来年はへび年だそうです
いえ、「だからそれがどーした」という話ではあるのですが、この間ふと、ラジオからこんな話が流れてきたわけです
例によって「ながら聞き☆」であったため、話の細かいところまでは思いだせないものの――ようするに「来年はへび年だから、へびにゆかりのある神社でお参りするといいよ」みたいなことだったんですよね。ただ、そのお話の続きを聞いていて……確かにへびに由来する神社ではあるらしいのですが、その伝説というのが何かこう幸福なものではなく、はっきり言って不吉なものだったわけです。
そのことをお話されていたDJさんも、「自分はへびにゆかりのある人間だから、よくそこにお参りにいく。力のある神社だから、みなさんも行かれるといいですよ」みたいにおっしゃっていて
いえ、わたし自身はキリスト教徒でも、他の方には他の方で信仰の自由・宗教の自由があるという意味で、何を信じていてもいいと思ってたりはするわけです。ただ「ああ、そういえば自分も昔はそうだったなあ~」とぼんやり思い出したというか。
その~、わたし自身も昔はめっちゃそのタイプだったという話なのです(笑)。「おいおい、よく聞いたらなんかへびにまつわる不気味ないわれのある神社やないかい!!」と聞いても、そこはそんなに気にしない。「あ、そっかあ~。来年巳年だもんねえ。だったら、そうした有難い神社で参拝ってありかも」とか思って出かけていくという、間違いなくそうしたタイプの人間だったというか。
わたし、時々悪魔とか悪霊がどうとか書いてる人ですけど、霊感的なものはまったくといってもいいくらい、全然ありません(笑)。また、ものすごく怖がりなので、幽霊とかいった類が出るというスポットにも、全然行きたいと思いません
でも、ホラー映画やそういった不思議な出来事に興味があるという強い傾向のある方が世の中には結構いらっしゃって、心霊系のユーチューブとか、凄く人気があるそうです。わたし自身は怖がりなので、「ココとココとココは特におススメ!!」みたいに言われても、全然見たいと思いません。というか、実際見てませんww
でもやっぱり、今年の夏だったでしょうか。夏といえば怪談ということで、ラジオつけっぱ☆にしてると、時々そういうのって流れてきてしまう……それで、その時もたまたまながら聞きしていたうちの二件とも、心霊系のユーチューバーさんがゲストに来るというものだったのですが、「昔からそういうことに興味があって大好きで」という方がいる一方、「ユーレイ?全然信じてへん。んなもん」という方もいて。。。
でも、誘われたから一緒に出掛けていってみたところ、一発でその動画が跳ねたびっくりするような再生回数で、収入もあり……そこで、また別の心霊スポットへ出かけていって撮影し、それがまた跳ねた。びっくりするような再生回数&収入――というわけで、また再び別の心霊スポットへ。。。
とはいえ、毎回夜中に集合して出かけるものの、もともとユーレイとか信じてないし心霊とかなんとか全然好きじゃないから、その日はとても気が重い。また、何もなかったとしても「なんかやな感じ☆」といった空気感には終始包まれているそうで、終わった途端、とにかくほっとする……みたいな話だったと思います。
ただ、その二件の番組とも、やっぱり何度もそうした場所へ出かけていくと、一回か二回くらいは本当にあるそうです。「間違いなくアレは△□〇だったんやないやろか~!!」といったことや、「もしかしたらあのまま行方不明ということもあったかも……」みたいな、まったく全然そうした存在とか信じてないけど、頭から否定して徹底的に科学的に検証しよう」といった態度でいたとしても――「あれは間違いなく本物の心霊体験だった!!」といったような、危険な出来事に遭遇するということが……。
この記事、タイトル「迷信」なんですけど、「そんな迷信なんか信じるなあ~!!」というよりも、「迷信って案外危険だよね」といった話だったりします。その~、わたしはキリスト教徒なので、聖書に照らしていえば、「イエス以外の霊は信じない~!!」という別の系統の気違い人間ではあるのです(笑)。ただ、本当に本物の心霊体験のようなものは存在するだろうと思ってますし、そうした場所へ出かけていくのも危険なことだろうと認識しています
最初のへびにいわれのある神社なども、「そこへお参りしてから運気が良くなった」というのは、おそらくは気のせいか偶然の可能性のほうが高くはあるでしょう。でも、わたし自身はその昔、そうしたパワースポット的な場所へ行くのが本当に大好きでしたし、そうした時に感じる「なんか運気上がったかも」と感じる感覚が好きだったんですよ(笑)。
あと、占いもすごく好きでした。だから、これもよくネタ☆として「占い師にこう言われた」、「ああ言われた」みたいな話って、本当にたくさんありますよね。「全然当たってねえ!!」とか、「今あんた、わたしからそう聞いたからちょっと寄せてきたよね」とか「修正してきたよね」とか……そもそも占い師さんって、結構個性的な方が多いらしく、そのあたりでもネタ☆として面白いので当たる当たらないは関係なく、定期的に時々見てもらう方って、結構いらっしゃるのかなって思います。
わたしも、クリスチャンになる前は大体今くらいの時期からですよね。六星占術ですとか、何かの暦の自分の運気ですとか、よく立ち読みしてチェックしたことがありました(買わねえのかよ!笑)。それで、その昔本屋さんでアルバイトしてた時に、その出版社さんの占い系の本その他を買うと、一回ただで占ってもらえるということがありました。「アタール」とかいう紙を掲げた、「わ~っ、なんか当たんなさそう」みたいな占い師さんがレジの横あたりのカウンターに本並べて座っているという、何かそんな感じ
んで、本買わなくても本屋で働いてる人はただで占ってもらえるということで、「ただならいっか☆」という感じで、仕事中にバイト仲間で交代で占ってもらうことになりました。まあ、結局今にしてもまったく当たってなかったなあ~と思うのですが、それでも手相などを見てもらい、「ここにこの線が入ってる人は~~なのよ」みたいに言われると、なんとなーく「へえ~」となるものですし、ある程度根拠がないわけでもないらしい……という意味でも、まったく無意味ということもない――みたいに感じたりもするわけですよね。
もちろん、キリスト教では偶像礼拝や占いを一切禁止していますから、そうしたことはノンクリスチャン時代の過ぎ去ったことで、今はもう占いに関しては断つようにはなってしまいました(^^;)
それで、イエスさまのことを信じて聖霊さまを受けてなかったとしたら、「教義上そう言われているから」とか、「聖書にそう書いてあるから」といった根拠があったとしても、普通はちょっと誘惑に負けるところがあると思います。そのくらい、なんにでも星占いその他、色々な雑誌に必ずといってもいいほど付いてきますし、当たる・当たらない関係なくそれを見るという習慣がついてしまっているからです。
また、聖霊さまというのは真理の霊でもある方なので、この方以外に属する霊というのは、なんの意味も力もない――ということがわかるようになると、神社仏閣は行っても意味がないと、はっきりわかるようになります。むしろそうしたところは心霊スポットと同じく、色々なよくわからない霊が交じりあう場となっているので、自分的には運気が上がっていると思っていても、実際にはただ害を受けて帰ってくる……という可能性もあったりするわけです(^^;)
キリスト教徒になることの益のひとつとして、偶像に属する霊の見分けがはっきりつくので、そちらとの関係を完全に断つことが出来る、ということがあると思います。もちろん、キリスト教にも迷信的なものや偶像があったりもするのですが、こちらは特にカトリックに多いかもしれません。でも、長く伝統的にそのように守ってきているものなので、偶像とわかっていても排除までは出来なかったりと、キリスト教にはキリスト教の事情があったり……何かこう書いてくるとややこしいですね(^^;)
なんにしても、わたしと同じようにかつては神社仏閣などが大好きで、仏壇・神棚その他、特に仏教的な行事を有難がるタイプの人間で、厄年には必ず神社にお祓いに行く、それも本厄のみならず、前厄も後厄もお祓いに行っちゃうぞ!!でも、全然運気なんか上がんなかったぞ!!ピアスも開けるとなんか運気変わるって聞いたからそうしてみたけど、なんか全然変わんないぞ!!占いもよくチェックするけど、当たってた試しなんかほとんどないぞ!!むしろ「今月一番運気の悪い星座」が自分の星座だったりすると、なんか軽く落ち込むぞ――みたいなタイプの方で、色々な人生の問題にもみくちゃにされていた場合、クリスチャンになるというまったく新しい選択をすることにしてみてはどうでしょうか?なんて思います(^^;)
わたし自身はそれで人生が変わりましたし、マーリン・キャロザース先生の「どんなことも神さまに感謝&賛美」という教えでも、人生で何が一番大切かがわかったと思いますし、人生に問題がある時、仏教や神社系の色々なものに縋ってみたけど変化なーし!!という、わたしと同じタイプの方は、イエスさまを信じて聖霊さまを受けられることを、本当に心からおすすめするものです
それではまた~!!
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