと思います。

 たとえば、ギャンブル依存症やアルコール中毒、ドラッグ中毒になってしまった場合……病院での治療や、同じ悩みを持つ人の集まりに参加する、といったことも大切と思うんですけど、仏教のお寺で短い期間修行するとか、内観療法ですとか、ああしたこともとても大きな効果を持つだろうなと思っています。

 ただ、わたし自分がクリスチャンで、ここのブログもキリスト教について何か書くっていう主旨の場所なので(汗)、そちらの文脈で続きを書くとしますと、あらゆるサタンの策略に関して、キリスト教ではすでに「イエス・キリストが十字架上で勝利をとっている」ということになるんですよね(^^;)

 ですから、そのイエスさまの十字架上で流された血潮の力を信じるなら、人生上のあるゆる問題についても解放や癒しが起こってくる……ということなんですよ。わたしも最初そうでしたけれども、急にトートツにそんなこと言われても「は?」という感じだとは思うんですよね。でも、教会でイエスさまのことを自分の救い主であると告白し、聖霊さまを受けたとしたら――教会での学びや聖書を読むといったことを通して、「何故そうなのか」は聖霊さま御自信が解き明かしてくださることなのです


 >>神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

(ローマ人への手紙、第8章28節)

 >>いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

(テサロニケ人への手紙第一、第5章16~18節)


 あとはこうした、自分に適応できる聖書の言葉を見つけるのと同時に、自分に最悪の状況が許されたことや「なんでこんなことになってしまったのだろう」ということも、すべて神さまに委ねて感謝してゆきます。

 サタンの目的が人間に虚しいことに対して時間やエネルギーを使わせ、お金を浪費させることであったとすれば、神さまの人間をお造りになった目的は、神さまの御旨にかなうことに対して時間やエネルギーを使い、また定められた金額、あるいは御心のお金を神さまのために献金(あるいは寄付)するといったところでしょうから、それが具体的に「どういうことなのか」を祈りの中で聖霊さまを通して聞いていく……そうすると、新しい人生の正しい目的なども、神さまにあって示されていく、ということになると思います。

 ただ、なかなかそうは言っても、わたしも自分にとって都合の悪いことについては示しがあっても聞こえなかった振りをしたり、「それだけは出来ませんww」と言ったりと、なかなかこのあたりは難しいのですが(^^;)、でも聞き従わないとまた元のどうしようもない罪的状態に逆戻りしたり、あとになってから「あ~、やっぱりあの時示し通りに聞き従ってたら良かった」と反省したり……このあたりは体験を通してだんだんに学んでいく――といった感じのことだと思います。

 また、もし「この世界には神も仏も天使も悪魔もいやしねえ。何言ってんだ、このバーカ☆」といった価値観の方でも、人間にはその一生の間で死ぬまでに使える時間とエネルギーには限りがある、ということは認められると思います。

 そしてその時間やエネルギーをどんなことに使うのか、また自分に与えられたお金をどんなふうに消費するのか……ということで、人生の質が決まってくると思うんですよね。。。

 でも、自分でこれがやりたいとか、これになりたいとか、そうした目標が特になく、そうした中で~~になってみたけど、なんか虚しい☆とか、自分のワークライフバランスはバランス取れてると思うけど、何かが足りない……といったことがもしあったら、それは「神さまに聞く」というのが一番なんじゃないかな、という気がします(^^;)

 もしその方がクリスチャンでなくて、キリスト教に反感を持っている場合でさえも、こうした考え方をして、その上正しい選択の出来る人というのは、大体充実した生活、幸せな人生を送っている傾向が強いのではないか……といった印象を、自分的には持ちます。

 ただ、人の人生というのはそれぞれ様々で、最初は良いことを行う正しい傾向にある人でも、人生の途中で人から裏切られて考え方が変わったりですとか、自分が悪いわけでもないのに悪いほうへ悪いほうへと人生の気が流れていくように転落していった……といった場合、そのうちのどんなケースでも救い、助け、勝利をとる者とならせるために、イエスさまは十字架にかかって犠牲の血を流された……と言えると思うんですよね

 ではでは、次回は神さまの清い御性質、ということについて、何か書いてみたいと思っていますm(_ _)m

 それではまた~!!





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