神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

永遠の夏休み。

2023年08月08日 | キリスト教

 北海道でも連日暑い日が続いています。。。

 しかも、湿度が高くてめっちゃムシムシします。なので、雨降った日の朝なんて漫画風にいったらほんと、窓開けてたのに「ムシィッ!」て効果音入れたいくらいな感じでした(ちなみにジョ○゛ョ風でお願いします・笑)。そんで、「こんなにムシムシしてたんじゃ、もう虫だって無視できないよね。虫だけに……」と、朝っぱらから考えざるをえないところからして――暑すぎてちょっと頭おかしくなって来てるんだなと自己診断。。。

 それてはさておき、鬱病や自殺に関することについて。例によって(?)ラジオを聞きながら作業してたもので、肝心の「それが誰か」というところを聞き逃してしまったんですけど……お父さんが息子さんの自殺のことで本を出されているとのことだったので、たぶんよく知られてる方なのかなと思います。

 そのお父さんからお話を聞いた方曰く、「学校でも人気者だったし、性格も明るくて、何故自殺したのか今もさっぱりわからない」、そしてお母さんのほうでは「自分の抱きしめが足りなかった」というか、小さい頃に「もっとああしてやってれば」、「こうしてやってれば違っていたのではないか」と、今もずっとそう思い続けている……ということだったんですよね。

 お話の中に「もう亡くなって十年以上にもなるのに」みたいには語られていませんでしたが、聞いていて思うに、たぶん十年とか、それ以上は息子さんが亡くなられて経っているんだろうなと感じたというか。。。

 それで、自分的にちょっと思いだしたことがありました。夏休みの最後の日、「宿題が終わらなかったから」という理由で自殺した男の子のニュースを昔聞いたことがあって……その翌日、友達がこう言ってたんですよね。「宿題が終わらなかったって、(そんな理由で死ぬなんて)馬鹿じゃねーの?」という。それで、学校の先生が何かの折にそのニュースのことを話した時、クラス全体の雰囲気としても大体そんな感じだったように記憶してます。

 ただ、わたし的にちょっと思ったわけです。「宿題が終わらなかったから」自殺するって、ありえるんじゃないかなって。とりあえずわたし、小~高校くらいの間……いや、高校生の時って宿題とか出たっけ?というくらい、もう記憶曖昧ですけど(学校にもよるような気も)、宿題を一切やって来ずに登校してきた子って、ひとりもいなかったような気がするんですよね。

 今にして思うと、それってすごく不思議です。高校のみならず、中学の時もどんな宿題を夏休みにやってたか記憶にないものの(大丈夫か、おまえ・笑)、中学の時もやっぱり夏休みに宿題は出ていたはず。でも、一番記憶に残ってるのって、小学生の時の宿題なんですよね。一日にどういうスケジュールで過ごすか、嘘の計画立てたり(せいぜい守るのは最初の一日か二日くらいまで)、あとからその日の天気思い出せなくなる絵日記、学校の選定図書の中から選んで感想書くのに、自分で勝手にあらすじ作って書いた読書感想文、突っ込みどころ満載の自由研究……などなど、「宿題さえなければ夏休みは天国なのに!!」と毎年思いながら、それでもどうにかこうにか頑張ってこなしていたわけです(一部親に手伝ってもらったりしつつ・笑)。

 よくあんなにいっぱいの課題を、あんなに小さな体(?)でこなしていたなあと思います。でもそこにはやっぱり、ある種の目に見えない強迫観念があって……「だって、夏休みの終わった登校日に困んの自分じゃん!!」という。でも、今はそう出来ない色々な事情のある子供たちがたくさんいるんだよ、みたいに割と言われるようになってきたと思うんですよね。お母さんが一生懸命働いていて、宿題手伝ってなんてちょっと言えなかったり、勉強にもついていけてないけど、教えてくれる誰かがまわりにいるわけでもなく、かといって塾に通ったりもできないとか……色々あるような気がします。

 それで、わたし的には「宿題が終わらなかったから」自殺するって、十分ありえることなんじゃないかな……と、その時は思ったわけなんですけど、その後、某有名心理学者の先生のインタビューというか、対談をまとめたものだったかなあと思うんですけど、「それはない」というふうにおっしゃってたんですよね。はっきりした文面は忘れてしまったんですけど、「そんな馬鹿な話はない」ということだったと思います。「馬鹿な話」といっても、「そんなことで自殺するなんて馬鹿じゃねーの?」といった意味ではまったくなく、「宿題が終わらなかった」というそれ自体で自殺する子はいない、といったことだったと思います。

 この問題について何か深く掘り下げて語られていたわけではなかったと思うんですけど……その時ちょっとハッとしたというか。わたし自身は「宿題が終わらなかったから」自殺するということはありうるんじゃないかと思っていたけれど、問題はそういうことじゃないんだなって。つまり、「宿題なんて手につかなくなるような問題が、何か他にあったのではないか」と考えたほうがいいんだろうなって、そう思ったわけです。

 これはあくまでたとえば、ということですけど、両親の仲が悪くて離婚しそうだとか、実は周囲の誰かに肉体的にじゃなかったとしても、精神的に虐待されていたとか……それ以外にもいくつか複合的な理由があったのかもしれないし、学校が原因ということでいえば、いじめとか、いじめられてはいなくてもクラスに友達がいなかったとか、そのことを誰にも相談できなかったとか、とにかく夏休みの終わった初日の登校日に、死んでも学校へ行きたくなかった何かがその子にはあったということなんだと思います。

 その後も、ほんのたまにというか、ふとした瞬間にそのことは思いだすことがあります。その男の子にとって、その人生最後の夏休みはどんな夏休みだったんだろう……ということを。

 まあわたし、ここを小学生とか中学生くらいの子が読んでるとはまったく思わないものの、とりあえず夏休みの最後の日までに宿題終わってなくても、きっとなんとかなる、親に縋りつけば必ずなんとかしてくれる……と思ったりするんですよね(^^;)いえ、これはわたしがいい年した大人になったからそう思えるのであって、もし夏休みの最後の日までに宿題が終わらなかったら世界が終わる――いや、地球は続いていくだろうけれども、わたしの世界は終わるんだッ!!というくらいのあの物凄い強迫観念。もちろん親には言えない。もう夏休みが終わるまで三日もないのに、アレもコレもソレも終わってない。にも関わらずきのうは漫画読んでゲームしまくって一日過ごしたなんてことはッ。絶対に、口が裂けてもッ!!!

 でも、こんなダメダメな子のために、親は必ず何かしてくれます。もちろん叱られるだろうし、怒鳴られるかもしれない。でも、「だから死のうと思った」なんて、悲しい言葉を聞くよりは……親は喜んで最終的には学校の担任の先生に電話でもなんでもしてくれるよ。「ええ。うちの馬鹿息子/娘が、実は全然宿題やってないって親に隠してまして……いえ、手伝ってもわたしも無理なレベルだなと思って。それで、『もう学校行かないっ!!』てギャン泣きしてるもんですから、すみません。三日間風邪で休むってことにして、その三日でどうにか宿題終わらせますんで……」というのはマズい気がするものの、何かこれに近いことは必ずしてくれると思う。

 でもたぶん、自殺することを選んだ男の子にとっては、きっとそういうことじゃない、何かもっと自分ひとりでは抱えきれないほど重い問題があったんだろうなって、今はそんなふうに思います。。。

 それにしても、学校の選定図書を読まないで、テキトーにあらすじでっち上げ「主人公のこの行動に感動しました」とか嘘んこ書きまくったのに、よくその後なんの注意も受けなかったもんだなあと思います。あの読書感想文

 それではまた~!!






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